夏。僕は女子高生とペットボトルで繋がった。

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中二の夏休み、僕は知らない女子高生とペットボトルで繋がった。

               ◀▷


「ちょっと貴志、また海に行くの? あんた、来年は受験生なんだから、いつまでも遊んでないで少しは勉強しなさい」

 玄関でサンダルを引っかけていたら母親が見とがめて言ってきた。

「うるさいなあ。受験なんてまだ一年以上先だろ!」

「あ、ちょっと待ちなさい」

 母親がまだなんか言うのが聞こえたけど振り返らずに玄関を飛び出した。

 ったく。いちいちうるさいんだよ。ほんと、いやになる。海岸に向かって坂道を駆け降りながら、ふつふつと怒りが湧いてくる。もう子供じゃないんだから、いちいち指図されるなんて堪らない。放っておいてくれと思う。確かにあの事があって母親が神経質になってるのは分かる。でも、こっちだって反抗期なんだ。イライラしたって仕方ないだろ。だから、今は……。

 狭い坂道に続く巨大な防潮堤を抜けるとぱあっと世界が広がった。真っ青な空の下、真っ白な砂浜と青い海が目に飛び込んでくる。白い波が幾重にも重なって砂浜に寄せている。途端にそれまでのイライラが消え去って心が沸き立ってきた。

「ウオー!」

 バカみたいな奇声を上げて駆けながらTシャツを脱ぎ捨ててそのまま海にダイブした。頭の先から冷たい海水に包まれて身体が生き返ったように気持ちいい。浮力に身を任せて波に揺られた。あー、やっぱり僕は海が好きだ。

 

 少し沖まで泳いでいってゴーグルを着けて素潜りする。海の中はいつ見ても幻想的だ。海面から挿し込む光がキラキラと帯のように揺れて泡がゆっくりと昇っていく。ボコボコという小さな音が耳元で反響してどこか異世界めいた印象を与える。こんな穏やかな世界なら、いつまでも揺蕩っていたいけれど……。

「ぶはあー」

 海面から顔を出して大きく息を吸った。陸に目を向けると完成間近の巨大な防潮堤が目に入る。少し胸が苦しくなった。こんな穏やかな海も時に容赦なく牙をむくのだ。

 それは三年前のやっぱり夏のことだった。ちょうどお盆の時期。容赦なく照り付けた夏の太陽がようやく沈みかけた宵の頃、大きな地震が起こった。地震からわずか二十分ほどで巨大な津波が押し寄せて、その時あった防潮堤を軽々と乗り越えた。津波はそのまま街に流れ込み、家々を飲み込み押し流してしまうほどだった。たくさんの家が流されて多くの人が犠牲になった。少しだけ幸いだったのは、その夜、二百年に一度巡ってきた彗星の極大日で、多くの人がその星を見るために街の高台に集まっていたことだ。僕の家族もそうだった。だから助かった。それでも、あの日、眼下に押し寄せ、家々を押し流した黒い濁流と夜空を彩る蒼白い帚星の姿を僕は一生忘れない。

 

 午後いっぱい泳いで疲れたので砂浜の外れの岩でできた入り江で身体を伸ばして休んでいた。

 あんなことがあっても僕は海で泳ぐことは好きだった。それは小さいころからずっと変わらない。中学になって親に進められて水泳部に入部したけれど半年でやめてしまった。だってプールで泳ぐのはなんか物足りない。波もなければ魚もいない。なんだか生きている気がしなかった。

 チャプチャプと岩に当たる波の音が聞こえていた。その音を聞きながらボーと海を眺めていたら、時折、ポコン、パコンという音が混じるのが聞こえてきた。なんだろう? 音の在処を捜して岩場を覗き込む。しばらく探していると波に煽られて岩にぶつかっているペットボトルを見つけた。

「なあんだ」

 誰かが捨てたのか、それともあの時の漂流物だろうか? どちらにしてもこのまま放置するのはよくない。あの時、大量の瓦礫で埋まった海岸をみんなでここまで綺麗にしてきたんだ。

「あれ?」

 拾い上げて手に取ってみるとそのペットボトルの中には棒状に丸めた紙のような物が入っていた。なんだろ、これ? キャップを取って指を突っ込んでみたけど上手く取り出せない。そうなると妙に気になって、もしかしてこれ宝の地図とかじゃないだろうか? とか言う中二的な妄想が浮かんできて自分でも苦笑してしまった。うーんと、ピンセットで掴んだら出てくるかな? そう思って拾ったペットボトルを持ち帰った。

 中の紙はピンセットで挟んでくるくる回しながら引っ張ると案外簡単に取り出せた。広げると罫線の入ったルーズリーフだった。残念ながら宝の地図じゃなく(まあ、あたりまえか)文字が綴られている。一瞬、韓国やロシアとかのよく分からない文字だったらどうしようと思ったけど、それは丸みを帯びた可愛い日本のかな漢字文字だった。ということは日本のどこかから流されたものだろう。いったいなにが書かれているんだろう? そう思って読み始めた。


《 ああ、退屈。退屈で死にそう。

 ……なんてね。ちょっと大げさ。でもほんと、やんなる。あんまり退屈なんでミカちゃんに長々と電話で愚痴ってたら、さすがに怒られちゃった。でもさ、吐き出さないとやってられないよぅて言ったら「迷惑だから穴掘ってその中に叫べ」とか「紙に書いて海に流せ」とか言われた。だから、穴掘るのは大変そうなので流すことにした。

 これっていわゆるボトルメールだよね? 流した手紙が海を渡って誰かの手に届くかもって言う。いやあ、高二にもなってそんなロマンチックなことするとは我ながら思ってなかったなあ。内容は全然ロマンチックじゃないけど。あと誰かに届いたらむしろ困るって言うか、恥ずかしくて死ねるけど。まあいいや。どうせ誰も見ないでしょう。

 とりあえず、なんで退屈で、なんで愚痴ってるかっていうと、足を怪我しちゃったから。

 二週間前、帰り道で前から来た車を避け損ねて階段を踏み外した。何をやってるんだと自分でも思うけど、部活後のヘロヘロな状態でちょっとボーとしてたんだ。で、気が付いたら車が目の前。慌てて避けたらちょうどその先が階段で、その瞬間、ヤバいと思った。あるはずの地面がなくて足が宙に浮いた。次の瞬間、ガツンと衝撃。数段転がり落ちた時にはやってしまったと思った。痛さをこらえて家に帰りついて湿布やら冷温治療やらあれこれやっても痛さは引いてくれず、翌日お医者さんに診てもらうと足の骨にひびが入っていた。そのまま石膏で固められて松葉杖の日々。

