第6話 またヒモになりそう

 古く、趣のあるような板張りの天井が視界に入った。

 はて、ここは何処だろうと周りを見回すと、簡素な――悪く言えば広い癖に殺風景な寝室の景色が見え、ここに至った記憶を辿ろうにも意識が混濁しており、どうにも思い出せない。


 とは言え身体に拘束具も、室内に罠なんかもなければ自分を監視する人の目もなく、ただ辺りには静謐と洗練された雰囲気があるだけだった。

 ゆったりと身を起こすと同時に、ぐぅ、と腹の虫が鳴る。


 どうにもひもじい。お腹が減り、ひり付くような喉の痛みもあった。幾ばくかの日時を飲まず食わずで居たのだろう。

 誰か居ないか、もしくは何か食べられるものはないのかと、見知らぬ家なので気は引けたが家探しでもするかと立ち上がったら、突然何の前触れもなく室内の扉が開かれた。


 静かな足音と共にやって来た少女と目が合う。 

 四月の木の葉を思わせる新緑の長い髪。伝統のある祭祀が身に纏うような神々しく、洗練されたデザインの服装。見覚えのある外見の少女に思わず目を丸くさせた。


「……ネライダ?」


 ハイエルフ特有の美しくもあどけなさの残ったような、完成された女性としての優美を備えた美貌と、長く尖った耳を見れば人違いなどする訳もない。

 彼女――少女と表しても良い外見なのだけど、こう見えて自分の何百年も多く生きているから実際の所は微妙なのだが、兎に角ネライダとは面識があり、このような場面で再開するとは夢にも思わなかったものだ。


 ネライダは水の溜まった桶とその中に浮かぶ質の良い布を抱えていたのだけど、俺が目を覚ましているのを青く、澄んだ瞳で認識するなり、急いでこちらに走り寄って来るのだった。

 

「お、お目覚めになられたんですね!」

「あ、ああ。まぁ」


 詰め寄る際の迫力とぐい、と距離を詰めに来る彼女の整った顔立ちに花の香り。

 加え歓喜溢れるような声を聞けばいよいよ鼻白むしかなく、顔を仰け反らせ苦笑する俺に、彼女は安堵したような溜め息を吐いた。


「本当に良かった。森の中で倒れていた貴方を見た時は、頭の中が真っ白になりましたよ」

「……え? 倒れてたのか、俺って」

「ええ、はい。供回りの方々と一緒に森の様子を見て回っていたら、泥だらけの貴方を見付けたんですよ」


 ――思い出して来た。

 確かパトリオットの元から飛び出し、適当に宛てもなく放蕩していたら金が尽きて、いよいよ腹が減り森の幸にでもお世話になろうかと中に入ったはいいものの、動物も居なければ川も見付からず、行き倒れたのだっけ。


 こうして思い出してみるとかなり情けない。昔は旅の間に金が尽きても何とかなったのだが、ここ暫くは自堕落な生活を続けていたせいで勘が鈍っているようだ。

 何はともあれ、おそらくネライダに助けて貰わなかったら死んでいただろう。礼を口にすれば、彼女は特にこうなった理由も追及せず、照れたように笑うのだった。


「そう言えば。貴方ってば直ぐに何処かに行っちゃったので言いそびれましたが、あの時は有り難うございました。それと――魔王の討伐、おめでとう御座います。長老も酷くお喜びになってましたよ」

「そりゃどうも。何だか照れ臭いな」

「ふふ、あれだけの偉業をしてみせたのです。国の方々にも盛大に祝われたのではないですか?」


 思わず言葉に詰まる。

 一瞬嫌味を口にされたのかと被害妄想を抱くが、彼女の顔を見れば不思議そうに首を傾げるばかりで、俺が王国で迫害を受けていた、などとは露ほども知らぬような。


 エルフは基本的には人間嫌いで、それ故に人の住む世界とは隔絶したような空間で多くは暮らしている。

 実際俺も彼女達と出会った初めの頃は、その排他的且つ閉鎖的な態度に苦労したものだし、となると外の世界の事情を知らなくても可笑しくはない。


 情けないし格好悪いからあまり話したくもなかったが、助けてくれた手前嘘を吐いたり誤魔化すのも何だか気が引けた。

 だから自身が置かれて居る状況を、流石に知り合いの名は伏せた上で簡単に語ってみせたのだけど、

 

 ――俺の言葉に耳を傾けている間のネライダの表情には、妙な威圧感が感じられた。

 冷静を取り繕うように能面を思わせる無表情を顔に貼り付けているのだが、時折に瞳が憎悪に歪んだり彼女の拳が震える程に握られたりなんかしてる所を見ると、俺の境遇に共感してくれているのかと嬉しくなるが、時に言葉が詰まる程の圧を感じると言うか。


「酷い、話ですね。利己的で、醜くて、本当に――。人間は好きになれそうにありません」

「俺も人間なんだけどな」

「貴方は違いますよ。人であることに変わりはありませんが、自分の事だけを考えるような、身勝手な方ではありません。優しくて、不器用で、目の前の不正を許しは置けない、そんな人です。貴方の事を理解しているのはきっと、私だけでしょうね」


 白く、陶器のような肌をした彼女の掌が俺の無骨な手を握った。

 相手の手は存外に冷たく、俺の方から温もりを彼女に与えているような形だけど、それでもここ何カ月振りかのスキンシップに幾らか気持ちが楽になるのを感じた。


 共に在るだとか傍で見守るだとか口にしていたローグも最近は見てないし、いや、そもそもアレに温もりを求める方がおかしな話か。温もりを与えられるどころか、奪われかねない。勿論、命的な意味で。

