第7話
宴にあって然るべき喧騒。杯を鳴らす音に笑い声、森の幸を基本とした料理の香ばしい匂いや肩を組んで踊る連中。
久方振りのどんちゃん騒ぎに少し疲れたような気がして、俺は広場を見渡せる、人気のない場所で一息ついた。
日が西に傾いた辺りから始まったこの宴は、夜も更けそれなりの時間が経ったと言うのに、未だに終わる気配すらない。
それどころか森が暗くなった事に気付いたら、広場の中央に枝を組み立て魔術を用い、巨大な焚火を作り出してしまった。終いには皆が燃え盛る炎の傍で余興とばかりに踊り出す始末。おそらくこの分だと、日が昇るまで宴は続くと思う。
炎の傍から離れた事で周囲は少しばかり暗いが、森の中の新鮮な空気と夜の冷たい風に酒の酔いが醒めていくのを感じた。
安酒とは違い振舞われたものは高級な酒だ。呑んだ時の味はまだ舌の上に残っているし、酔いも不快なものではない。場の雰囲気も良く、本当に久し振りに気持ち良く酔えたと言えるだろう。
だが、それでもふとした時に抱く疑念が頭を擡げるせいで、心の底から宴を楽しめる事はなかった。
長老が俺に渡して来た紙に書かれてあった一文――彼女を信用するなと言う言葉。
彼女とは誰の事か。
まぁ場面的に考えればネライダの事を指しているのだろうけど、だとすれば彼女に何か裏の顔でもあるのか。それとも、あの紙に書かれていた言葉は単なる老人の狂言であると認識すべきか。
宴には夜の森を警戒する自警団の一部を除き、この森に住むエルフの殆どが参加している。
彼等の顔は皆一様に溌剌としたものだ。少なくとも彼等のこのような表情は、ネライダが後ろめたい思想に取り付かれていたりなんかしたら見れないものだろう。やはり、長老の言葉は聞き流すのが吉か。
「――楽しくないですか? 勇者様」
隣から少女の声が掛かった。見上げれば、不安そうに俺を見るネライダの顔がある。
「いや、少し疲れて。ここで休んでた」
人気のない場所で難しい顔をしていれば、楽しめていないと見て取れるか。
折角俺の為に開いたと言う歓迎会だと言うし、気難しい事はなしでいこう――と言いたい所だが、ここに居るのは思考を整理させたかったのもあるけど、単に場の雰囲気に疲れたと言うのもあるのだから。
安堵の声を漏らした彼女は、切り株に腰掛ける俺の傍に佇んだ。
視線はバカ騒ぎしている美男美女揃いのエルフ達に向けられていて、皆を見守るような表情は母親のものに似ている。
外見こそまだ幼いし、実際人の視点ではなく長寿なエルフの視点から見たら彼女はまだ少女の部類に入るのかもしれない。
出会った当初の数年前は何時も顔を曇らせていたと言うのに、成長したものだと感心する。俺は彼女の父親でもないので、その事を口にするのは恥ずかしくて出来なかったが。
そこで、不意に気付いた。
宴の中で騒いでいる連中の顔を見比べていると、彼等の中に長老の姿がない事を。
「ん……あれ、長老が居ないな」
「あの方なら昼から体調が優れなかったようで。このパーティーには参加していませんよ。心苦しかったですけど、既に準備も整っていたので中止にする訳にもいかなくて……」
あの年だ。体調を突然崩しても何もおかしくはない。
とは言えあの紙の事について少し聞きたい事もあるし、見舞いがてら家にお邪魔しようか。そう思い腰を浮かせると、ネライダに肩を押さえられ強制的に座らされた。
「もう少しお話しましょう。それとも、何か用事でも?」
「いや……長老の所に見舞い行こうかな、と」
「大丈夫ですよ、あの人なら。それに、無理に押し掛けると迷惑かもしれませんし」
肩に掛けられる力が強くなる。元々が少女と同程度の腕力であるが、こうも念を押されると無理にこの場を離れる方が失礼に値する。
それに、有無を言わせないような彼女の瞳があの夜、俺の袖を掴んだパトリオットのものと重なったと言うのもあったのだろう。
***
後日。森の大木の傍で息絶えた長老とその妻を見て、愕然とした。
死因は両方共、失血に因るものだろう。身体には獣に爪で裂かれたような傷跡があり、二人を中心にして赤い血溜まりが広がっている。
