ゼロ+イチからのリスタート、家族になる。 〜朝季〜
大いにネタバレ。
朝季サイドの物語を簡素にまとめたスピンオフ。
* * *
「2-18B」
それが俺の呼び名だった。
二周目の十八番目、二番目の人造人間兵器。
しばらくすると見物客が増えて、そいつらは口々に、俺を「成功体」と呼ぶようになった。
二人部屋になったのはその後すぐ、心臓がうまく動作しないと自覚し始めた頃。心臓移植をすると連れて行かれ、術後、新しい住居として与えられたのは檻ではなく普通の部屋だった。
同じ部屋で暮らしていた少年の姿は、どこにもなくなっていた。
成功体、成功体、成功体。
腹の底から笑っていないような笑みを浮かべる大人達が、「物質を感知しろ」だの、「あれを作れ、これを作れ」だの、様々な指示を出してくる。
時々、痛みを伴う実験をしてくるやつもいて。
耐えきれず殴ったら、十倍になって返ってきた。
人造人間ごときが!
そう叫ぶそいつに言ってやりたかった。
人造人間なら、お前らが作ったなら直してくれよ。
この痛みも、役立たずな身体も脳も全て、お前らの好きに作り替えればいいだろ。
要らないなら壊せばいいのに。
唯一の成功体だから、貴重だからそれは出来ない。
感謝しろ、とそいつが言った。
わけがわからないが反論する言葉も見つからず、頭を抱えてやり過ごした。流血は勿体無いからと、適度な暴力を振るったところでそいつは部屋を出て行った。
扉が開いて部屋に光が配置ったのは、俺を殴った男が出て行って五千秒経った時。
「すまないね、調子はどうだい?」
そいつの顔を見た俺の心が……いや、人造人間なんだから心なんてないはずなんだけど。
とにかくなんか、安心した。
「話を聞いたよ、殴られたみたいだね。傷は?」
「自覚するような症状はない。問題があれば直せばいい、それが可能だから人造なんだろう?」
俺の返答に、その男……白衣を着た細身の、短髪に白髪が混じった[学医]の称号を持つ男がふふっと笑った。
「怪我は簡単には治せないよ、君はもう人間だからね」
「否、人間ではなく人造人間」
「妙な言葉遣いは直らないねぇ。痛みはあるかい?」
「否。それほどの損傷は負っていない」
「ならよかった。今日はオセロを持って来たんだ」
「オセロ?」
「簡単だよ、君ならすぐに理解できる。さぁ、ゲームをしようか」
そう言って、男はマス目が書かれた円盤を床に広げ、表と裏で白黒に分かれた駒をいくつか俺に差し出した。
「オセロ、リバーシともいう。その名の通り、駒をひっくり返して遊ぶゲームだ」
「オセロ……リバーシ、ともいう」
言葉を繰り返す俺を見て、その男が微笑んだ。四十代くらいの、線の細い不健康そうな男。
面会にくる人間の中で唯一、俺に無駄な知識を与えようとする。武器を生成しろだの火を起こせだの、身体的な能力を求める他のやつらと違って彼は、融合生成能力に関係ないところの頭脳発達を求めた。
ほぼ毎晩、面会に来ては俺に様々なゲームを教え、遊んでくれる。
一通り説明を聞いて彼にルールを復唱すると、
「やっぱりすごいな。君は天才だ」
その言葉とともに、嬉しそうに笑った。
「じゃあ、また明日」
一晩中ゲームで遊んだあと、そう言って部屋を後にする。
次に彼の顔を見るのは五万七千六百秒後、およそ十六時間後。
「やぁ」の声とともに彼は俺の部屋、
「体内時計は大変だろう」と、部屋に時計を置いてくれた。読み方も教えてくれた。
「明日は来れない」の言葉とともに、日にちの概念を教えてくれた。
午後十時、部屋に差し込む明かりとともに現れる彼の来訪をいつしか、楽しみに待つようになっていた。
楽しみ?
