第11話

 何も出来ない自分が居た。

 父が、母が、友が、仲間が魔獣に食い殺され、血に塗れ、苦悶の表情を浮かべる最中自分は息を潜めて草むらに隠れるしか逃れる術はなく、その光景は正しく地獄であった。


 弓の名手であった父が好きだった。

 美味しいご飯を作ってくれる母が好きだった。

 けれど彼等は皆、血と臓物を撒き散らした肉の塊と化し、そんな親しい人達を見ても泣き叫ぶ事すら出来なかったのだ、私は。


 震えるしかなかった私は、自分を呪った。

 無力な自分を、仲間を蝕む悪の存在を、この世の理不尽を呪い、神に祈りを捧げた。


 その祈りは確かに叶えられたのだろう。

 多くの仲間を食い殺した魔獣を、光り輝く剣を以て切り刻んだ彼は私を安心させようと不器用な微笑みを見せたのだった。


 ***


「――氷結魔術グラス


 魔術刻印を用いて地下施設へと己を転移させると同時に、掌を翳して詠唱と言う過程をスキップし、再度魔術を行使した。

 迫り来る数十にも上る魔獣の群れを出し惜しみもせずに全力で凍らせると、背後の連中を筆舌に尽くし難い思いで振り返った。


 彼等の会話は全て刻印を通して聞かせて貰った。

 森の女王に付き従う自警団の面々に、森の統治の為とは言え仲間を魔獣に食わせていたネライダの事。それに、正義を語りこの場に居る誰も彼もを殺し尽くそうと考えたオルコス。


 憧憬。執着。恋慕。恐怖。様々な感情の末路がこれだ。

 魔王討伐の際の旅路に目にした彼等の表情を思い出す。初めこそ家族を失った哀しみと魔獣に対する恐怖に染まっていた表情が、最後には掻き消え笑顔を作れるまでに至っていた、筈だった。


 故に最早彼等だけで問題はないだろうと判断し、俺は魔王を倒す旅を再開したのだ。

 魔王を倒さなければ、彼等は同士打ちをしなかっただろうか。そのような考えにまで至る程にこの光景は、惨たらしいものである。


「お前らの話は全部、聞かせて貰ったよ」


 この言葉に対する反応は様々だ。

 息を呑んで顔色を変える者に、バツの悪そうな顔をする面々。喜ぶように笑う少女の表情や、まぁ、ローグに限っては普段と変わりない、薄い笑みを浮かべるばかりだが。


「やっぱり本人の口から聞くと、違うでしょう勇者様。私も最初は我慢していましたよ、自警団に入り彼等の実態を見ても。けど――ネライダ様の貴方に対する恋慕を聞いて、もうダメでした。罪人が貴方に愛を語るなんて有り得ない。許せませんよね、そこの狼女諸共居なくなって然るべき人物です」


「ああ、まぁその辺はどうでも良いんだ。口出しする気もない。確かに道徳的な観点から見たら許されない行為だが、こう言ったものに口は出さないと決めたんだ。俺はこの村を去るよ」

「――え?」


 もうこの村に飼われた魔獣は全て凍り、あとは時間の経過と共に粉々に打ち砕かれるのがオチだ。

 ネライダが再度新たな魔獣をこの村に加えるとなると話は別だが、最早この村に滞在する気もないし、彼等を罰しようとも思わない。彼等の犯した罪は彼等で償うべきだ。償う気がないのならそれだけの話である。


「ど、どうして……。森を統治する為とは言え、仲間を魔獣に食べさせていた女ですよ? 貴方なら――」

「俺にどんな理想を押し付けてるのか知らんが、もう勇者としての旅は終わった。今は何者でもないし、それに。人が何かを守ろうと、正しいと考えている事に必要以上に干渉するのは、もう懲りたんだ」


 例え己を信じ相手のやり方を矯正したとて、その行為が転じて世の中に対し不都合な方へと転ずる事もある。

 俺が殺すべきは魔獣と、他人に対し圧倒的な理不尽を押し付ける犯罪者だ。簡単に言うと、他人に自分の正義を押し付ける事に嫌気が差した。必要な犠牲と言うのも、時にはあるのだろう。


 昔そのせいで痛い目を見たんだ。そう口にする俺を、言い様のない落胆したような瞳で、彼女は見ていた。

 オルコスの言い分とて判らなくもない。彼女は、昔の俺に似ているのだから。


 帝国を相手していた頃の、魔獣に襲われ失意にあったエルフの森を支えた頃の――聖剣を神殿から抜く前の俺に、似ている。

 故にオルコスの行為を何となく責め切れない俺が居た。後は自警団に任せよう。踵を返そうとした俺の背後から、クスクスと笑う声が聞こえた。


「ああ、勇者様。貴方は変わってしまったのですね。あの日、あの時、震えるしかなかった私を救って下さった貴方は、輝いて見えたのに――変わってしまったのなら、私が前の貴方に戻して差し上げます」


 瞬間、地下施設の周囲全体が揺れた。

 地震かと思ったが揺れは断続的なもので、違うと気付く――妙な胸騒ぎがする。


「森の地理には詳しいとお話ししましたよね。実は私、森の各所に先程の魔力を混入させたポーションを幾つか小細工して仕掛けていたんです。それを今、全て割りました。この揺れはおそらく、まぁ。勇者様なら御察しが付くかと」