 これが笑わずにいられますかって! ……いや、笑えない。ていうか泣きたい。だって聞いてよ。バスケのインハイ本番まであと三週間だったんだよ。折角、今年はレギュラーになれたのに。悔しい。チームのみんなにも迷惑かけるし。

 でも、私が松葉杖で体育館に行ったら、みんな一瞬言葉に詰まった後、爆笑したのは納得いかない。なんなのアレ? おまけに「まあ、あすみだから、仕方ないなあ」とか、どゆことよ? 私はそんなにドジっ子じゃないぞ! 最後に、みんなで肩を叩いてくれたのは励ましてくれたと思っていいんだよね? 呆れてた訳じゃないよね? あれ? ちょっと心配になってきた。

 そんなわけで目標だったインターハイにも出れず、というか練習も出来ず、かと言って松葉杖をついて遊びに行く気にもならず、夏休みが始まったというのに何もすることがなく退屈で死にそうなんだ。

 あ~あ、なんか楽しいことないかなあ? 楽しいこと……楽しいこと……楽しいこと……あれ? やだ……なんで涙とか……》


 読み始めてすぐ、なんだ女子の手紙かと思ったんだけど年上の女子高生だとわかって急に落ち着かない気分になった。なんだか人の日記を盗み見てるような気まずさ。でも、読み進めると誰かと話してるような文章が心地よくて気まずさも忘れて引きこまれてしまった。

 怪我した描写では痛そーと顔をしかめそうになったし、部活仲間とのエピソードでこっちも笑ってしまった。でも最後の一文を読んで急に胸が苦しくなって自分でも慌てた。

 え? ちょっ! これ、気になるところで終わってるんだけど! このお姉さん、大丈夫だろうか? 部活は? インターハイは? どうなったんだろう? 

 そう思ったけど、よく考えたら、この手紙、いったいいつ流されたのかもわからないし、もう、何年も前の話かもしれないから、とっくに終わったことなのかもしれない。

 そんなふうに思いながら、なんだかもやもやしたものが胸にわだかまって、その夜はちょっと寝苦しかった。



 反抗期だからと言って別に全てにおいてアウトローを気取っているわけじゃない。まあ、それもかっこいいかもしれないけど、自分で言うのもあれだけど基本的に僕はまじめな性格だ。だから夏休みの課題だって毎日少しづつ片付けている。でも、こんな朝から茹だるような暑さの日は正直やってられない! 寝苦しいと思ったのはきっとこのせいだな、うん。堪らず朝から海にダイブした。あー、やっぱ、海の中はいいな。生き返る―。たちまち楽しくなってもやっとした気分は吹き飛んだ。そのまま午前中いっぱい泳ぎ倒して、さて休憩といつもの入り江に足を向けた。

 そこにちゃぷちゃぷと揺れているペットボトルを見つけて、一瞬、足が止まる。

―――え? 忘れていた昨日の記憶が蘇る。まさか、また? 慌てて駆け寄って掬い上げた。ボトルの中には……昨日と同じように丸めた紙が入っていた。

 うわあ。ほんとかよ? 心臓がドキドキしてきた。これはあの人からのボトルメールだろうか? もしそうだとしたら奇跡みたいだ。一方で頭の冷静な部分が、そんなわけあるかと否定する。それでも僕はどこかでこれがあすみさんの手紙だと確信していた。それを確かめるためにボトルを持って急いで家まで駆けた。

 少し焦りながらピンセットで引っ張り出したのは昨日と同じルーズリーフ。開くと見覚えのある丸っこい文字が踊っていた。奇跡だ! と思った。途端に嬉しくなる。同じ人からボトルメールがまたたどり着くなんて。ワクワクして読みだした―――


《 あれからまだ引きこもってる。我ながら呆れる。何やってるんだろう、わたし。

 練習できなくても、試合が近いみんなのためにできることはいくらでもあるはずなのに、みんなの練習に顔を出せない。そんなにショックだったのかなあ? そうなんだろうなあ。はあ。

 今年のインハイは私たちの地元〇〇県の開催で気合が入ってたし、予選の決勝で宿敵紅百合学園を倒した時は絶対全国で勝ち上がって清純の名前を広めるんだって思った。それなのに……。

 確かに認める。あたしはドジだ、大ドジだ。それに大バカだ。なんでこんな時にこんな怪我なんかしちゃったんだろう。あー、最悪。

 でも、それ以上にもっと最悪なのは……みんなの練習を手伝いに行けないこと。

 試合に臨むみんなの役に立ちたい。それは本当。でも同時に、そんなみんなを見てるのが辛い。試合に出られるみんなが羨ましい。練習を手伝いに行ったらきっとみんなに嫉妬してしまう。妬んでしまう。素直にみんなを応援できない。

 わたしこんなに弱かったんだ。こんな自分はたまらなく嫌。だから、こんな気持ち、海に流してしまおう。お願い。無くなって……》


 ワクワクして読みだした―――のだけど、たちまち胸が苦しくなった。

 そこに綴られている感情はとてもやるせなくて弱弱しくて……。中学二年の自分からは高校生はすごく大人びて見える。だけど、そんな高校生にも、こんな想いを抱えている人がいるんだ。それはとても大きな驚きだった。そして誰かのこんな直截な想いを打ち明けられて動揺した。もちろん、これは誰に当てたわけでもないボトルメールで僕には何の関係もない。でも、だからこそ他人のこんな赤裸々な言葉を受け取ってショックだった。

 思えばこんな言葉を聞いたのは、あの震災の時以来だ。あの時、僕も、僕の周りも、いっぱい弱音を吐いた。それでも、それだからこそ、僕よりずっと年上のお姉さんのそんな言葉に胸が苦しくなった。

 それとは別にひとつわかったことがある。お姉さんの住んでいるのは隣の県で、通っているのは結構有名な私立の女子高だった(後からググって分かった)。そうかそれでボトルメールがうちの海岸にたどり着いたんだなという納得と、それにしたって二度も同じところによく流れ着いたなという驚きが混じった。さすがにもう来ないだろうな。そう思うと、また胸が少し苦しくなった。今夜も寝苦しくなりそうだ。



 翌日、さすがに三度目はないだろうと思ったけど、もしかしたらと気になって朝から入り江に出かけてみた。案の定、ペットボトルらしきものは浮かんでいなかった。ふうっと息が漏れる。まあ、そうだよなあ。それが普通だよなあ。そうは思ってみても、なんだか諦めきれずに入り江のあちこちを見て回った。でもやっぱり何も見つからない。自分でも気落ちしているのが分かった。