朝、ネライダに叩き起こされ昨夜の疲れや頭痛を訴えるも直ぐに来てくれとここまで連れて来られた訳だが、まさかこのような光景に出くわすとは思わなかった。
集まる野次馬をエルフの自警団連中が解散させ、場には俺とネライダを含む数人のみが残り彼等が死体を粛々と片付ける中、果たして本当に獣に殺されたのではと言う疑念がふつふつと湧いて来る。
エルフは魔力に富み、魔術を扱う。
故に獣如きに殺されるほど弱くはないし、となるとこの森の中で悠久の時を生きた長老が例え不意打ちを突かれたとしても、死ぬとは考え辛かった。
「……魔獣の、仕業です」
か細く呟いたネライダの言葉を聞き逃す事は出来なかった。
彼女の肩を掴み詰問するような形となったのは半ば無意識で、華奢な体躯を見下ろし、食い付くように問い質せば怯えた表情をしながらも彼女は健気に語ってくれる。
曰く、数カ月前から森に魔獣が見受けられるようになったと言う。
尤も魔王が死した以上、魔獣の力も弱まり自警団の数人程度で対応可能だが、問題は魔獣が見られるようになったのと同時期から不定期にエルフが殺されている事にあるらしい。
被害者は皆、爪で裂かれたか中途半端に食われたかのどちらかで、獣に殺される程自分達は軟ではないし、同族の何者かに殺されたにしては不自然な傷跡だ。
となると、何か魔獣の類に殺されているのではと言うのが彼等の見解で、夜間には特別な時を除き外出を禁じ、交代制で自警団が夜の森を警戒しているのだと。
昨夜の宴にはそんな閉塞的な雰囲気を紛らわそうと言う意図もあったようで、だが死人が――それも、よりもにもよって家の中に居た長老が殺された事により裏目に出たようだと、表情を曇らせるネライダを見て冷静になる。
「何でそんな大事な事、俺が目を覚ましてから直ぐに教えてくれなかったんだ」
「……迷惑かな、と思いまして。折角厄介事から逃げてここまで来れたのに、また面倒な事に巻き込まれたら、貴方も嫌になるかと」
「そんな訳ないだろう。兎に角こんな状況を放ってはおけない。俺も夜間の周囲警戒のシフトに入れてくれ、それと――」
喉にまで出掛かった言葉を呑み込む。ただでさえ状況は複雑で、彼等も混乱しているのだ。必要のない情報は与えない方がいいだろう。
死体袋に入れられた二人の亡骸は、この後土葬されるのだと言う。
一先ずネライダは自警団の連中と話があると言い残しその場を立ち去り、対する俺は一応の住処となっている彼女の家に帰る最中、どうしたものかと考える。
犯人を見たものは居なく、だが状況証拠から察するに加害者は魔獣だと言うのが彼等の見解だが、魔獣とて『獣』の文字が入っている以上、所詮は知能の低いような存在に過ぎない。
そんな存在が夜に、それもわざわざ人の少ない孤立した長老とその妻を選んで襲撃したなどとは考え難かったのだ。
あるとすれば魔獣ではなく、悪魔の類だろう。悪魔も魔王が死んでから大いに弱体化したが、その分を補えるだけの知能がある。
有名どころだと
連中なら夜に紛れて一人ずつ殺す事も出来そうだが、彼等が好むのは人の魂であり、魔力に引き寄せられる魔獣とは違うものだ。
悪魔が出現するのであれば人口の少ない町や人の村であるべきで、エルフの住む森に現れるのもこれはこれで違和感がある。
故にこの件は俺を大いに悩ませたのだが、ひとつ。魔獣の類に分類され、狡猾な存在を俺は知っていた。
人に扮し、夜になると正体を現し人を食らう――人狼の逸話だ。
あれも好むものは人の血だが、考えられるとすればこれくらいしかない。如何せん状況と逸話の内容が幾らか一致している。
その時ふと、ローグの赤い瞳に自分が見られているような気がして、周囲を見回した。
当然ながら彼女の姿はない。あるのは肌寒い森の風と、何処か不安を覚えるような曇天の空。それに時刻は昼に近いと言うのに仄暗く、薄気味の悪い森の景色のみだ。
今更になって彼女の、自分は君と共に在る――などと口にされた言葉を思い出した。全く以て、悪い冗談である。
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