口下手伯爵は侍女と喋りたい

ロゼーナ

第1話 口下手伯爵は侍女との会話が続かない

 王宮での勤務を終えて屋敷に戻った。私室と続き間になっている執務室に入ると、彼女はいつもどおり美しいお辞儀で迎えてくれる。


「お帰りなさいませ、旦那様」


 艶やかな漆黒の髪は、その一筋さえも決して乱れることなく、きつく結い上げられている。さくらんぼ色の唇は完璧な弧を描き、固定されている。その静かな柔らかい微笑みが私の前で絶やされたことはないが、四六時中変化のないその表情はある意味で無表情と同じであった。


「ああ、ただいま。今夜は…」


――帰りがけに王宮の中庭でたまたま会った学院時代の悪友に誘われ、街へ食事に出るから夕食は不要だ。

 と言おうとしたのだが、


「お手土産はどちらがよろしいでしょうか」


 説明するより早く、目の前に素早く二つの箱が用意された。


――先ほど両の手を揃えてお辞儀をしたときには何も持っていなかっただろうに、どこから出した。


 心の中でツッコミを入れつつ、箱の中身を確認する。そして敢えて尋ねるまでもなく、手土産の内容は適切なものだと感じられた。


 一つは王都でいちばん人気の高級菓子店の包装紙なので、中身は焼き菓子か何かであろう。もう一つの木材を使った箱は、中身を確認できるよう蓋が開けられており、年代ものの赤ワインが入っている。


 毎回浴びるほどに酒を飲む悪友の好みを抑えつつ、酒豪のあいつに高すぎる酒をくれてやるのは惜しいと思ってしまう私の気持ちを汲んでか、良質な年の最高級品から一つだけランクを落としたワインが選ばれている。また、飲み始めたら日付が変わるまで絶対に帰らない悪友の奥方のご機嫌を取るための菓子まで用意されている。彼女のことも昔から知っているが、甘いものに目がないのだ。


 ここまで理解し、自分から渡す以上は菓子の中身について確認しようと思い口を開きかけたところ、


「旬の果物を使ったゼリーでございます」


――この菓子店で最も女性に人気なのはバターとクリームをふんだんに使用した焼き菓子であったはずだが、毎日午前中には売り切れると聞くので、さすがにこの短時間では用意できなかったのか…


「ご懐妊だと風の噂で耳にいたしましたので」


――私がつい半刻ほど前に悪友から初めて聞いた内容を何故知っている。


 またしても心の中だけでツッコミを入れつつ、考える。


 顔を合わせる度に様々な理由を付けては飲みたがる奴だが、今夜は子どもが出来た祝い酒だから付き合えと言われたのだ。なるほど、確かに妊娠中の女性は栄養価や油分には神経質になると聞く。食べ物の好みが変わることもあるというくらいだから、あっさりとしたゼリーは贈り物として適しているだろう。おそらく人気の商品も用意しようと思えばできたのだろうが、彼女の気遣いから敢えて違うものを選んだということがうかがえた。


「…ありがたく両方持っていくことにする」


 私の答えに、彼女はいつもどおりの静かな微笑みを返した。



 ∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴


 シルヴィーは腰を痛めた彼女の母に代わり、数か月前に私付きの侍女となった。身の回りの世話については他の侍女が担当しており、彼女には王宮での仕事に関する書類作成や、領地経営に関わる仕事の補佐を中心に任せている。


 昔我が家の家令を務めていた祖父、侍女長を務めていた祖母を持ち、父は現役の敏腕執事、現在静養中の母も筆頭侍女という、我が家には欠かせない使用人一家に育った彼女もまた、やはり素晴らしく優秀であった。


 王立学院使用人科の特別クラスを昨年卒業した彼女には、我が家より家格の高い侯爵家や公爵家からも声がかかったという。彼女が望むのであれば王宮に出仕し、王族の侍女になることも可能であっただろう。


 しかし、彼女は両親や祖父母と同様に、我が家で働くことを選んでくれた。以前理由を尋ねてみたところ、「夢でしたので」と答えられた。いつもの微笑と同じようでいて、いつもより少しだけ口角が上がっているように見えたその表情が、やけに胸に残った。



 我が家で働き始めたシルヴィーは、当初は妹付きの侍女となった。妹はもちろん、執事や侍女、メイドたちからの評価も高く、彼女の使用人としての資質は疑いようもなかった。


 今年妹が結婚し家を離れるタイミングに、たまたま彼女の母の怪我が重なり、彼女は私付きの侍女となった。彼女のことを気に入り、嫁入りに付き添わせようと画策していた妹には恨み言をもらったが。


 私付きとなった彼女は、評判通り非常に優秀で、異常に耳が早く、よく気が回る侍女であることが分かった。


――確かに優秀だ。優秀なのだが…


 私は困っていた。


――会話が続かない。


 彼女が優秀すぎるが故に、私が頼もうと考えていたことや口に出そうと思った瞬間に、すべての思考を先読みされて回答を提示されてしまうのだ。また、その回答が常に正しく、時には私の想定を超えた案を出してくるため、私から何かを追加したり相談したりする余地がない。