 ……あの後、お姉さんがどうしたのか気になって仕方なかった。もう元気になっただろうか? 足が治って部活に復帰したかな? それだったらいいな。それとも……。

 取り留めなく、そんなことを考えながら見るとはなしに海面を見ていたら、突然、ぽんっと何かが海から飛び出した。へ? それは一旦、五十センチほど海面から飛び上がるとぱちゃっと着水してちゃぷちゃぷと波に揺れた。

「……ペット……ボトル?」

 それが何かに気が付いて慌てて手を伸ばして掴む。中に丸めた紙が見えた。

「っつ!」

 嘘だろ?! 三度目のボトルメールだ! と言う驚きと、なんで海中から飛んで出たんだ? と言う疑問が同時に浮かんだ。不思議に思ってペットボトルが飛び出した海の中に頭を突っ込む。海底はほんの一メートルほど下だ。その一角が妙に明るい。よく見るとまるでそこだけ四角く切り取られた窓の様に空色に見えた。なんだぁ、これ? 一瞬、海に差し込む光の加減で空が写っているのかと思った。でも次の瞬間、その窓の中に誰かの顔が現れた。

 女の人だった。まだ若い、と言っても同年代の中学生よりも大人びた、そう、ちょうど高校生ぐらいの女の人だ。なぜ海底にそんな窓があるのかとか、いったい見えてるのは何処なのかとか、色んな疑問が脳裏をよぎったけれどそれよりも、その人の姿に目が釘付けになった。

 ハッとするほど垢ぬけた顔立ちと左目の下のほくろが印象的だった。ポニーテールにした髪が後ろで揺れている。その人はなにかを堪えるような苦しげな表情でこちらを覗き込んでいた。

 不意に彼女と目が合った気がした。ドクンと心臓が跳ねる。

「ぐわはぁ!」

 びっくりして口を開けてしまい海水を飲み込んだ。慌てて海面から顔を出す。

 な、なんだあれ!? 

 ゲホゲホと海水を吐き出しながら頭は混乱しまくっていた。

 それでも、もう一度、今見た女の人を確かめたくて、息を大きく吸い込んで頭を海に突っ込んだ。

 まだ海底の不思議な窓は見えていた。でも女性の姿はよく分からない。僕は窓に手を伸ばした。持っていたゴーグルで窓に触れる。でも、なにかに当たった感触はない。そのままゴーグルごと腕が窓の中に消えていった。

 うわあ! 怖くなって手を引いた。その拍子にゴーグルが手から零れ落ちる。あっと思った時にはゴーグルはくるくると向こうへと落ちていった。次の瞬間、窓は嘘のように消えうせて僕のゴーグルは何処にもなかった。



 しばらくその場で呆けていた。なんだったんだ、あれ? 海の中に窓が現れて、その中に女の人が見えるなんて夢でも見たんだろうか? けれど自分の左手にはさっき海から飛び出したボトルメールが有って代わりに自分のゴーグルが無くなっていた。だからあれは夢じゃない。でもじゃあ、あれは一体なんなんだ? 

 分からないことだらけの中で、ただ一つ確信めいて感じていたのは、あの時見た女の人が高校生のあすみさんに違いないということだ。こちらを覗き込んでいた彼女の苦しげな瞳が脳裏に浮かんでいた。

 家に帰って今日拾ったボトルメールを恐る恐る読んでみる。案の定、それはあすみさんからの三通目で、そのメールでも彼女はまだバスケ部に顔を出せないことに悩んでいて、部活に行かないなら勉強でもしなさいとうるさく言う親に腹を立てて、でも最後には、そんな自分を責めていた。

 読んでて、なんだか泣きたくなってきた。もちろん僕は彼女と何の関係もなくて、ただボトルメールを拾っただけの中学生だ。それでも、苦しそうに眉を下げてまるで泣き出しそうだった彼女の表情を思い出すと胸が苦しい。なんでこんなに苦しくなるんだろう? 自分には何もできないからだろか? でも、それは仕方ないことで、ボトルメールは一方通行だし……と思った時、フラッシュバックのように映像が浮かんできた。

―――それは海面から飛び出したペットボトルの軌跡。

―――それは海底に現れた窓の光景。

―――それは向こうへ落ちていったゴーグルの残像。

「あっ!」

 あのゴーグルはどこに行ったんだろう? 窓の向こう側に行ってなかったか? そうだ! それなら……こっちから何かを届けることも出来るんじゃないのか?! きっとそうだ! そうに違いない!

 思い付くと居ても立ってもいられなくなった。あの海底の窓が何なのか? なぜそんなことが起こっているのか? という疑問はもちろんあったけど、こちらからも何かを送れるのなら、とりあえずそんなことどうでもいい気がした。

 だから僕も……彼女に手紙を書いてみよう。そう思った。


――そう思ったまでは良かったんだけど、友達とラインでやり取りすることはあっても、これまでまともな手紙なんて書いたことがなかったし、いきなり会った事もない、しかも年上の女子高生に手紙を書くなんてハードル高過ぎる! 

 途中で何度も投げ出しかけて、何とか完成させたのは結局こんな一行にも満たない短い手紙だった。


【 あすみ様

 はじめまして。あなたのボトルメールを受け取りました。怪我の事、辛いでしょうが、めげずに頑張ってください。 貴志 】



 翌日、その手紙を彼女から来たペットボトルに詰めて、昨日ボトルが浮き上がった時間に入り江に向かった。

 不安だったのは今日もあの窓が海底に現れるのかと言うこと。昨日見た窓は目の前で消えてしまった。あれがどうやって現れるのかまったく分からない。でも同じ場所で三度ボトルメールを見つけたから、多分場所はここなんだろう。時間については正直確信はなく同じ時間に行ったら現れてくれないかなという期待だけだった。

 顔をじゃぶんと浸けて海の中を覗き込んだ。海底は普段と変わりなく例の窓は見当たらない。ああ、だめかぁ。少し落胆した。それでも待っていればそのうち現れるんじゃないかと思って何度も海中を覗き込んでみる。でも一向に海底に変化はなく、その内、昨日見たあれは幻だったんじゃないかと不安になってきた。

 一時間ぐらい粘ってやっぱり駄目かとあきらめかけた時、突然、海底に明るい空間が浮かび上がった。

 ああ、出たぁ! やっぱり幻じゃなかったんだ! 

