第3話 お仕事するからヒモじゃないよね

 馬車のゆれを体験するのも久し振りだし、何なら街を出たのも久し振りだ。

 既に出発してから随分と時間が立った。尻は痛いし幌の中は蒸し暑いしで嫌な事だらけだが、それでも昔に戻れたような気がして少し胸が躍る。


 尤も、旅気分とはいかない。今回はあくまで仕事なのだから。

 ローグ曰く、依頼の詳細は盗賊の居る拠点を偵察し、情報を組合に提供する事で報酬は金貨三枚分。拠点を破壊し、その証拠を持って来たら報酬は通常の十倍。つまりは金貨三十枚分。


 王都直属の騎士団団長であるパトリオットの給与が金貨三十余りだから、上流階級と言って差し支えない彼女のひと月分の給与に匹敵すると考えれば、今回の報酬の額の大きさが判るだろう。

 

 立て掛けてあった自身の得物を取り、鞘を外すと銀色に輝く長剣の刀身が露わになる。王国の一般的な兵が扱う、変哲のないものだ。

 鋼で出来た刀身の表面に掌を翳し、精神を集中させる。すると自身の掌を中心に幾何学的な模様が浮かび上がり、幌の中の影を淡く照らすのだった。


付与魔術エンチャント、ポイズン」


 模様が収縮すると同時に、銀色の刀身は毒々しい色へと変化した。

 

「……毒かい? 意外だな、容赦がないんだね。あの綺麗な剣はどうしたんだい?」

「あれは女神から授かった聖剣だ。人の血で染める訳にはいかないよ」

「へぇ。信心深いんだね、そんなものを手に入れるだなんて」

「いや、そうでもない。信じてるには信じてるけど、本業に比べれば全然。剣を貰ったのだって、魔王を倒せる剣があると聞いたから取りに行っただけだ」


 彼女は俺の言葉に目を丸くさせると、けたけたと笑い出した。

 ――実際、俺が聖剣を女神の神殿から抜いた理由はそんなものだ。


 魔王に対し効力があると言うから、わざわざ宗教都市などという辺鄙な所にまで足を運んだに過ぎない。聖剣がなければ、あのような妄信的な都市なんぞ行く予定もなかっただろう。


「いやぁ、君も人間なんだね。信仰していないけれど剣は貰いに行くなんて、面の皮が厚いにも程があるよ」

「なんだ、見損なったか?」

「全然。むしろもっと好きになって来た。案外近しい存在なんだねって。でもまだ足りない。人の為世の為と長い年月を旅に費やした君は、私のような人間からしたら聖人そのものだ! だからまだまだ、足りないなぁ」


 何処か興奮したように、そして酩酊したような顔だった。

 頬は赤く、色素の強い赤色の瞳は浮ついたように俺を見ていた。こう言う瞳に感情を乗せたような色には、見覚えがある。


 盲目的に神を信仰する者の目だ。

 魔をその一片たりとも許さず、排斥する狂信者。宗教都市で何度も見て来た――。


 断片的な記憶が脳裏に再生される。自分が初めて殺意を抱いて、人を殺した時の光景だった。

 笑う人々に、泣き崩れる少女。絶叫、燃え盛る炎――『魔女狩り』の一幕が。


「ああ、着いたみたいだよ。ここから先は歩きだ」


 我に返る。気付けば揺れは止まっており、ローグの酩酊した瞳も消えていた。

 荷物を抱え幌の中を出、地上に降りる。凝り固まった腰をほぐす中、周囲を見回せばそこが舗装されてない森の中の道の最中だという事が判る。


 日は沈みかけ、空は茜色に染まっている。少しすれば暗闇に覆われ夜が訪れるだろうけど、森の中は既に薄暗かった。

 血のように赤い木漏れ日が所々に差している。その光景はおどろおどろしい、不気味なものだ。


「ああ、そうそう。この男はなるべく殺さないでおいてくれ。殺すとしても、原形を留めているように頼むよ」


 幌馬車から出たローグに手渡された写真は白黒のもので、装備のいい大柄な男が映っていた。


「こいつは?」

「貴族に仕えていた近衛兵だ。君主を殺し、その金品を奪い現在逃亡中。話によると、盗賊の集団を率いているリーダーがこの男である可能性が高いらしい。連れて帰れば別途で懸賞金が貰えるかもしれないだろう?」