 魔獣は、質の良い魔力に誘われる。さながら、蜜に引き寄せられる虫のように。

 俺は直ぐに身を翻すと自警団の連中を突き飛ばし、地下の外に出た。少し遅れて彼等もオルコスが口にした言葉の重みを理解したのか、騒ぐような声と共に慌ただしく指示が飛んだ。


 向かう先は決まっている。エルフの住まう居住区に近付くにつれ、幾つもの悲鳴が聞こえて来た。あの日、エルフの森が襲われその半数が魔獣に殺された時の凄惨な光景が、脳裏に蘇る。

 現場に着くと、俺は思わず息を呑んだ。まだ魔獣がこの森に訪れて間もないのか、被害は少ないしエルフの人々も殺されておらず、逃げ回っている最中だ。


 だが、仄暗い森の奥から大きな足音を立てて駆け寄る冒涜的なその姿に、思考が数舜遅れたのだった。


「……混合魔獣キマイラ?」


 複数の獣が雑多に混ざり合ったようなその姿は、酷く不格好で不釣り合いだ。

 エルフの建てた櫓よりも背の高いこの怪物には、見覚えがある。帝国が魔獣を軍事利用しようとした際に作り上げられた、言わば人工的な存在である。


 とは言え結果的にその実験は王国の妨害により中止された筈だ。

 故に完成体はなく、出来上がったとしても肉体は数十分と持たない欠陥品が殆どだったのに、目の前の混合魔獣を見るとそれに継ぎ接ぎはなく、人々を畏怖させるに足る列記とした魔獣のように見える。


「――っ。火炎魔術フレイム


 これをマトモに相手取るのは初めてだが、すべき事は変わらない。掌の刻印を浮かび上がらせ、詠唱をスキップし魔術を行使する。

 渦巻くような意思を持つ炎が、圧倒的な熱量と共に目の前の魔獣へと迫った。幾ら人工的なものとは言え、元々の素材は魔獣に変わりはない。ならば魔王が死に、弱体化した今でならこの程度の魔術で事足りる、筈だった。


 咆哮と共に魔獣へ迫り来る炎が掻き消えた。その事に目を剥くと同時に、攻撃して来た俺を敵だと認識したのだろう。

 進行方向を変え一直線に此方へと突撃して来る巨体を躱すが、コンマ数秒判断が遅れたせいで魔獣の着地時に発生した衝撃波を受け、地面に転がった。


 直ぐに態勢を整えようとするが、獣が手負いの相手を待ってくれる筈がない。

 その巨体に似合わない素早さで魔獣が身を翻し、再度俺に轟音を鳴らしながら突進しに来るのを見て、回避行動が間に合わないと判断した俺が鞘から聖剣を抜くと同時に、視界の端に白い影が横切ったのを見た。


 肉を裂く独特な音。

 見れば象の足程の太さもある魔獣の、四本ある内の一本。その足に何とか肉にまで届き得る斬られたような傷が出き、バランスを崩した魔獣は俺に届くよりも早く近くの木々をなぎ倒しながら巨体を転ばせる。


「~っ。やっぱり硬いなぁ。足一本切断する勢いで斬ったのに、あれだけの浅さかぁ」

「……勇者様。大丈夫ですか?」


 余程硬かったのだろう。見上げれば双剣を彼等に返してもらったのか、お得意の俊敏さを以て斬りに掛かったものの、手が痺れたように悶えるローグと、土に汚れた俺を何処か居心地が悪そうに見詰めるネライダが居た。

 ネライダに関しては少し思うところもあるが、今はそうも言ってられない状況だ。立ち上がると魔獣の方に目を凝らし、更に自身の魔力を用いて視界を強化させる。


 ――在った。何処か龍の顔を模したような頭に刻まれてあるのは、加護の印だ。

 通常は神の加護を受けた者のみにしか浮かび上がらない刻印。自分の魔術が容易く掻き消されたのでもしやと思い見てみたが、本当にあるとは思わなかった。何せ魔獣に加護が受けられる訳がない。


 神獣の類なら話は別だが、これが神の元にある獣のようには見えなかった。

 

「……あの混合魔獣。加護が掛けられてある」

「え? そんな、在り得ません――」

「良く見てみろ、額の方。加護がある限り、生半可な魔術じゃあ傷ひとつ付かない。だから少し時間を稼いでくれ、あれを倒すに足る魔術を唱える」


 俗なものでは先程のように、咆哮と共に消されてお終いだ。

 ならば手っ取り早く終わらす為にも、その加護に匹敵する魔術を唱えて殺すしかない。時間を掛ければ掛ける程、オルコスが仕掛けたポーションにより魔獣が更に引き寄せられる。ここで時間を浪費する訳にはいかない。


 ローグの薄い笑みと、ネライダの自警団を指揮する声。

 それらを聞き流しながら俺は、聖剣にそっと手を翳した。詠唱を開始すると共に、刀身の輝きが更に増し始めた。


 聖剣を手に入れた理由は『魔獣に効果があるから』と言うただ一つに過ぎないが、これを手に入れて得られるメリットなら多く存在する。

 邪なものを払うこの剣ならば通常の魔獣は勿論、非実体の亡霊スペクターや不死の食屍鬼グールにも効果がある他に、聖剣の所持者には属性が『聖』に類する、上位に該当する魔術を扱う事が可能になる。


 激しい戦闘音と、時折聞こえるエルフの悲鳴に心を乱されないように集中する。

 詠唱が終わると同時に目を開くと、周囲は眩い程の光に包まれていた。全てを呑み込むような、白い光に。


聖魔術ホーリー


 次の瞬間夜が明け、世界に朝が訪れた。

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