俺は人造人間なのに。
人間の感情なんて理解できないはずなのに……
「やぁ」
だけどその一言で、今日はなにをするんだろうと胸が高なった。
俺は人間じゃない。
ただの機械なのに。
それが俺の最初の記録。
朝季と名前がつく前。
義兄である白河夕季と出会う、家族が出来る前。
記憶領域を弄られる前の、最初の学者【姫乃博士】との思い出。
今から語るのは、
東京の街が偽りの戦場になって三日経った時から始まった物語。
ゼロだった俺の人生をイチに、
さらに+イチを加えてくれた新しい家族の話。
*
その日、いつもと違う騒々しさには気が付いていた。
ふと顔をあげると、日の光が差し込んだ。
午後七時半、まだあの男が来る時間じゃないのに……
そんなことを思っていると彼が、白衣の男が俺の檻に駆け込んできた。
バタンと大音を立ててドアを閉め、後ろ手で鍵をかけた男はそのあと俺をじっと見つめた。
しばらくして、しゃがみ込んで項垂れる。
「失敗した……失敗した、失敗した!」
普段の様子からは考えれない乱暴な声と共に、彼は部屋の中にある家具を蹴り飛ばし始めた。纏っている白衣もぐちゃぐちゃで、前髪は汗で濡れて額に張り付いている。
息が荒い。
逃げて来たのか?
誰から?
状況整理が終わる前に、彼が顔を上げて俺を睨んだ。
乱暴に腰を浮かせたかと思うと俺に歩み寄り、両手を伸ばしてくる。
殺意。
抗う理由もなく、彼の掌が俺の首に絡み付いた。きゅっと力を込めるが、その程度の締め付けでは俺どころか普通の人間すら殺せない。
「……俺を停止させたいなら、脳を潰せ」
声が勝手に、口をついて出た。
男にとっても意外だったようで、俺を映し出していた瞳が大きく揺れた。
そこからぽろっと、大粒の涙が零れ落ちる。
我に返った男が俺から手を離し、涙を拭った。
涙……悲しいとか、苦しいとかの感情?
そう教わった、この男から。人間には喜怒哀楽、様々な感情があって、表情にそれが現れると。
今の彼の状況をその四感情に当てはめると……
「悲しいのか?」
俺の言葉に、彼が顔を上げた。
涙は未だ、止めどなくこぼれ落ちていた。
「悲しい……そうだな、悲しいな」
「涙は悲しいとか苦しいの感情。喜怒哀楽の"哀"だと、貴様が俺に教えた」
「そっか、そうだな……俺が教えた……君な本当に、賢いな」
ぽろぽろ、ぽろぽろと、静かに涙を流す男の表情がふやっと柔らかくなった。
かと思ったら次の瞬間、堪えきれなかったという風に失笑し、次いで大笑いを始めた。
涙を流しているにも関わらず、「あはははっ」と愉快そうに笑うその
「……なぜ笑う?」
だけどその理由が分からなくて、質問を彼にぶつけた。
はっとした男の視線が俺を捉え、「ごめん」と手の腹で涙を拭う。
「おもろい子だなぁと思って、つい」
「なにも面白いことはない。それと俺は子どもじゃない、機械人形だ」
「いや、子どもだろ。十歳前後を想定して造った」
「造った、と自分で言ってるじゃないか。俺は人工的に作られた存在、人間でない。故に子どもという表現は当てはまらない」
「屁理屈……ほんと、賢くなったなぁ」
再度笑い出す男を見ていると苛立ちが募り、「なにも面白いことはない!」と叫んでしまった。
男は笑うことをやめなかったが、面倒くさいので放っておくことにした。
「ところで、今日はなにをする?」
「なに? え?」
「貴様は俺とゲームをするために来ているのだろう。今日はなにをする?」
「あぁ、ゲームってそっちの……いや、今日は無理……これからはもう、出来ないかな」
「……なぜ?」
男の表情が"哀"に変わった。その理由がわからず、俺は小首を傾げてみる。
知りたい、質問をする、という動作は、これで合っているだろうか。
「一緒に死のう」
しかし彼の答えは、俺の求めたものと微妙に違っていた。
いや、ある意味正しい。
死ぬからもう、ゲームは出来ない。
「……死ぬ理由は?」
あれ、今のは誰の言葉だ?
部屋の中には、惚けた顔をする男と俺の二人しかいない。
彼が声を出したわけじゃないのなら、今の台詞は俺のものだろう。
なぜ……俺は質問を。
答えを知りたいのだろう?