 何ともまぁ狡賢いものだ。とは言えこれが彼女の生き方なのだろう、否定する事も出来ない。

 そうして地図を頼りに森の中を進む訳だが、暗い森の中というのは総じて歩き辛いものだ。視界が悪いので木の根なんかに足を取られかねない。


 そんな中、すいすいと自分の前を足早に駆けるローグは、やはり人とは何処か異なる力があるのだろう。

 ふと中空に向けて匂いを嗅ぎ分けるように鼻を鳴らす姿は犬そのものだ。言ったら怒るだろうけど。


 彼女の背中と左右にゆれる尻尾を頼りに後ろを着いて行くと、不意に彼女の足が止まった。同時に嗅いだことのある臭いが鼻先をくすぐる。

 血と、肉の腐るような臭い。隣に佇む彼女は笑みを浮かべ、遠くに見える洞穴と、空中に浮かぶ黒いシルエットを愉快そうに眺めて居た。


「ああ、熱烈な歓迎だね。見えるかい、あれが」


 言われなくとも暗闇に馴れた自分の目は、凄惨な光景をしっかり捉えられた。

 木の枝に縄で括られ、吊り下げられた男の死体が数体。服装は様々で、行商人のような身なりの良い者も居れば冒険者然とした体格のいい者も見える。


「見せしめか、或いは鴉除けの案山子か。もう逃げたんじゃないか?」

「いや、洞穴の中にはまだ気配を感じる。ほら、篝火であの中が照らされているだろう? 人が暮らしている証拠だ。間に合ったみたいだね」


 嬉しそうなのは果たして金が貰えるからなのか、それとも血を見る事が出来るからなのか。

 日は落ち、夜の帳が下りた。付与魔術により毒々しい色と成った剣を鞘から抜き、臨戦態勢に入る。


「それで、どう攻めるんだ?」

「決まってるだろう――正面突破さ」


 何も変わっていないのだと思わず噴き出してしまう。魔獣を倒す時もあえて正面から挑み、その血を華奢な身体に浴びて哄笑するのだ。傍から見れば狂人である。

 共に洞穴の中に入ってみるが通路は案外広く、定間隔で篝火が壁に掲げられてあった。これなら存分に戦えるだろう。


 通路の角を曲がると、互いに談笑し合う二人の男が奥の方から姿を現し、目が合った。装備は人のものを剥いだのか使い古したのか、編まれた皮の鎧が所々解れている。

 相手が武器を抜くよりも先に手を掲げる。自身の掌に刻まれた何百にも至る内の一つである魔術の刻印が浮き出て、淡い緑色の光を放つ。


 瞬間、突風が通路を駆け抜け二人の男を吹き飛ばした。猛スピードで奥の方の壁に叩き付けられ、高所から落下したような轟音と共にその肉体が弾け飛んだ。

 攻撃系の魔術を扱うのは半年ぶりだが、意外にも力は衰えてないように見える。この分なら難なく戦えるに違いない。


「……私の分も残しておいてくれると助かるんだけどなぁ」

「まぁ、今ので相手方も侵入者に気付いたろ。ほら――」


 途端に奥の方が騒がしくなっていくのが聞こえる。あれだけの大きな音だ、気付かない方がおかしい。

 俺の言葉にローグは獰猛な表情を見せると愛用する双剣を振り翳し、向こう側へと常人では考えられないような速度で駆ける。瞬きの後には既に隣に彼女の姿はなく、代わりにあどけない笑い声と甲高い叫び声が辺りに反響するのだった。


 ひょいと二つある通路の内のひとつに目を向ければ、そこは辺り一面血の海と死体の山だ。まるで嵐が過ぎ去った後のように見受けられるが、その比喩表現は間違っていないのだろうと苦笑する。


「まぁ、右の通路はあいつに任せるか」


 多くの魔獣を相手にして来た奴だ、賊の徒党如きに負ける程、軟ではないだろう。

 血塗れの右の通路を無視して、左の方に足を向ける。こちら側にも少なくない数の敵が現れたが、どれも赤子の手をひねるようなものだった。写真の男を探しつつ、蟻の巣のように分岐した道を風が通っている場所だけを選び進んでいく。


 その最中に幾つか暖簾のようなもので仕切られた、簡易的に作られた部屋の中にも目を通す。

 虱潰しに生々しい人間の生活した跡地を見るというのは楽しくもあるが、その相手がむさ苦しい男となると気分も萎えるものだ――と。


 不意に嗅いだ嫌な臭いに歩を止める。目の先には暖簾で隠された部屋がある。

 逡巡の葛藤の後、その中に入れば目を覆いたくなるような惨状が広がっていた。


 裸に晒された女性が幾人か。どれも酷い暴行の跡があり、急いで駆け寄ってみるが全員息絶えている。

 その中の一人に目が合った。虚ろな瞳をこちらに投げ掛け、何かを訴えているようだった。


 導かれるように、近くに落ちていたペンダントを手に取る。無理矢理に千切ったのか鎖は破損しており、踏み潰されたようにガラスも割れていたが中身は確認出来た。

 微笑み合う姉妹の写真だろうか。最早話すことのない彼女と、彼女の面影が見受けられる年端もいかない少女の二人。


 思わず重ね合わせてしまった。自分が目の前にしても救えなかった姉妹を、黒く焼け焦げた少女と、何故救わなかったと自身を糾弾し、この世を嘆く彼女とを。


 背後に忍び寄っていた賊の一人を、袈裟切りに薙いだ。傷は浅いが、毒の付与されたこの剣であれば掠り傷でさえ致命傷だ。

 泡を吹き、目から血を流す男に止めを刺す気はなかった。苦しみの挙句に死ねばいい、そう思うほどに。


 魔王を討伐する最中、汚い人間はごまんと見て来た。が、この感覚は久し振りだった。腹が立つと言うよりは、胸の内に何かが重く圧し掛かるような感覚は。

 足元で悶え苦しむ男を置き去りにして、道を進む。暫くすると多くの死体と共に、白い外套を赤く染めたローグと、震えて命を乞う写真の男が見えた。


 感覚の鋭い彼女は俺の足音に気付き振り向くと、一度目を見開いて――嬉しそうな顔をする。

 それはまるで、手に入れたいものを手に入れた、少女のような顔だった。

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