第12話
ネライダ曰く地下施設に自警団の一部を残し、オルコスの監視を命じたとの事。
まぁあのような騒動を起こした、俺から見ても重罪人に値する存在だ。彼等的に言ってしまえば、魔獣に食われて然るべき人物なのだろう。
幾ら未遂とは言え、一歩間違えばあの
ただ、少しオルコスに聞きたい事があった。俺とてあのような魔獣は初めて見る。幾ら質の良い魔力に引き寄せられたとは言え、偶然この森を襲う事など在り得るのか。
この事についても彼女が一枚噛んでいるのではないかと疑い、俺はネライダの案内の下再度地下施設へと赴く事になった。
魔獣との戦闘の際に無傷、或いは軽傷だった自警団の戦闘員は死体の片付けとオルコスの仕掛けたポーションの回収に向かっており、現状この場には俺とネライダ、そしてローグの三人だけとなる。
道中は三人分の足音が無機質に響くだけの重苦しい雰囲気だった。
この森に平和が訪れている、その真相を知ってしまった。幾ら内輪揉めを抑える為とは言え、彼等の行為は非難されて然るべきものだ。
長老の『彼女を信用するな』と書かれた一枚の紙を、掌に握られた事を思い出す。あの時はただ俺に不信を与えるのみで、老人の戯言だと一蹴したが――もう少し早く気付ければ、どうにか出来ただろうか。
いや、口は出そうとも、俺は彼等の行為を決して矯正はしなかった筈だ。結末は変わらないのかもしれないし、そもそも今更悩んだ所で後の祭りだ。
不意に足音に混ざり「勇者様」と、俺の事を呼ぶネライダの声がした。
「勇者様。私は……どうすれば良かったのでしょう」
「さぁ。こう言った事に関してはからっきしだ。けど、もう良いんじゃないか。自分達が居なければ外敵からの脅威は排除出来ないっていう宣伝は出来たし、今更お前に関してとやかく言う奴は、居ないと思うぞ。勘だけどな」
「はは……勘、ですか」
力なく笑うネライダの顔に、あの宴の時に見た、慈愛に満ちた感情はなかった。
彼女とて思う所はあったのだろうか。ネライダの境遇に同情する自分も居るにはいるが、と。不意に二人一緒に並んで歩く俺と彼女との間に、ローグが割って入って来た。
「良く言うね、後悔なんかはない癖に。君の瞳を見れば判るよ」
「何が――」
「彼に同情で気を惹こうと言う魂胆だ。そも本当に罪悪感があるのなら、長老とその奥さんをあのように晒しものにはしない。幾ら他権力者達への牽制とは言え、少し脅せば彼等も口を閉ざしたろうに。君は、心底自分を陥れようとする者を嫌悪した臆病者だ。だから段階を踏まずに強力な手段を用いた。だろう?」
彼女の眇めるように見据える真紅の瞳に、ネライダの表情が歪んだ。
何だかこの二人、どうにも相性が悪い気がする。まぁネライダは自身の本性を滅多に相手に見せない事に対して、ローグはその狂気的な感情をあまり隠そうともせず、歯に衣を着せないような物言いも目立つ。
正反対なのだ、この二人。
「……本当に、性根の悪い。勇者様。何故このような気の触れた狼と付き合っているのですか」
「ん。ああ、そういえばまだ言ってなかったね。実は俺、ローグとは――」
「いやぁ、負け犬の遠吠えは滑稽だね! 単に私の魅力を彼が知っているだけの事さ。若しくは、彼も私同様に気がおかしくなっているのかもしれないなぁ」
付き合っていないんだ、と言うよりも先にローグに口を塞がれた。
何をするのかと目で彼女を訴えると、耳元に彼女の端正な顔が寄り「君も彼女がいると言う形なら、振るのも楽だろう」と、喜色の声色で囁いた。
あの地下での出来事の大体は、監視の刻印を通して全て見ていた。
勿論ネライダの、俺に対する恋慕に関しての流れも聞いている。だが恥ずかしい話、このような年になっても俺自身はあまり色恋沙汰に疎く、ネライダには悪いが彼女と恋仲になる気は薄かった。
故に、彼女にどのように断りを入れようと考えていたのだが、ローグ曰くあの食卓で吐いた嘘を貫き通せとの事。