「失敗した」
今度はちゃんと、男が答えてくれた。
失敗した、だから一緒に死ぬ。
俺を殺したい。
「失敗とは?」
「俺は君を、人間兵器を開発するべきじゃなかった」
「兵器を開発? 貴様、人間兵器開発に携わっていたのか?」
「携わっていたというか、俺が理論を組んで実験してほぼ一人で開発して……え、まって。君、俺のことなんだと思ってたの?」
「俺にゲームを教える係の人間」
「ゲーム……ふっ、くくくくっ」
手のひらで顔面を押さえ、再び男が笑い始める。
やはり彼の感情の理由がわからず、俺は眉間にシワを寄せてみる。
「面白いことはなにもない」
「あぁ、ごめん。だってゲームって……」
「笑うようなことはなかった!」
「怒らないで、ごめん。やっぱ子どもだなぁと思って」
「否。俺は機械人形であって人間ではないと言って……」
「人間だよ、君は人間だ」
俺の言葉を遮って彼が言った。
目尻に涙を溜めたまま、微笑みの表情で。
「ここを出たら、家族を作りなさい」
「家族?」
「君の居場所となる存在、家族がいる限りその人は絶対、一人ぼっちにはならないから」
「俺は人間ではないが? 故に、家族を構成することはできない」
「できるよ。法律や定義はどうだっていいんだ。誰かが誰かを大切と思って、そこに名前がつけば、それは大切な存在になる。家族だけでなく例えば、親友とか恋人とか。君は家族を、大切な存在を見つけなさい」
カチャンと、俺の腕についていた手錠が外れた。
その途端、身体中が暑くなり、血が流れ始めた。
肺が酸素を取り戻したような感覚に襲われた。
「逃げなさい」
頑丈に閉ざされていたドアを開けて、男が言う。
「逃げて……人間として生きなさい。そのために君はまず、家族を作りなさい」
「家族というのは、努力で作れるものなのか?」
「それは君の運次第かな。大丈夫、君はきっと、大切な存在を見つける」
「…………」
「安心してくれ、最後の仕事はしておく。君が人の子として生きれるように、最大限の努力を、俺の命をかけて」
「貴様は、死ぬのか? 俺に生きろというのに?」
「……じゃあ一つ、お願いしてもいいかな?」
男がしゃがみ、俺の目線に合わせる。
薄く茶色がかった、綺麗な瞳の色だった。
「子供がいるんだ。息子と娘、その子たちと友達になってくれないか?」
「友達? 友人、親しい人」
「そう。頭が良すぎて偏屈な兄と、無邪気で無鉄砲だけど心優しい妹。最初の学者の子ども、そのキーワードで見つかると思うから」
「……友達になってどうする?」
「そこから先は、自分で考えなさい。君はこの先、人間として生きるんだから。家族を作って、他人を愛することの意味を知りなさい」
男が膝の埃を払い、立ち上がった。
差し出される手のひらを、じっと見つめる。
「考えることをやめたらそれはもう、人間じゃない。人間になるんだ、君は。これからの人生を、人間として生きる。考えて、必死に生き残りなさい。この街を、戦場と化した日本、廃墟の街を」
「……承知した」
手を伸ばすと、ぐいっと引っ張り上げられた。
男とはドアのところで別れた。
地下へ続くと隠し通路に押し込まれ、それを下っていく途中で背後から銃声が聞こえた。
失敗した。
そう思った。
俺が止まっていれば、
一緒にいて守ってやれば、
あの男は死ななかったかもしれない。
後悔してももう遅い。
走れ……
後悔?
なぜ?
だって俺は人造人間で、
感情なんてないはずなのに。
人間として……
考えて、必死に走った。
逃げろ、逃げろ逃げろ!
今は逃げ道を、逃げることだけを考えろ。
考えろ、考えろ!
俺は人間だから、
人間として生きると、
約束したから!
*
その後、彼の言葉通り、
俺は家族を手に入れることになる。
戦場の街で蹲っていた俺を見つけてくれた義兄。
名前と年齢と、住居や衣服、人間としての生活と、
家族という存在をくれた、血の繋がらない兄。
「大人になると、もう一つ家族ができるよ」
義兄が言った。
夕日を見ながら、ぽつりと、呟くように。
「俺がいなくなっても大丈夫。お前はきっと、もっと大切な存在を……他人を愛することの意味を知って、新しい家族を見つける」
その時から義兄は、俺の未来に自分は存在しないと自覚して少しずつ俺に、言葉と思い出を残してくれていたんだと思う。
人間として、喜怒哀楽の感情を。
海を見て、山に登り、たくさんの花を、色を見るということ。
日本の四季を楽しむという、贅沢な生活を。
「海を見に行きな」と、よく話をしてくれた。
太陽の光を反射してキラキラ輝く海面を、水面に落ちる桜の花弁、木の葉を集めて。
雨の日は海の色が変わるんだ。
冬になるとより一層深みを増す。
「俺は春の海しか見たことないけどきっと、綺麗だよ」と。