 途端に心が沸き立った。すぐ潜って窓に近づく。その窓にポニーテールの女性の姿が現れた。彼女がぽとんとボトルを落とした。それはゆらゆら揺れて向こう側から窓に近づくとこちら側へと窓を通り抜けた。瞬間、ぱしゅっと勢い付けて海面向かって上がっていく。

 わお! 慌てて顔をよけながらそのボトルを掴んだ。反対に今度は自分のボトルを窓に押し付けるとそれは抵抗なく窓を越えた。手を離すと僕のボトルはシュルシュルとあちら側に落ちていった。そのあと、すぐに窓が消えたので僕の手紙が彼女に届いたか確認できなかった。でも、きっと届いた。そんな気がしていた。

 なんだかすごいことをやり遂げた気分で、今日届いた彼女のボトルメールを片手に意気揚々と家に帰った。彼女の手紙は相変らずだったけれど、もう大丈夫ですよと、まるで自分が彼女を助けるヒーローにでもなった気分で思っていた。けれど……。



 翌日、彼女からの返信がくるかもとドキドキしながら、いつもの時間に入り江に行ったけれど、なにも浮かび上がってこなかった。海底をいくら覗きこんでも窓は現れない。時間を変えて何度か見に行ってもボトルは見つからなかった。正直、期待していた分少し気落ちしたけれど、でもまあ、彼女だって毎日手紙を書くわけじゃないだろうし、そういう事もあるだろうと思った。

 ところが、二日経っても三日経っても彼女のボトルメールは来なかったし、あの海底の窓も見つからなかった。流石に変だと気が付いた。どうしたんだろう? もしかしたら、もうあの不思議な窓は現れなくなってしまったんだろうか? だから、メールが届かないのか? そう思うと落胆で胸が苦しくなった。それからも毎日、何度も窓が現れないかと確認しにいったけれど一度も見つけられなかった。

 そうしてボトルメールが来なくなって一週間、それでもあきらめずに入り江に向かった僕の目の前で、それは突然海面から飛び出した。

「あっ!」

 慌てて飛び出したペットボトルを拾って海底を覗き込む。ああ、あった! 海底に例の窓が見えた。その中にチラッと女性の姿が見えてすぐに消える。僕は心底ほっとして顔を上げた。ペットボトルの中にいつものルーズリーフが入っているのが見えた。返信だろうか? 家に帰ってドキドキしながら取り出した手紙を開いて……固まった。

 そこにはただ一言、こう書かれていた。


《 あなた、だれ?》


 うわああああ! やってしまった。そりゃそうだ。いきなり見ず知らずの奴からボトルメールの返事が来たら誰だって驚くよな。しかも返信もボトルメールで届くなんて普通あり得ない。自分だったら、そんなの誰かの悪戯だって思いそうだ。

 そうか、それで、今まで返信が来なかったのか。僕は頭を抱えた。それでも、僕の怪しい手紙を無視せずに返してくれた彼女にもう一度ちゃんと手紙を書きたいと思った。


【 あすみ様

 驚かせてしまい、すみません。

 僕は〇△県〇×市に住む中学二年の逢坂貴志と言います。先日、あすみさんのボトルメールが僕の住む町の海岸に流れ着いたのを拾って読ませてもらいました。それも何通も。

 初めは偶然流れ着いたのだと思っていたんですが実は違いました。これから書くことはちょっと不思議で僕もよく分からないのですが、決して冗談や、あすみさんをからかっているのではないので最後まで読んでください。お願いします。

 実はあすみさんのボトルメールは海底から窓のようなものを通って僕のところに来ました。海底に現れるその窓は多分こちらとそちらを結んでいるのだと思います。

 僕はちらっとあすみさんの姿をその窓越しに見ました。あすみさん、ポニーテールにしているでしょう? 

 それから、その窓を見ていて気が付いたんです。そちらからこちらにボトルがくるのなら、こちらからも送れるんじゃないかって。それで試しに送ったのが、先日のボトルメールです。ちゃんとあすみさんに届いたのですね? よかったです。そして驚かせてほんとにごめんなさい。 貴志 】


 翌日、書いた手紙をペットボトルに詰めていつもの時間に入り江に向かった。海底を覗き込んで見たけどあの窓は見えない。

 今日は現れてくれるのか? 不安だった。先週一週間の事を考えると心細かった。

 何度か海中を覗き込んでいると不意に海底から明るい光が挿した。

 あ、現れた! 窓の中に青い空が見える。その中に窓枠から覗き込むようにあすみさんが現れる。彼女はなにかを探すように目を細めてキョロキョロしていた。

 僕はペットボトルを窓の向こう側に押し込んで手を放した。ペットボトルはゆらゆらと向こう側に沈んでいって、空に向かって飛び出した。彼女がびっくりした表情を浮かべてそのペットボトルを拾い上げた。

 僕は水の中でほっと息を吐く。ちゃんと届けられた。今度の手紙を読んで今度は彼女が驚かなければいいなと思った。



 彼女からの返信は驚いたことにその日のうちに届いた。

 いつもの様に一日中海で遊んだ夕方、なんとなく足が入り江に向いて来てみると波間にちゃぷちゃぷ揺れているペットボトルが見えた。あれ? と思って拾い上げるといつもの彼女のルーズリーフが入っていた。まさか! と思って慌てて海底を覗き込んだけど窓は見えなかった。

 でも、この手紙が来たということは、きっとあの窓がまた現れたんだ。一日一回じゃなかったんだ。ほんとにいったい、どういう条件や時間であの窓は現れるんだろう? なんだかよく分からなかった。それでも思いがけず彼女から直ぐ手紙が戻ってきたことに嬉しくなって急いで家まで駆け戻った。


《 君の手紙受け取って、ちょっといろいろ信じられないんだけど、君、ほんとに中学生? まさか、ストーカーじゃないよね? 

 ペットボトルが海面から飛び出てきたときは驚いちゃった。もしかして海の中に誰か潜ってるんじゃないかと思ってしばらく海面を見つめてたけど誰も浮かんでこないし、近くにいた漁師のおっちゃんに棒借りて海の中掻きまわしてみたけど誰もいなさそうだし。不思議に思ってたら君の手紙にさらに不思議なことが書いてあるんだもん。でもほんとかなあ。まだちょっと疑ってるんだけど……まあ、いいや。

 それで、君、わたしの手紙拾ったんだよね? 何通拾ったの? どんな内容の……ああぁ、いい! 言わなくていいから、全部捨てて! 捨てなさい! いい? 分かったわね? 捨てるんだよ! いや、いっそ燃やしてくれた方がいいかな。よろしく! 

