第2話

 朝――と言うより時刻は既に昼に近く、つい先程まで惰眠を貪っていた俺は腑抜けた顔と共に家のリビングに入るが、当然ながらそこにパトリオットの姿はなかった。

 

 その代わり机の上には朝飯と思しいスープと幾点かのフルーツが置いてあり、食事が軽めなのは昨日呑んだくれて帰って来た俺への配慮もあるのだろう。

 確かに二日酔いとまではいかないが、身体が少し怠いのは事実である。容器越しに触れるスープの中身はまだ熱く、魔力で保温でもされているのか。


 表情の機微に乏しく、周囲の期待である『騎士団長』の風格を損なわない為に口調も何処か高圧的である彼女だが、その実、細かい所にまで気が利く。

 椅子に座り寝ぼけ眼を擦りながら、ずずずとスープの中身を啜る俺はふと、彼女と共にした旅の道中を思い出した。


 当初こそぶっきらぼうで何を考えているか判らない奴、と言う印象であったが、救う事の出来なかった者に祈りを捧げ、情に厚く、責任感があり、与えられた恩は必ず返す程の誠実さを兼ね備えたような人間で、成る程。王国の護り手なだけはある――と。


 そう言えば。

 彼女は自分の家に俺を匿うその理由を、世話になったからと表したが、果たして俺は旅の道中パトリオットに何かしてあげたのだろうか。


 そりゃあひとつや二つはあるだろうが、絶賛人々の批判の的とされている俺を、自分の地位や名誉を賭けてまで匿う程の恩には至らないだろうに。

 そもそも彼女と旅を共にしたのは、数字にすればほんの80日程だ。あの帝国との争いも収縮し、魔王討伐に本腰を入れようとした辺りで彼女は惜しくも、自国を守るべく王国に戻ったのだ。


 その期間中に何かしたのだろうが――心当たりがない。

 まぁ、多分何かしてあげられたのだろう。でないと流石に肩身が狭い、そのような事を思いながら俺は、スープのお代わりを装いに向かった。


 ***


 王都から少し離れた街並みには、活気があった。

 

 正確には在って然るべき喧騒が戻って来たと言うべきか。

 この賑やかさも魔王が死に、魔を司る存在の力が衰えた為にあると思うと、自分の旅にも意味があったのだと実感させられる。


 尤も、街角などで住民が声を潜めて口にする勇者への中傷じみた言葉などを耳にすると、噂話程度のものに踊らされる彼等を助ける意味なぞあったのか、と子供のような憤慨に駆られるのだけど、今回ばかりは拗ねて酒を口にするという事は憚れた。


 身を隠す為の外套の懐には、昨日パトリオットから貰った金のある小包みがある。

 とは言えそれを使うには気が引けて、かと言って金がないとなれば、金銭を工面する必要があるだろう。


 なるべく目立たないように建物の扉を開くと、中は外とは違った喧騒に包まれていた。

 仕事で稼いだ額を誇るように、大声で仲間と共に喜び合う者。依頼を彼等に斡旋してくれる窓口にて交渉をする者。静かに己の得物を研ぐ者。


 混沌とした雰囲気に圧されながらも、静かに隅の方の長椅子に腰掛ける。

 意を決した俺は稼ぐために、冒険者組合ギルドへと足を運んでいた。簡単に言えば誰彼構わず、仕事が欲しい相手に国や個人からの依頼を斡旋してくれる場所だった。


 依頼が危険であれば危険である程、それを達成した後の報酬は大きい。

 ハイリスク・ハイリターンであるここは、一攫千金を夢見る夢想家や荒事を得意とするならず者にまで好まれた。


 何せ最低限の手続きで大金を稼ぐ機会に恵まれるのだ。人生の逆転を狙う者には夢のような場所で、また血を好む戦闘狂バトルジャンキーも集まる。

 となると所謂『訳アリ』も多く、働く者への秘匿義務もあるこの場所でならば、この俺も働けるのではないかと考えたのだ。


 だが懸念する点がない訳ではない。おそらく手続きまでは済ませられるだろう、組合ギルドの利点と言うのは政治に遠い所にあり、単なる職業を同じとする人の集まりでしかない。

 

 問題なのは自分が勇者であるとバレてしまった時だ。

 魔王討伐を祝するパレードが中止になった事により、俺の顔は王国市民の人々の前に現れる事はなかった。と言っても新聞記事には俺の顔を撮った写真がその頃出回ったりしたので、幾ら身を隠そうとも正体がバレて告発される可能性がある。


 ので、うじうじとどうしたものか考える最中、思考により周囲が見えてなかったというのもあるのだろう。自分の顔を覗き込むように視界に映った少女の顔に、思わず声を上げてしまう。


「うわっ――」

「ああ、やっぱり。君だったか。久し振りだね、元気にしてたかい?」


 仰天する俺を他所に、彼女はにこやかに笑ってみせた。

 だけどその顔には見覚えがあった。灰色の髪に、中性的な口調をしたアルトの声色。白色の外套を身に包み、髪の色と同じ色をした、犬のような耳。


 まるで雪原の中に佇む狼を彷彿とさせる彼女は、その通り人種と獣人種の混合である亜人デミヒューマンの、人狼ウェアウルフに位置する存在だった。

 