 私は伯爵家の跡継ぎとして幼い頃より熟考してから言葉を口にするよう教育されたこともあり、その場を楽しむためだけの会話は不得手としている。もちろん貴族として社交の場に出ることもあるので、そのような場面では必要な分だけ美辞麗句を交えた言葉を並べやり過ごすくらいは問題ない。とくに男性やある程度年齢の離れた女性であればそのような会話もしやすいのだが、同年代から、少し私よりも年若い女性との会話に対しては苦手意識を持っていた。


 延々と流れてくる彼女たちの言葉からは話の要点を掴むことが難しく、また、数年前に父を亡くしたことで若くして爵位を継いだせいか、恋愛や結婚への道筋を仄めかす内容の言葉を掛けられることも増え、正直に言ってとても面倒なのである。


 新当主として軌道に乗るまでは結婚を考える余裕がないというのは本心であり、逃げでもあるとは自覚している。彼女たちの中の誰かが妻となり、毎日このような精神的な駆け引きが発生する会話をされては苦痛でたまらないのだ。


 しかし、決して口がうまくないことはさておき、使用人に対して会話が成り立たないということはこれまで一度もなかった。我が伯爵家ではシルヴィーの両親や祖父母を始め、古くから仕えてくれている使用人が多い。それゆえに子どもの頃から私のことを知っていて、また、伯爵家への理解と忠誠も厚いため、話しにくいと感じる者はいなかった。皆優秀で、新当主となったばかりの私を支え、言葉遣いは当主に対するより丁寧なものへと変わったが、「ぼっちゃま」と呼ばれていた子どもの頃から言葉の節々に感じられていた温かみはそのままであり、時には仕事とは無関係のたわいない話をすることだってある。使用人たちとは良い関係を築けていると自負している。


 ただひとり、シルヴィーとだけはうまく会話ができないことに、私は悩んでいた。


 彼女は昨年から我が家に仕え始めた侍女で、使用人の中ではいちばんの新顔である。しかしながら流石は優秀な使用人一家の一員だけあって、新人とは思えない優秀さでありながら、見事に他の使用人とも馴染み、すでに我が家に欠かせない存在のひとりになっている。

 先日私付きの侍女となるまでは、挨拶以外はほとんど言葉を交わしたことがなかったが、彼女の評判は妹や他の使用人たちから聞いており、実際一緒に過ごすようになってその評判に一切の誇張がなかったことを理解した。


 今日だって私が彼女に言おうと思ったことは、家での夕食は要らないということだけであったが、彼女は気の回らない私に手土産を提案し、また、その内容も流石の一言であった。


 酒を渡した悪友は大いに喜び、「子どもができた祝杯なんだ。飲んでくれ!」と言って隣のテーブルの客にまで酒を振舞い、終始上機嫌だった。

 愉快に泥酔したあいつを送り届けると、家では不機嫌な顔で奥方が待っていたが、私の手土産を確認した後には満面の笑みで見送ってくれた。


 そして今、帰宅した私の私室には、熱すぎず温すぎずちょうど良い温度のハーブティーが用意されている。数か月前、彼女が私付きになるまではなかったもので、遅くまで酒に付き合った夜には必ず置かれるようになった。実際、このお茶を飲むと胃のむかつきが治まってぐっすりと眠ることができ、これまで酷かった二日酔いも大幅に軽減されるのだ。


 深夜でありながら私の帰宅に合わせてわざわざハーブティーを淹れてくれること、また、それを本人が押しつけがましく注ぎに来るのではなく、「良かったらどうぞ」とばかりにテーブルに置いてあることが、私にはとても好ましく感じられた。


――明日こそ、彼女ともう少し喋ってみたい。


 優しい香りのするハーブティーに口を付けながら、私は思うのであった。



 ∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴


 翌朝、ハーブティーの礼を言うと、「もったいないお言葉です」と彼女はいつもどおりの微笑で返した。

 その完璧すぎる微笑みに、私は「また淹れてほしい」と頼むことも、「どんな種類のハーブを煎じているのか」と話を広げることもできず、そこで会話は終わってしまった。


 内心少しだけ凹みつつ、今日のスケジュール表を確認していると、午前中に新しい農機具を扱う商会との面会予定が入っている。


――そうだった、本当は昨日の夜のうちに資料に目を通そうと考えていたのに。


 そう思考した直後、斜め後ろに控えていた彼女からすっと紙が差し出された。


「領地に関わる部分のみまとめました」


 目を通すと、我が領地の商品作物の中心となっている果樹栽培に関する用具の情報と、新しい用具を使用した際の他領での試験結果が分かりやすくまとめられている。元は30ページ以上の冊子であったが、要点だけ簡潔に2枚に収められていた。


 また、3枚目には我が領地で他領の試験結果と同様の結果が出た場合の利益や、その場合に考えられる新たな製品や雇用の予測、結果が思わしくない場合に採算が取れる最低ラインなど、冊子にはなかった情報が付け加えられている。


「…流石だな。ありがとう」


 私の言葉に、彼女はやはり美しい微笑を返したのだった。


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