 あ、でも、この手紙が君の所に届く保証はないのか? まあ、それならそれで偶然と言う事でもう良いのかな。もし君の言うように偶然じゃなかったら、そうだなあ、わたし今ヒマだから、また、気が向いたらボトルメール書いてもいいかな。それじゃ、そういう事で

(ちなみにポニーテールは当たり。やっぱり君ストーカーじゃないの?) 》


 読み終わって思ったのは、彼女がちゃんと自分の手紙を読んでくれたんだという安堵とストーカーと疑われているという驚きだった。いや、違うし。ストーカーじゃないし。

 彼女が今までの手紙を捨てて欲しいと言ってきたこともまったく予想してなかった。どうしよう? 悩む。やっぱり誰かに読まれると思ってなかった手紙を読まれたんだから恥ずかしいんだろうなあ。彼女の言うように捨ててしまった方がいいんだろうけど、でも、なんとなくそうしたくなかった。この手紙は、この不思議な出来事の証拠だ。捨ててしまえば二度とあの不思議な窓は現れないような気がした。だから、あすみさんには申し訳ないけど捨てずに持っておこうと思った。

 それにしてもあの窓がいつ、どうやって現れるのか謎だった。これまでは朝の時間に現れる(現れないこともあるけど)のかなと思っていたけど、夕方に彼女からのメールが届いたと言うことはその時にまた現れたと言う事だ。一日に何回か現れる時間があるんだろうか? それともなんか条件があるのか? 

 僕はこれまであの窓を見たときのことをもう一度思い出す。いつも突然海底が明るくなって窓が現れて…向こうの空が見えて…そして、あすみさんが現れて…彼女が消えると窓が……消える? 

 あ! もしかして……ひょっとしたら、あすみさん自身が条件なんじゃないのか? そんなことあるか? とか、それっていったいどういう原理? とか疑問はあったけど、そう思い至るともうそれ以外考えられなかった。


【 あすみさん

 ちゃんと手紙受け取りました。やっぱり偶然じゃないと思います。

 でも前に書いた海底の窓ですが、僕の方からはいつ現れるのか分からないんですよね。あすみさんの方からは見えたりしますか? 僕の想像だとその窓は、あすみさんが海を覗き込んでいる時に現れるんだと思うんです。どういう理屈でそうなのか分からないけど、きっとそう。

 なので、もしあすみさんがよければ実験してみませんか? 例えば、時間を決めてあすみさんに海を覗き込んでもらって、その時、窓が現れるか僕が確認するとか、どうでしょう? 僕は夏休みなので時間はいつでも良いです。あすみさんの都合の良い時間を指定してください。よろしく。

 あと、すみません。拾った手紙は、こんな不思議な出来事の記念なので捨てられないです。ごめんなさい。貴志 】


 翌日、いつものように朝の時間に現れた窓(この時も彼女の姿が見えた)にボトルメールを放ったら、また夕方に返事が来ていた。


《 貴志くん

 ああ、ほんとに届くんだ。まだ正直半信半疑だけど、でも君、正直そうだから信じてあげる。それにしても不思議だね。海底に窓かあ。ううん、わたしも君からのボトルメールもらって海中を覗き込んだりしてるけど、こっちからは何も見えないよ。それに、わたしが覗き込んだときだけ現れるの? ほんとに? そんなことあるかなあ?

 実験は、うん、やってみよう。面白そう。そうだなあ、明日の10時はどう? ちょうどいつも病院に行く途中に海岸を通るんだよね。これまでもその時にボトルメール流してたから。窓が見えたら君からボトルメール送ってよ。そしたら病院の帰りに(多分12時頃)もう一度、こちらから返信のボトルメール流すから窓が現れるかどうか確認してみて。

 ……なんかあれだね。こういうの夏休み自由研究みたいでちょっと楽しい。そうだ。君の自由研究のテーマにしてみたら? 題名は、なんだろうなあ? 『海底どこでもドアの出現について』とか? あはは、ダメかな? まあ、いいや。

 あ、あと、わたしの手紙のことだけど捨てないのならぜーったい誰にも見せないこと! いい? 絶対だよ! それが守れないならもう君とのやり取りはやめるからね。分かったら約束するように! 明日美 》


 翌朝、彼女の手紙の通りに待っていると10時きっかりに海底に窓が現れた。窓の向こうで明日美さんが手を振っている。やっぱり僕の推論は正しそうだ。向こうからは見えないんだろうなと思いつつ僕も手を振りながら用意したボトルメールを窓に放った。


【 明日美さん

 実験の時間、了解しました。今からワクワクです。

 夏休み自由研究、いいですね。でも『どこでもドア』て、小学生じゃないんだから、もうちょっとかっこいいネーミングはないでしょうか? 例えば、超時空間透過装置(ハイパースペーストランスファーフィールド)とかなんとか。……いや、いいです。どっちにしてもこんなこと自由研究に出しても誰も信じてくれなさそうですし。

 えっと話変わりますが、 実験は病院に行く途中でって書いてありましたけど明日美さんの足の怪我、調子はどうですか? まだ松葉杖なんでしょうか? それからクラブには顔を出しましたか? なんとなく気になってます。

 あと手紙を誰にも見せない件、了解しました。約束します。 貴志 】


 実験計画通り今度は12時に待っていると、また海底に窓が出現した。これでもう間違いないな。同時に彼女からボトルメールが戻ってきた。


《 貴志くん

 いや、君のネーミングの方が可笑しいから。なにそれ? まんま中二じゃん。あ、君、リアル中二だったっけ? それじゃあ、仕方ないか^^ でも男の子だねえ。やっぱりそういうの好きなんだ。なんか、かわいい。

 怪我の方は、そうだね、ようやくギプスは取れて今はリハビリ中。でも松葉杖はまだ欠かせないかな。だから毎日病院に通ってる。今も待合室でこの手紙書いてるんだよ。

 クラブのことは……あー、君には恥ずかしい手紙読まれてるんだよなあ。忘れて欲しいんだけどなあ。そういう訳にもいかないか。そうだね。まだクラブに顔を出せないでいる。自分でもどうかと思うんだけど、みんなと顔を合わせるのが恐いんだ。自分の気持ちが抑えられなくなりそうで。君はクラブとかやってる? この気持ち分かってくれるかな? 分かってくれると嬉しいな。

 そんな話よりさ、もっと楽しい話しない? 例えば、君はあの彗星見てる? 綺麗だよね? もうすぐもっと尾が長くなるんだって。一番長くなるのは、えーと……あ、これって初戦の……あ、名前呼ばれたから行くね。それじゃあ、明日もまた10時に。実験の結果も教えて。明日美 》



【 明日美さん

 やっぱりですよ! やっぱり予想通り、 あの窓は明日美さんが海面を覗き込むと現れました! これって凄いことですよね! 明日美さんってもしかしたら魔法使いかなにかですか? 特殊能力者だったりして! 凄いなあ。