「……ローグ? 何でこんな所に」

「何故って、私も冒険者だからさ。知っているだろう?」


 ローグと言う知己の名前を反芻する。

 魔王がまだ生きていた頃は、魔獣狩りで冒険者稼業が一番賑わっていた時期で、彼女も例に漏れず金を稼ごうと様々な仕事に手を出していたらしい。


 故に仕事を見誤ったのだろう。

 手に負えないような魔獣と苦戦していた所を俺も加勢したのが、ローグとの出会いだった。

 

 それから先は何かと魔獣を一緒に討伐する事が増えていき、一時期は彼女の腕を買い共に旅をしてみようかと考えてみた事もあったのだが、こっちは人の頼みを聞き、タダで魔獣を討伐する慈善事業のようなものだ。

 対してローグは、魔獣を討伐する事を生業とし、それで金を稼いでいる。


 相手からすればこちらは仕事を奪うような商売敵で、俺のその在り方も気に食わないと拒絶され、疎遠となっていたのだが――。

 

「まぁ、それもそうか。お前も冒険者だもんな、ここに居ても不思議じゃない」

「私からすれば、君がここに居る事の方が驚きだけど――ああ、どうせだし、場所を変えようか。ここじゃあ落ち着いて話も出来ない」


 そう言われて、俺達は周囲の視線を買っている事に気が付いた。

 外套を目深く被った怪しい男と、亜人族の少女と言う組み合わせは確かに目立つ。彼女の言う通り場所を変え、俺たちは付近のカフェテリアで腰を落ち着かせた。


 彼女はコーヒーを、俺は(予算的な問題から)水だけを貰い、互いに語り合う。少しばかり気まずい別れをしたとは言え、凡そ彼女と会うのは久し振りだった。積もる話もあるというもので、意外にも会話は弾んだ。


 その事に気を良くしたのだろう。

 ローグは「君にだから言うけど」というような前置きの後に、そう。俺からしたら願ってもいない、仕事を一緒にしてみないかと彼女は話題を投げ掛けるのだった。


「君が今、大変だという事は知っている。この国の住民である以上ね。それに対して私は君に思うことはないし、あっても同情のようなものだ。君のような慈善で魔獣を倒すような奴が人を囮にする筈なんてないし、所詮は作り話なんだろう?」

「ああ、そうなんだよ。全くもって酷い話だと思わないか?」


「うん、そうだね。そこで、だ。どうせ働き口にも苦労しているんだろう、良かったら私と一緒に仕事をしようじゃないか。パートナーとしてなら組合で手続きをする必要もない。私も君が居たら心強いし、額はそうだな――5対5。貰った報酬の半分を君に渡すよ、どうだい?」


 咄嗟に頷こうとした口を閉じ、訝しんだ。話が良すぎる。

 相手に弱みがある以上、人からしたらその弱みに付け込んで傲慢になるべきだろう。少なくとも報酬の半分を、汚名が付いてろくに働けも行けない俺に渡すのは妙だった。


 良くて3対7辺りだ。人々に裏切られた身からすれば多少の人間不信にはなろうもので、うまい話には裏があるのではと、思わず勘繰ってしまうのだ。

 怪訝そうな顔をする俺に、ローグは噴き出すように笑った。けたけたと、戦闘時に見せる狂気的な笑みではなく本当に愉快そうな。


「いやぁ、ごめんね。あの君がそんな顔をするだなんて。あの人々の為にと、優しい笑顔を浮かべていた君が――こんな、人を信じられないような、曇る顔をするだなんて思ってもいなくて。いやぁ、手酷い目に遭ったんだねぇ」

「……仕方ないだろう」

「ああ。だからこそ君を安心させる為に言わせて貰うけど、今回の仕事ね。魔獣ではなく、人を狩るんだ」


 彼女の言葉に、すっと心が冷えていくのを感じる。

 冒険者は何も魔獣を狩るだけが仕事ではないし、魔王が討伐された今では魔獣の数も少なくなり、力も弱くなったので昔とは違い、狩ってもそこまで金にならない。


 となると稼げる仕事は別のものにシフトする。

 とは言え、人を狩ると言っても罪のない、無辜の者を殺す訳ではない。仮にも表立った組織だ、在り得ないだろう。


 殺すものは罪を犯したものであり、彼女曰く王国の東の方にある森に盗賊を行う集団の拠点があるようで、そこを攻めろと言う訳だ。

 衛兵が行うには危険で、王都直属の騎士団が赴くには遠すぎる。となると手段は限られ、言い方は悪いが死んでも数があり、危険を承知で稼業に努める冒険者という存在は今回の仕事に丁度いい人材なのだろう。


 報酬が5対5というのも頷ける。

 信頼もあるが、相手にやる気を出させる為にと言うことか。


「あは、そんな顔もするんだね。私の知らない君の一面が見れてすごく嬉しいよ。それで、どうする? 善意で魔獣を倒す甘っちょろい君には酷かもしれない――」

「いや、やるさ。何も人を殺したことがない訳でもない。人様に迷惑掛けてる奴なら、別にまぁ……いいだろう」


 俺の返答に、ローグは今度こそ、酷く嗜虐的で狂気的な笑みを見せたのだった。

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