第5.5話

「いやぁ全く、私が言えたものじゃないけど、酷い女だね君は」

「違う、違うんだ――オーウェン。信じてくれ」


 俺の名前を虚ろな声で口にするパトリオットが、縋り付くように俺の身体に触れて来た。

 けれど彼女の冷たい手の感触に反応する事は出来ず、頭の中では似たような言葉が何度も繰り返されている。


 ――パトリオットが、俺に対する誹謗中傷を新聞屋に告発した、などと。


「……ローグ。お前が新聞屋の男を痛め付けて、無理矢理に嘘の言葉を口にさせたんじゃないのか?」

「おっと、どうやら私の方が信用がないらしい。それじゃあ新聞屋に直接会ってみるかい? 仕事の都合上、自白剤にも似た効果のあるポーションもあるんだ。ほら、行こうじゃないか」


 腰にある携帯用のポーチから白色の液体が入った小瓶を取り出すと、ローグはそれを見せびらかすように振って見せた。おそらく、それがそうなんだろう。

 こんな時間だ。面倒だし相手にも迷惑が掛かるけど、自分が抱いた疑惑を解かなければ、今夜は眠れない気がしてならなかった。


 彼女の言葉が虚偽のものならば、今度こそ相手と口を聞かなければいい事だ。

 ローグの言葉に頷き夜の王都を進もうと、パトリオットの隣をすり抜け外に出ようとしたら、後ろから服の袖を掴まれた。


 それは華奢で白く、剣を巧みに扱う者とは思えないような腕で、振り向けば顔色を青くさせたパトリオットが居る。

 俺を引き留めようとしたのか。だが彼女の行為は、その顔色は胸中の疑いを色濃くさせるものだ。本当に疚しいものがないのなら、快く見送って欲しいのに――。


「止せ、行くな。行かないで……。今夜はもう寝よう。一緒に、な?」

「これが終わったら直ぐに戻るさ。少し待っていてくれ」

「……行ったら、そこの女に何をされるか判らないぞ」

「なら少し面倒に思うかもしれないが、一緒に来てくれないか? それなら――」


「私を、信じてくれないのか! オーウェン!」


 俺がパトリオットに疑惑を抱く、そのこと自体が気に入らないのか、夜の空に彼女の怒号が響いた。

 一週間前のあの日を思い出した。彼女は落ち着きがないように様々な感情を瞳に孕ませると、元は美しい色をした碧眼に末恐ろしい、虚ろな色彩が混ざる。


 それは、洞穴の中で俺を押し倒したローグの瞳に類するもののように感じられた。

 狂信的に輝くローグの赤い瞳と、虚ろに空を見据えるパトリオットの青い瞳が重なるのだ。そんな色を目にすると彼女達が何を考えているのか、俺に何を求めているのか判らなくなる。


 袖を掴まれ困惑する俺のもう片方の腕を、ローグに取られた。見ると、あの時より幾分か理知的な感情の含んだ瞳で彼女が俺を見詰めて来る。

 何故か今ばかりは、ローグの方を信じるべきだと、そう思った。


「……すまない。直ぐ戻るから」


 そっと袖を掴むパトリオットの掌から逃れると、彼女は虚空を握る自身の掌を茫然と見、虚ろに笑んだ。

 幽鬼のような足取りで彼女が家の中の暗がりへと進んで行く。その様子が気にならない訳でもないが、この用事を済ませたら直ぐに家に戻ろうと言う思いと共に背を向けた俺の耳に、すらり、と。


 金属と金属が擦り合うような、剣を鞘から抜いた音を彷彿とさせる音色が届いた。

 思考よりも先に身体が動く。懐に隠していたナイフを取り出し、直ぐに物質強化の魔術を付与すると闇夜に舞った白刃をそれで受け止めた。


 夜の空に甲高い金属音が響き渡った。

 目の前のパトリオットを、信じられないような思いと共に目にする。受け止める剣は騎士団の誉れ高い銀色の、世界が誇るべき王都一の鍛冶屋で造られた精巧なもので、まさかこの剣を受け止める日が来るとは誰が考えたろうか。


「――逃がさない。絶対にだ」

「逃げるも何も。ただローグと一緒に真意を確かめに行くだけだ。もし彼女の言った事が本当なら、判らないけどな」


 剣を弾いて後ろに下がると、嫌な笑みを浮かべるローグが隣に居た。

 俺が堕落し、憎悪と共に在る姿が見たいと口にする彼女の事だ。この状況は業腹だが、彼女が好むような光景に違いない。


「ああ、ああ。認めるさ。新聞屋に金を握らせお前の誹謗中傷を新聞に書けと言ったのは、私だ。本来予定されていたパレードが中止になり、国民もお前に対する疑惑を抱き始めたあのタイミングなら、お前を孤立出来ると思ったから」