確かにその方が圧倒的に楽ではあるが、誠意に欠ける。どうすべきかと渋い顔を浮かべていたら、何時の間にか例の廃屋に到着していた。
おんぼろな中に入ると、廃屋の黴の臭いと一緒に何か鼻の奥を突くような、独特な香りが漂った。
嗅いだ事のある臭いだ。それも、何回も。酷く身近で、自分の中にも流れているであろう――血の、香り。
ローグに目を向けると、彼女も気付いているのか小さく頷いた。嗅覚に鋭い彼女の事だ、もしかしたらここに着く前から気付いていたのかもしれない。
俺とローグの雰囲気が変わった事に困惑した様子のネライダを後ろに下がらせ、階段を用心して下る。
進むにつれ臭いも強烈になっていった。
ここまで来ると流石のネライダも異変に気が付いたのか、顔を顰めて口元を服の袖で覆って、顔色を変えている。
地下の魔獣は全て片付けた。
そして地下に残されたのはオルコスと、彼女を監視する自警団の一部。ネライダ曰く数は数人程度のこと。
幾ら性格を豹変させたとは言え、元は自警団にも入りたての、戦闘経験も少ない筈の新入りだ。これだけの人数が居れば問題ないと、考えたのだろう。
俺もネライダの立場だったらそうする。たかが一人の人物に数十人規模で監視を続けるのはこの状況だと非効率的だ。それに、監視に割ける余分な人員も少なく、仕方がないと言える。
俺は地面に続く血痕を辿り、その先にある光景を見て顔を顰めた。
そこにオルコスの姿はない。あるのは氷漬けにされてある魔獣の死体と、魔獣が脱獄した事により空いた檻の中に放置された、息絶え血の海に沈むエルフ達の死体だった。
彼等は皆必要以上に人体が破壊されており、それは彼等に対する怒りや憎しみを如実に表しているように見えたが、壁に書かれた赤い血文字を見るに、もしかしたら単に彼女は文字を書ける血液が欲しかったのかもしれない。
茶色い地下室の岩壁には、赤く『あの時の貴方を夢見てる』とあった。
***
「……さてと、オーウェン。私は君に大事な事を教えようと思うんだ。多分これは君の分岐点となり得るだろうね」
あの騒動から一日が経った、夜の時間。
酷く愉快そうな笑みを湛えた彼女が寝室に訪れ、俺に真新しい新聞を寄越しに来た。
現状はまたオルコスがこの森に問題をもって来る事を警戒して、暫くの間ネライダの屋敷に滞在する予定だった。
だがどうにも嫌な予感がする。彼女の浮かべる笑顔があの夜、パトリオットの後ろめたい秘密を暴いた時のものにそっくりで、俺は又しても逃げるようにこの場を立ち去らなければならなくなる。そんな気がした。
おそるおそる新聞の中身を開いて、窓から漏れる月の明かりを頼りに内容を読み進る。
新聞自体は王国の、それなりに名も知れた新聞社が発行した一般紙のようで、社名も聞いたことがある。故に何処ぞの新聞屋が趣味や目を惹く為に書くようなゴシップと比べて、信頼性も高い。
だがそれでも、俺は新聞に書かれてあるその内容を信じる事は出来なかった。いや、信じたくなかったと言うべきか。
曰く俺が放浪し、この森に迷い込んだ辺りから混合魔獣についての目撃情報が各地で確認されているようで、王都を襲撃した魔獣に関しては甚大な被害を受けたものの撃退に成功しているが、力の弱い小国等に関しては未だに戦闘が継続している所もあり、事態を重く見た
中にはあの加護を受けた同個体も幾つか目撃されているようで、中々に状況は悲惨なようだ。
――何故この世界の情勢に気付けなかった。いや、理由など決まっている。エルフの住まう区域は外界と隔絶された所にあり、だから気付くのが遅れたのだ。
おそらく、ローグがこの新聞を渡してくれなかったら知る事すらなかった。
この森を襲撃した混合魔獣に関してはオルコスも無関係の、本当に偶然魔力に惹かれて迷い込んだ個体なのだろう。
「御覧の通り、外の世界には