 そんな凄い能力持ちの明日美さんなら、怪我もすぐに治っちゃうんじゃないかな。きっとそうだと思います。だから大丈夫、きっとクラブもすぐに復帰できますよ。

 あと彗星の話はちょっとよく分からないんですけど? 今彗星なんて見えてましたっけ? 貴志 】



《 貴志くん

 わたしに特殊能力なんてあるのかなあ? 全然普通だよ? むしろそんな能力があるのなら今すぐ怪我が治る能力が欲しい……なんてね。そんなの無理だよね。もうすぐ大会が始まるし、もう、みんなに会うのも気まずいし、復帰も……もういいかなって、ちょっと思ってる。 明日美 》



【 明日美さん、そんな事、言わないでください! 僕はクラブには入ってませんが明日美さんの悔しい気持ちはなんとなく分かります。でも三年前の震災の時の辛さや悲しさを考えれば大丈夫です。明日美さんにはまだ次があります。だから、負けないでください。貴志 】



《 あのさ君、励ましてくれるのは嬉しいけど、いい加減なこと言わないで。

 わたしの悔しさや辛さが君に分かるわけがない。心にポッカリ空いたこの気持ちをどうやったら埋められるって言うの? 君にそれが出来るの? 君が言ってる震災の話とかよく分からないけど、それがなんなの? わたしと関係ある? 

 ……ごめん。自分でも感情的になってるの分かってる。君に怒るのは筋違いだ。君には何の責任もない。これはわたしの問題で、だからこれは、わたしが悪くて、だから

 ……おねがい、聞かなかったことにして。だってこれは宛先もない海に流したメールだから 》



 その手紙を読んで胸の中がずんと重くなった。僕はなんてバカなんだ。明日美さんの気持ちもよく考えず、安易な励ましで彼女を怒らせてしまった。やってしまったと思った。もしかしたら彼女は僕とのメールのやり取りをもうしたくなくなったかもしれない。明日は来てくれないかもしれない? ……来てほしいな。そうしたら今度は、精一杯の言葉を贈れるのに。

 そう思いながら、彼女が手紙の中で震災の件を分からないと言っている事に少し違和感があった。あれはかなり大きな災害だったはずだけど彼女は知らないのだろうか? もしかして高校からこっちに来たのかな? そうかもしれない。それなら……僕は彼女に伝えたいことがある、と思った。

 幸い、明日美さんは翌日も時間通り顔を覗かせてくれた。僕は少し緊張しながら手紙を窓に放った。そうして、どうか届いてくれますように、と願った。



【 明日美さん

 僕の手紙で明日美さんを怒らせてしまい、ごめんなさい。とても考えなしで言葉足らずだったと反省しています。すみません。

 その上で、それでも明日美さんに聞いて欲しいことがあります。だから、もう一度だけ聞いてください。お願いします。

 三年前の震災のことは、明日美さんは覚えてないでしょうか?(きっと高校からこちらに来られたんでしょうね)あの日は……ああ、ちょうど明日であれから三年目です……夕方に大きな地震が起こって、その後に津波が押し寄せました。たくさんの家が流されて、何人も犠牲者が出ました。僕はちょうどその頃見頃を迎えた彗星を見るためにたまたま家族と一緒に高台にいたので助かりました。でもたくさんの家や学校も被害にあって友達も何人か犠牲になって、いろんな物をなくしました。

 僕もしばらく何もする気が起きなかったです。だから、明日美さんと理由は同じじゃないけれど、でも、なんとなく分かるんです。理不尽に何かを奪われる気持ち。どうしようもない悔しさ。ぽっかりと空いた喪失感。それでも三年経って思うんです。僕らは今生きていて僕らにはまだ明日がある。変えられる未来がある。だから、明日美さんにも絶対、次があります。大丈夫です。今はまだ気持ちが次に向かわないかもしれないけど、どうか諦めないでください。それに僕は明日美さんがクラブに復帰して活躍する姿が見たいです。来年のインターハイ、応援に行きます。だから、がんばってください。貴志 】



 その日の昼には返信はなかった。やっぱりまた怒らせてしまっただろうか? また余計なことを言っただろうか? 不安が胸に広がる。

 それでも、と思う。それでも彼女に伝えたかった。元気を出して欲しかった。だから……。

 彼女からの返事はその翌朝にあった。



《 貴志くん

 君さ、本当に中学生? わたしがあんなにひどいメール送りつけたのに、なんなの? なんでそんなに大人な返事が出来るの? まったくもう、これじゃ、わたしの方が子供みたいじゃない。……だけど、ありがとう。なんか吹っ切れた。

 でも三年前にそんな震災なんてあったっけ? わたしはずっとここで生まれ育ったけど、そんな経験ないんだけど? まさか君の作り話じゃないよね? それともわたしの所は大丈夫だったていうことかな? あとね、彗星って三年前にも見えたんだっけ? 今もアリー彗星って言う二百年に一度の彗星が来てて毎晩綺麗に見えてるよ。なんかちょっと不思議だね? きみの話がどこか違う世界の話のように聞こえる。でもまあいいや。

 君がわたしのクラブ姿を見たいって言うのなら、もう一度頑張ってみようかな。今日、インターハイの初戦があるの。近くの市立体育館であるからリハビリが終わったら、勇気を出してみんなの応援に行ってくる。ありがとう。きみのお陰だよ。

 それにしても、わたしの姿が見たいとか、応援に行くよとか、君、ちょっと女たらしの要素あるんじゃない? 中坊のくせに生意気だぞ。でも、ありがとう。そう言って貰えて、元気出たし、勇気出た。じゃあ、行ってくるね。明日美 》



 ああ、よかった。心底ほっとした。生意気なことを言って、また彼女を怒らせたんじゃないかと心配だったけど大丈夫だった。それどころかクラブに戻る気になってくれた。しかも僕の言葉で。思わず頬がにやついてくる。うれしい! なんだかとても嬉しい。これって僕の言葉が明日美さんに届いたって言う事だよね。やったぁ! 