「……何で、そんな事をしたのか聞いても良いか?」


「そんなの決まっているだろう! お前を――愛しているからだ」


 彼女の今までの俺に対する行き過ぎた行動から、そうではないのかと考えていたが、ならば何故俺をそのような危ない手を使ってまで社会から隔絶させようと考えたのか。

 常識的に考えれば好きな相手と言うのは、その人を幸せにしたいと考えるべきではないのか。彼女が口にした言葉と、移した行動には違和感があった。乖離していると言ってもいい。


 困惑する俺に近付く顔があった。それは隣に佇むローグのもので、そっと俺に耳打つ声に苦笑を漏らす。


「愛にも様々な形があるんだよ。君は理解出来ないと思うだろうが、実際他にも君に異常な感情を向ける相手が居るじゃないか――私とか、ね」

「ああ、そうだったっけな」


 妙に納得が行った。何と判り易い説明だろうか――理解は出来ないが。


「さて、面白いものも見れたし。行きなよ」

「は? 行くって……お前はどうするんだよ」

「彼女を止めておく。君がこんな所で大事なんか起こしたら、今度こそ捕まっちゃうよ。後は私に任せてくれ」


 どう言った風の吹き回しだろうか。

 彼女の行動原理は俺を苦しめる事にある。故にこの状況であるならば、俺とパトリオットとの殺し合いでも眺めながら嫌な笑みを浮かべているに違いないと、そう思っていたのだが――。


 ローグは双剣を抜くと、俺の事を守るように前へと躍り出た。

 自身を憎々し気に睨め付けるパトリオットなんぞ何処吹く風と言ったような飄々とした態度で、一度こちらを振り向いた彼女は、やはり底意地の悪い、呪いの言葉を残し笑うのだった。


「逃げるといい。だけど、これだけは覚えておいて。今度こそ君は――独りぼっちだと、言う事を」


 ***


 列車の汽笛が鳴る。

 車窓から流れる景色はどれも似たようなもので、長閑な、そして牧歌的なものだった。


 けれどその景色が俺の心を震わせる事はなく、不意にローグの零した言葉を思い出し、苦笑した。

 ――君は、独りぼっちだと、彼女はそう言ったのだ。


 確かにその通りである。自分を住まわせてくれていたパトリオットには礼のひとつも言わずにあんな別れ方をしたし、ローグもひょっとしたら今頃、彼女に殺されているのかもしれない。

 俺にはこの列車が何処に向かっているのかすら、判らなかった。


 王国の孤児院で生まれ育った俺に両親は居ないし、故郷とも言うべき王国は俺を裏切り迫害したのだ。もう俺に帰るべき場所などない。

 ローグとの仕事で稼いだ金が、今は唯一の頼みの綱だった。最初はパトリオットに返そうと考えていた金だが、今は彼女の顔を思い出す事すら辛かった。


 呆、と何を考える訳でもなく、右から左へ流れ行く景色を無心で眺めていると、俺の居る三級相当の安く、故に中には椅子と簡易的な机しかない個室の扉が開かれた。

 誰か来たのだと外套のフードを深く被り直す、よりも早く、扉を開けた相手の顔が視界に映った。


「……ローグ?」

「やあ、また会ったね。相席いいかな」


 頷くよりも先に彼女は自身の腹を押さえながら、席に着いた。

 良く見ると顔色が少し悪い。更に言えば赤色の――血によるものではなく、元からそう言った色の――上着を身に着ける、彼女が押さえる腹の辺りを見ると、その一部分は赤黒く染まっていた。


 碌な荷物も持たずに王都を出たものだから、今の俺は殆ど手ぶらにも近い状態であった。が、それでも最低限のものは持っている。

 俺は隣の椅子にある荷物の中から緑色のポーションを取り出すと、それをローグが見えるようにと机の上に置いた。


「あげる。怪我してんだろ、飲んだ方がいい。医療用ポーションだ」

「……意外だな、君が私の事を案じてくれるだなんて。それに医療用のポーションだなんて高価なもの。売った方が良いんじゃないの?」

「魔王討伐時に用意したものが幾つか余ったんだ。使う予定はないし、思い出の品だから売るのもなんだか。怪我してるだろう、どうせだから使ってくれ」


 ローグは暫く眇めるようにポーションを眺めていると、ふっと笑って小瓶を懐に仕舞った。


「生憎、これくらいの傷じゃあ死なないんだ。人狼ウェアウルフは人間よりも自己治癒力が高い。まぁ、他の獣人族にも言えたものだけどね。けどまぁ、君から貰った品だ。大切にしておくよ」