「外の世界と、この森のどちらを取るか、だって?」
「判るだろう。混合魔獣とて魔獣の類に入る。だから今回のように、質の良い魔力に引き寄せられる。この森には質の良い魔力を持つエルフが沢山居るだろう。今度また襲われたらきっと、君が居なければひとたまりもないだろうね」
――この森に住まうエルフ達を見捨てて、外の世界を救うべく調査に出るか。
外の世界を見捨てて、この森を守るべく剣を振るうか。ローグはこのどちらを選ぶのか、と言っているのだろう。
胸中に重苦しい感情が圧し掛かる、そんな気がした。
魔王を倒す旅の道中にも山ほど経験した、どちらを選んでも後味の悪くなる究極の選択。俺は暫し逡巡した後、この森を出る身支度を始めた。
「アハ。酷いね君も。彼等には世話になったろうに」
「……楽しそうだな」
「愉しいさ! 君の苦悩する顔は大好きだ。悩みながら苦しみながらそれでも前をひたむきに歩もうとする君を見ると、本当に愛くるしくて堪らないんだ……ああ、早くこっち側に来てくれないかなぁ」
恍惚とした表情を見せるローグを他所に俺は少ない荷物を纏めて抱え上げると、廊下を慌ただしく駆け上がった。
視界の端に目を点にさせた彼女が見えるが、知った事か。もうローグの身勝手な思想にも、この世の理不尽さにもウンザリだ。
――最早この世に魔王は居ない。
ネライダの寝室の扉を激しく叩くと、中から寝ぼけ眼を擦りながら寝間着姿のネライダが扉を開けて来た。
彼女が何用かと尋ねるよりも先に、俺は自身の手に抱えている、鞘に収まった聖剣を差し出す。
「これ、渡しとく」
「はえ?」
困惑するネライダに聖剣を手渡すと、彼女はその重みに少しよろめいた。
彼女にこの剣は振れないかもしれないが、所有者が変われば俺の取得した聖魔術は消え、彼女が代わりに魔術を唱えられるようになるだろう。魔術に長けたエルフだ、習得に少し手間取るかもしれないが、これが最善策だと思った。
「森を襲った
「え、いや、でもこれ聖剣……」
「魔王はもう死んだ。だから殆どの魔獣は弱くなったし、混合魔獣に関しても多分、加護付きでも俺なら何とか倒せるだろう。もう俺にそれは無用の長物だよ。前回使ったのは時間が少なかったからだし」
未だ戸惑うように俺と自分が抱える聖剣とを交互に眺める彼女は、何処か外見相応のように見えた。その事についつい噴き出してしまう。
「――お前がして来た事を、納得はしないが理解はする。ただ、もうあんな事は止めろ。強制はしないが、聖剣を見せればお前に反感を抱いてる奴も黙るだろ。でもそれあげた訳じゃないからな。俺が居ない間、預けとくってだけだ。この森に戻った時には、またあのサンドウィッチご馳走してくれ」
「……はい」
俯いた彼女の声は震えていた。
少し大盤振る舞いした感は否めないが、言った通り余程の事がなければ聖剣を必須とする場面など少ないだろう。必要になった時に、またこの森に取りに戻ればいい。
踵を返して今度こそこの地を離れようとした時、不意に腕を引かれ態勢を崩しそうになった。
バランスを持ち直す為に身を屈めた瞬間、頬に何かがぶつかった。柔らかさは一瞬だけ、あとは頭突きされたような痛みが残る。
怪訝な目でネライダを見れば、彼女も痛そうに自分の口を手で押さえている。
「何がしたかったんだ」
「キスしようと、していました。失敗しちゃいましたけどね」
照れ臭そうに笑う彼女の顔は赤く、仄かに月の青白い光が差し込むような夜闇にネライダの赤い顔と言うのは酷く目立った。
「……やっぱり、私も納得出来ません。貴方があんな狼と付き合っているだなんて。なので、必ずこの森に戻って来て下さいね。その時は私も、貴方の顔を後ろめたさもなく見られるように努力しますので。そして、絶対に貴方を振り向かせて見せます」
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