 

「それよりも、勇者様。身体の方は大丈夫ですか?」

「ああ、まぁ。少し喉が渇いたのと、腹が減ったのを除けば、体調面に問題はないと思う。ネライダのお陰だ」


 先程少し話した内容によると、俺が目を覚ましたのは2日振りくらいのようで、その間は彼女自身が甲斐甲斐しく俺の世話をしてくれていたようで、寝たきりではあったが軽い粥くらいのものは食べさせてくれたり、更には治癒魔術ヒールを用いてまで身体の不調を取り除いてくれていたらしい。全く彼女には頭が上がらない。


 その後は彼女が作ってくれたと言う軽いものを食べ幾らか落ち着いた辺り、是非とも長老に会って頂きたいと頼まれたので、こちらとしては断る理由もないから長老が居る家まで案内される最中、森の清浄な空気を吸いながらふと、後ろを振り返る。

 

 そこには屋敷と表してもおかしくないような建造物があった。

 材質は大体が木であるが、それでも見る者を感嘆させるような匠に作られたデザインで、何も全てのエルフ族があのような屋敷に住んでいる訳ではない。


 ほんの一握り、それも由緒正しい血族の者だけが住める空間で、詰まる所――彼女の正体は、エルフ達を率いる女王の家系。その一人娘であったりする。

 尤もネライダの母親は死んだ。エルフは人が嫌いだから隔絶された世に生きるが、それは理由のひとつに過ぎず、他にも訳はある。


 エルフの大体は魔術適正が生れ付き高く、質の良い魔力を持っている。

 それ故に様々なものに狙われ易い。人の道を踏み外し、外法を良しとする魔術師や富豪の類。加えその魔力に引き寄せられる魔獣にも。


 当初魔王を倒す旅に出掛けていた俺は強力な魔獣が確認されたと言う森の深奥に出向き、そこでネライダ達の住まうエルフの森を見付けたのだ。

 

「その、大丈夫か? 母親が居なくなって、お前が森を仕切る事になったんだろう。あれから、どうなんだ」

「ああ、最初はまぁ、大変でしたけど……今はもう、大丈夫です。みんな言う事を聞くようになりましたし――邪魔者も、消えました」

「……? まぁ、平気なら良いんだけどさ」


 彼女の不穏な表現の仕方に少し違和感を覚えたが、こちらを振り向き瀟洒に微笑んだネライダを見て何も言えなくなる。

 ――森を見付けた頃には既に彼女達は襲われていて、大混乱に陥っていたのだ。


 直ぐに苦戦したものの魔獣は倒したが、森は酷い有様であった。 

 木々は倒れ、家は踏み潰され、半数にも昇るエルフは皆息絶えた。その際に彼女の母親も死したようで、絶望に苛まれる彼等の顔を、今でも覚えていた。


 助けた以上は責任が生じる。

 もっと言えば母親が死んだ事により、今度は自身がこの森を統治せねばならない事に苦しむネライダを放ってはおけず、取り敢えず事態が落ち着くまでは森の見回りを務めた。これが彼女達との起承転結である。


 思い出に耽っている間に長老の住む家の前に着いたようで、俺とネライダは共に中に入った。

 特に記述するべき事もないような内装だ。玄関から上がると来客に気付いたのか好々爺と言った具合の老人が廊下の向こうからやって来て、こちらを認識するなり嬉しそうに声を張り上げる。


「おお、勇者殿! お目覚めになられたのですか。ささ、どうぞこちらへ」


 大きな部屋の中へと案内され腰を落ち着かせると、彼の女房と思しき老婆が香りの良い茶を人数分、持って来た。

 その際に老婆がおどおどと、何処か緊張したように見えたが気のせいだろう。ネライダが俺の事情を彼に話すと深く理解したように頷いて、そこから先はとんとん拍子に会話が進むのだった。


 何でも、事態のほとぼりが冷めるまでネライダの屋敷に俺を住まわせたらどうか、とか。

 流石に彼女に迷惑が掛かると降りようとしたが、意外にもネライダがこれに乗り気で、結果的には俺が彼女の安全を守ると言う名目で話は落ち着いたのだった。


「さて、何はともあれ勇者殿。魔王の討伐ご苦労様でした。森に魔獣が来なくなりましたので、きっと貴方様が悪しき魔王を倒してくれたのだと信じていましたよ」

「ええ、貴方には本当に助けて貰ってばかりで――そうだ。近い内に皆で勇者様の歓迎会兼、魔王討伐を祝するパーティーを開催するのはどうでしょう!」


 ――気持ちは有り難いが、何だか気恥ずかしいものである。

 まぁ王国でふいになった祝い事を彼等が開いてくれるのは嬉しいし、厚意を無下にする訳にもいかまい。


 暫くはネライダの屋敷に世話になるのと、近い内にパーティーを開くと言う事で纏まり、この場はお開きとなった。

 さて、それじゃあ彼女の屋敷に戻ろうと踵を返そうとした瞬間、長老から握手を求められた。何だか変なタイミングだが、別に構わないだろう。


 互いに手を交わすと、不意に自分の掌に妙な、カサカサとした感触を覚える。

 中を確認して見ると、一枚のくしゃくしゃに丸められた紙が掌に収められていた。不審に思い長老の方に目を向けると、彼はそそくさと部屋の中に戻ってしまう。


 何だか妙な予感がして、玄関口で自分を待ってくれているネライダに背を向けたまま、こっそりと紙の内容を確認した。

 そこには簡潔に一文。


 ――彼女を信用するな、とだけ書いてあった。

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