 今ならなんだって出来そうな気がしてきた。そうだ! 明日美さんの学校の応援に行っちゃおう! 隣県だからそんなに遠くないし、会場とかネットで調べれば分かるだろう。学校の名前も知ってるから試合時間だって調べられる。それにもしかしたら明日美さんにだって会えるかもしれない。多分松葉杖の人を捜せば見付けられるんじゃないかな? それで突然現れて驚かしちゃおう。あは。いいな。楽しそう。

 僕はワクワクしながらさっそくスマホで検索を開始する。女子バスケットのインターハイ会場と日程は……うん? 出てきた検索結果を見て首を傾げた。あれ? 会場が関西の某県になってる。なんで? 今年のじゃないのかな? でも年度を確かめると確かに今年の日程だ。どう言うこと? ちなみに出場校を検索すると、明日美さんの高校は出場校一覧に名前がなかった。

 急に不安で胸が苦しくなった。足元にポッカリ穴が空いたような気がした。さっきまで確かに在ったものが急になくなる感覚。僕がボトルメールをやり取りしていたのは本当に実在の人物だろうか? それとも……。

 きゅっと心臓が締め付けられた。僕は急いで検索窓に別のキーワードを打ち込む。彼女の高校名。インターハイの開催県リスト。出てきたのは……三年前の記事。ちょうど三年前のこの時期、確かに隣県でインターハイが開催されていた。そして彼女の高校のバスケ部も出場している。

 ……なんで三年前? 僕は混乱した。明日美さんのバスケ部が出場した隣県のインターハイは今年じゃない? でも、僕が手紙のやり取りをした明日美さんは今日が試合の日だって……。

 あっ。まさか?! そこで思い付く。あの窓は場所だけでなく時間も越えるのか? 僕は三年前の明日美さんと繋がっていた? 自分で考えながら、なんて中二な妄想なんだと思った。でも、きっとそうだ。明日美さんの手紙には彗星の話が書いてあった。あれは三年前に僕が見た彗星だ。僕らは距離も時間も越えてあの窓とボトルメールで繋がったんだ。

 そう気づいた瞬間、いやな予感が胸に膨らんだ。もしかして日にちまで三年きっかりじゃないだろうな? 慌ててインターハイの試合日時を検索する。三年前の明日美さんの高校の初戦は? ……今日だ! それはつまり、あの震災の日だ!

 分かった途端、心臓がドクドクと音を立てた。こめかみからすーと血の気が引いていく。脳裏にあの日見た濁流の記憶が蘇る。震えだした指で明日美さんの住んでいる街の三年前の被害状況を調べる。そこに死者・行方不明者、百数十人の記事を見付けて背筋が凍る。どうしよう? どうしたらいい? このままだと明日美さんの街でも大きな被害が出る。もしかしたら、明日美さんも巻き込まれるかもしれない。知らせなきゃ……明日美さんに津波の事知らせなきゃ……それには……。

 僕は震える手を押さえながら急いで手紙を書いてボトルに詰めた。



【 明日美さん

 今から僕が言う事、驚くかもしれませんが、信じてください。

 そちらの今日、午後7時30分頃に大きな地震があります。

 その後すぐ津波が押し寄せます。

 逃げてください。出来るだけ高台に。出来れば内陸の方まで。

 そして、出来るだけ多くの人に知らせてください。

 これは冗談じゃありません。僕は未来からこの手紙を送っています。

 だから信じてください。

 明日美さん、生きて! 

 貴志 】



 ボトルメールを持って今か今かと待っていたけど、いつもの昼の時間になっても窓は現れなかった。そう言えば、明日美さんは今日クラブの応援に行くと言っていた。だから病院からいつもの道を帰らなかったのかもしれない。でも、じゃあ、どうしたらいい? 彼女が覗いてくれなかったら窓は現れないんだ。僕は手紙を送れない。彼女に震災のことを伝えられない。

 焦燥が胸に満ちた。せめてメアドを交換しておくんだった。そうすればこんな不自由なボトルメールを使わなくていいのに。そう思った端から、でも普通のメールは届かないんじゃないかという疑念も生まれる。だって三年も時間が違っているんだ。僕が送ったメールが届くのは彼女にとっての三年後になってしまうだろう。それじゃ意味がない。

 僕は10分ごとに海底を見つめ窓が現れることを祈った。


 いくら祈っても奇跡は起きない。三年前にその事を僕はいやと言うほど知ったはずだった。それでも祈らずにはいられなかった。どうか現れてくれよと! 

 けれど二時間経っても三時間経っても窓は現れなかった。昼飯を食べて出てこなかったのでお腹が減ってきたけど、もし食べに行っている間に窓が現れたらと考えると恐くて離れられなかった。

 太陽の日差しが強くてじりじりと肌が焼ける。海に浸かっていても日差しと空腹で朦朧となってくる。くそう! しっかりしろ! 自分を叱りつけて足元の海底を睨む。ゆらゆらと海面が揺れる。窓は……現れなかった。


 陽が翳って来ていた。刻一刻と時間が迫っている。岸に置いたスマホを確認するともう7時が近い。地震まであともう30分しかない。

 もうダメかもしれない。諦めが胸に広がる。もう、明日美さんに伝えることは出来ない。同時に、どうしていつものように昼にも顔を出すように伝えなかったんだという後悔が胸を占めた。それさえ約束していれば、今頃ちゃんと手紙を渡せて明日美さんはとっくに安全なところに逃げられたはずだ。くそう! あとは僕が知らせなくても明日美さんが安全なところに逃げてくれることを祈るしかない。

 そう思いながらも動くことも帰ることもできず疲れた体でボウッと海面を見つめていた。その時。

 ぽんっと海面から飛び出す物があった。それは思いの外、高くまで飛び上がるとヒュルヒュルと落ちてきて僕の手の中にすぽんと収まった。ペットボトルだった。しかも見慣れたルーズリーフが入っている!


「うおおおお!」


 瞬間、海中に飛び込んでいた。海底に目を凝らす。あった! 窓だ! 窓の向こうには明日美さんと今まで見たことのない少女が何人か見えた。

 僕はずっと握っていた自分のボトルメールを窓を突き破る勢いで押し込んだ。

 とどけえー! 

 放り投げるように放つ。ペットボトルが向こう側を滑るように進んでいく。もう少し、もう少しで明日美さんに届く―――でもそれを見届ける前に窓は消えてしまった。だから僕は、何も見えなくなった海底を見つめながら

 ―――お願い、明日美さんの所へ届いていてくれ! 

 ―――明日美さんが僕の言うことを信じてくれますように! 

 ―――ちゃんと避難してくれますように! 