 使わないなら返せと口にしそうになるが、何故か彼女のあどけないような笑顔を見て、そう言う気も失せた。

 互いに車窓から外の景色を眺めている。何故ここに居るのが判った、とか。君は独りだ、なんて言っときながら何故来たのだ、とか色々と尋ねたい事はあるが、神出鬼没な上に何を考えているか判らない彼女の事だ。聞いた所で理解するのは難しい。


「……パトリオットはどうした」

「お優しいね。残念ながら彼女は殺してないよ。と言うより、あの装備じゃあ騎士団団長を殺す事なんて不可能さ。程よく暴れて、機を見計らい逃げたんだ」


 彼女の言葉に少し安堵する自分が居た。

 幾らパトリオットが、俺が王国で孤立するようにと新聞屋に金を払い、嘘の情報を流した張本人とは言え、彼女はあくまで切っ掛けを作ったに過ぎない。


 パトリオットの行動がなくとも、俺は遅かれ早かれ孤立していただろう。とは言え、パトリオットに対し思う事がない、と言えば嘘になるし根にも持っているが。


「それで、君はこれからどうするんだい」

「知らん。適当に朝が訪れてから、この列車に駆け込んだんだ。これが何処に行くのかすら判らない」

「……適当だなぁ。帝国の方とか良いんじゃないか?」

「幾ら何でも帝国はないだろう。連中とは昔いざこざがあったんだ、行ったら今度こそ逮捕されかねない」


 あの騒動を思い出す。帝国が魔獣を戦に利用しようとしたのを、パトリオット含める王国の騎士団連中と共に食い止めたのだ。

 その際に連中には恨みを買った。今度帝国の保有する領土に足を踏み入れたらどうなるか。溜め息を零した俺に向け、ローグは一枚の新聞紙を投げるのだった。


 彼女に目を向ければ、顎で見ろと催促して来る。

 ので言う通りに新聞紙を広げてみれば、これが帝国の政治下にある新聞社が発行したものだと言うのが判った。

 

 驚くことに、その一面には勇者の偉業を称えるような内容が載せてあり、思わず目を疑った。王国の新聞屋が発行した内容とはまるで真逆のような事ばかりが書いてある。


「王国で君に対する悪評が付いた辺りだね。帝国の新聞社がこぞって君を褒め称え始めたのは」

「は。自分達のものにでもしようと考えているのか。あからさま過ぎるだろう。別の意味で行く気が失せた」

「王国も馬鹿だよねぇ。勇者を排斥するなら、君が別の所に取られないように逮捕するか、処刑すればいいのに。まぁ、その辺は若しかしたらあの団長さんが手を回したのかもしれないね」


 読み進めて行く内に、ある一文――『歌姫』の単語に目が行く。

 あの時に出会った少女の顔が頭の中に思い浮かんだ。どうやら彼女が帝国市民の勇者に対する印象を操作するようなプロパガンダじみた曲を作ったようで、未だに政治利用されているのかと辟易する。彼女も大変なようだ。


 と、不意に列車の速度が緩やかに落ち、停止した。

 駅に到着したようだ。客の多くが入れ替わる中で、ローグも立ち上がる。生憎俺はこの駅で降りる気にはならないので、そんな彼女を見送っていた。


「それじゃあ、私はこの辺で。したい事があるからね」

「そうか。精々死ぬんじゃないぞ」

「ああ、やっぱり優しいね、君は。それじゃあ今度こそ、ここから先は君一人だ……なんて、言いたい所だったけど」


 ふと、立ち上がり荷物を持った彼女が身を屈めると、俺に顔を近付け――笑った。

 頬に柔らかい感触。一瞬何をされたのか判らず茫然としていたが、赤い舌をちろりと出すローグを見ると、徐々にキスされたのだと理解した。


「あの団長さんを見て、私も少し考えを改める事にしたよ。私は君と共に在る。傍で見守り、傍で君の――苦しむ顔を見て楽しむ事にする。彼女を見て気付かされたね。私も存外、独占欲と言うものが強い事を。故に君と彼女とを引き離したのさ」

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