そこで出会った人はきっと、一生の宝物になる。
そんなことを語って。
遠い、水平線の見えない海がある街の方向を見つめた。
「一緒に行こう」という俺の言葉に、義兄は寂しそうに、穏やかに笑った。
「俺はどうだろうなぁ。受験と同じで、最後の最後で一番ヤバいことやらかす気がする……あ、でも、今のお前の言葉は正解」
ぽんっと俺の頭に掌を乗せもう一度、義兄が微笑む。
「大切だと、愛おしいと思う人には、手を差し伸べればいい。余裕があれば幸せの意味を持つ花でも握っておくといい。その人の目を見てこう言うんだ、……」
一緒に行こう、朝季。
義兄の助言を受けて十年経った時、凪が言った。
声が届いた、振り返ってくれた、俺を追いかけてくれた傍観者の少女。
いや、傍観者だった少女。
「行こう、朝季。一緒に行こう」
手を、伸ばしてみた。
あと少しというところで触れ合えずに、ぐっと力を込めると指と指が絡んだ。
どちらともなく握り返して、小さな掌から体温が伝わって。
「好きだ」
そんな言葉を、口走った。
あぁ、そっか、そうだ。
「夕季……俺、好きな子ができた」
無意識に、今は亡き義兄に語りかけていた。
呟いてしばらくしたところで、はっと我に返った。
そうか、そうだった。
他人を愛すること、その言葉の意味を。
いま、ようやく、理解できた。
この世で一番大切だと、愛おしい、守りたいと思える存在が。
新しい家族、その位置にいて欲しい子が。
俺の腕の中でそっと、涙を流した。
*
その時に彼女が呟いた言葉はたぶん、一生、誰にも言うつもりはない。
もし天国に行って義兄に会えたらその時は、いや、それでも黙っているかもしれない。
口にすると、俺がそれを言葉にしてしまうと思い出が薄れてしまう気がするから。
何度も反芻して、心の奥に宝物としてしまっておきたいから。
だから絶対、誰にも言わない。
仕事を終えて帰宅、午後十時半。
玄関の扉を開ける前に一呼吸して、最初の時を思った。
もう誰も、俺を「2-18B」なんて名前で呼ばない。成功体とも呼ばれない。
もう二度と、あの薄暗い檻に帰らなくていい。
なにもなかった。
本当になにも持っていなかったんだ。
母という存在はない、父の遺伝子というものも。兵器として開発され、その年月日すらも東京奇襲でデータが消えた。
誕生日も住居も、年齢も名前さえもない俺が、義兄という家族を手に入れて。
だけどそれすらも失って。
守りたい命なんてなかった。
博士に出会ってそれがひとつ増えたけど、記憶を失ったことで振り出しに戻って。
またゼロからスタートした人生、今度は義兄を守りたいと、大切な命がゼロからイチになったのに、また失って。
一人ぼっちに、ゼロに戻った。
いらないと思った、なにもかも。
命も、人らしい生活も、誰かのために正しく生きるなんて信念も、なにもいらない。
ゼロのままでいいと思っていた俺の中に再び、大切が一つ増えた。
なくならないで、今度こそ。
なくさない、今度は、絶対に。
俺が守る、だから傍にいて。
生きていく道上の、俺が立つ戦場の、その傍らに寄り添って。
春の月桜を、
夏の九十度に降り注ぐ陽光を、
静かになった秋の海を、
雪が積もる真冬のコンクリートの上を、
二人で手を繋いで。
「ずっと、一緒にいよう」
記念日でもなんでもないけど、今日、それを伝えよう。
そう決意して、もう一度息を吐き出してドアノブを握る。
扉を開くとふわっと、玄関に飾っているイチゴの花の香りが飛んだ気がした。
「おかえり」
玄関に立っていた彼女が、顔を綻ばせながら言った。
扉を一枚挟んだ先に居たなんて気が付かなかった。
最初からそうだった。
俺はこの子のことになると、鈍感になってしまう。
「ただいま」
同じ笑顔を返すと、彼女が両手を広げた。
靴を履いたまま迷わず抱きつくと、結婚式の日にもらった『幸福な家庭』の意味を持つ花が揺れた。
簡単に折れてしまいそうな華奢な身体から確かに伝わる体温、花の香りがついたふわふわの長い髪。
温かさに触れて、『他人を愛する』という言葉の意味を考えた。
家族がいる限り人は、一人ぼっちにはならないよ。
だから俺は、彼女はもう、ゼロでもイチでもない。
二人分の幸せの中にさらに+イチを、大切をたくさん増やしていこう。
新しい家族として、一緒に。
「俺と出会ってくれてありがとう、凪」
言葉にするつもりはなかったのに声が出てしまい、ふふっと笑った彼女の吐息が首筋に触れた。
「私も、私と出会ってくれてありがとう」
顔を上げて、目を見つめて、
「朝季」と、俺の名前を呼んでくれた。
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