 そう一心に祈った。


 そのあと疲れた身体を引きずって家に帰った。思いっきり空腹なくせに食欲は湧かなかった。

 午後7時半がやってくる。明日美さんの世界では今震災が起こっているはずだ。あと二十分もすれば津波がやってくる。大丈夫だろうか? ちゃんと逃げてくれただろうか? そもそもちゃんとメールを受け取ってくれただろうか? 答えのでない問いを、それでも考えずにいられなくて胸が苦しくて仕方なかった。

 夕食をほとんど食べられずそそくさと部屋に帰った。夕方受け取ったボトルメールを読む気にならず、取り出しもせずボトルのまま机の端に放り出す。夜が寝苦しかった。



 翌日、緊張しながら入り江に行って明日美さんからのボトルメールを待った。けれどメールは来なかった。

 次の日も、その次の日も次の日も……それから二度とボトルメールは来なかった。海底に窓が現れることもなかった。僕はもう一度窓が現れて明日美さんと繋がれることを必至で願ったけれど無駄だった。奇跡はそう何度も起きたりしないんだ。

 それでも心配になって彼女のことをいろいろ調べたりした。けれど、はっきりしたことは何も分からなかった。震災被害者や行方不明者の名前もはっきりと公表されているモノはほとんどなかった。もしかしたら翌年のインターハイの選手名簿に彼女の名前がないかと思って調べてみたけど、彼女の学校はインターハイには出場していなかった。出場したのは内陸の震災被害のなかった高校だった。思いあまって明日美さんの住んでいたはずの街を訪れてみたけれど、当然何か分かるはずもなく、ただ彼女の通っていた高校を門の外から眺めて帰ってきただけだった。



 そんな晴れない気持ちのまま、明日から新学期を迎えようとしていた。

 夜。あの日からずっと机の端に起きっぱなしになっている最後のボトルメールをボーと眺めていた。これまで何度か読もうと手にとって読めずにまた戻していた。これが明日美さんから来た最後のメールだと思うと読むのが恐かったのだ。

 でも夏が終わろうとしている。このままじゃ、いつまで経っても僕はこの夏を終わりに出来ない。いやこの夏だけじゃなく三年前の夏さえ終わりに出来ない。そう思った。だから、そのボトルに手を伸ばした。いつもしていたようにピンセットで中に入ったルーズリーフの手紙を取り出す。少し震える指先で広げると懐かしい明日美さんの丸っこい文字が目に飛び込んできた。


《 貴志くん

 うわーい! やったよ! 勝ったよ! 98−85で一回戦突破したよ! 

 相手も強かったけど、うちらもみんな頑張った。うれしい!

 ほんと言うと試合前、チームに顔を出すのが恐かった。でも、君に貰った勇気を胸に、行ってきた。

 ずっと顔を出さなかったことをみんなに謝ったら、逆に心配されてしまって、なんだか少し居たたまれなかったんだけど、でも、そうだね、だからこそ前向きになろうと思う。これからはみんなの力になれるように頑張っていこうと思う。ありがとう。

 あ、それでね、これからみんなで打ち上げに行くんだ。カラオケだけど。

 だからその前に、君に報告でした。

 じゃあ、また明日ね。 明日美 》


 ぽたっと紙面に雫が落ちた。慌てて指で拭き取って手の甲で頬を拭う。嗚咽が漏れそうになるのを必至で堪えた。

 これは明日美さんが生きていた証だ。確かに明日美さんは三年前のあの日、ここにいて、生きて、青春を送っていた。僕はそれを知っている。彼女のことを知っている。

 なぜ僕は彼女のことを知っているんだろう? 三年の時を越えて、場所を越えて、なぜ、僕は彼女と知り合ったんだろう? 僕と彼女が知り合ったことに何か意味はあったんだろうか? 分からなかった。意味なんてなかったのかもしれない。

 あの窓がなんだったのか今も分からない。ただの物理現象だったのか? 神様の悪戯だったのか? それでも僕は明日美さんと知り合って彼女とひと夏のメールのやり取りをした。だから、たとえ何が起こったのだとしても、僕はきっとこの先も彼女のことを忘れない。いや、忘れちゃいけない。そう思う。

 僕は最後のボトルメールをそっと引き出しの中の箱に入れた。そこには彼女から届いたボトルメールが綺麗に重ねられていた。


               ◀▷


 9月新学期登校初日。夏休みが終わって真っ黒に日焼けした同級生がワイワイ言いながら机に腰掛けて夏休み中の話題で盛り上がっている。僕も適当にみんなに合わせて相づちを打っていた。

「そう言えばさ、教育実習生が来てるみたいだぜ」

「ふ〜ん」

「それがさあ、おれ、さっきチラッと見たんだけど、うちの担任に付くの女だったぜ」

 その一言で男子が色めき立つ。

「お、どんな女だった? かわいい?」

「いや、そこまでハッキリ分からなかったけど、ポニテだった」

「へえ〜」

 なにげなく聞いたいたその会話に一瞬ドキッとする。自分でも何に驚いたのか分からなかった。

「おー、みんな元気だったかぁ」

 ガラガラッと扉が開いて四十代の担任が教室に入ってきた。みんな慌てて自分の席に戻る。

「よーし、出席取るぞー」

 と出席簿を持ちあげたところで、

「おっと、そうだ。忘れるところだった。今日からしばらく俺の代わりに出席を取ってくれる人がいるんだ」

 そう言うと扉の外へちょいちょいと手招きした。

 呼ばれて入ってきたのは夏らしい半袖の白いブラウスにベージュのパンツ姿の女性だった。噂通りのポニーテールが頭の後ろで揺れている。教壇に登って僕らに正対したその顔は目鼻立ちのくっきりした垢抜けた印象で、少し緊張しているのかピンクに染まっていて艶っぽい。左目のほくろがさらにその印象を強めていた。

 その姿を見て男子が響めいた。でも僕はポカンとしてその人の顔をまじまじと見つめていた。僕はこの人を見たことがある。知っている。

 教壇に立ったその女性が黒板に自分の名前を書きだした。書かれていく文字を見つめながら僕は肩が震え出す。でも必至に堪えた。彼女の書いた名前は『綾辻明日美』だった。


 透き通るような綺麗な声が教育実習のあいさつをする。それから彼女は出席簿を手にして名簿の最初の名前を見やった。そこには出席番号一番の僕の名前がある。彼女がおもむろに僕の名前を呼んだ。

「逢坂貴志くん」

「……はい」

 声が震えないように返事をするのが精一杯だった。そんな僕を明日美さんが見つける。彼女はニコッと小さく微笑むと手でなにかを振る仕草をした。多分みんなには分からなかっただろう。でも僕には分かった。それは小さなペットボトル。僕らがやり取りしたあのボトルメールだ。

 僕は俯いて机の下で小さくガッツボーズを作る。でも、その拳が涙で歪むのを止められなかった。

 彼女が出席を取る間、僕はずっと顔を上げられなかった。ただ彼女の声だけを聴いていた。それだけでとても幸せだった。そして思った。きっとこの夏、僕らが繋がったことには意味があったんだ。

 よし! と小さく気合いを入れて僕は手の甲で目元をぬぐって顔を上げた。そして出席を取り終わった明日美さんに向かって手を上げる。


「先生、質問があります! バスケットボールは好きですか?」


 彼女はにっこりと微笑んだ。


 了

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夏。僕は女子高生とペットボトルで繋がった。 Mu @Mu_usagimilkyway

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