二章 消えてしまった居場所⑧
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始まりは、七月になったばかりの土曜日だった。
その日、私は仲よくしているグループの友達から期末テストが終わったから遊びに行こうと誘われていたけれど、母方の祖母の家に行くことを伝えてその誘いを断っていた。
支度が早めに終わり、時間が余っていたので近所のコンビニに車の中で酔わないために食べる飴とジュースを買いに行くことにした。
「おー、吉田じゃん」
買い物が終わり、コンビニから出たところで声をかけられて振り返る。私に気づいた同級生の男子がジャージ姿で軽く手を振りながら、こちらに歩み寄ってきたのだ。肩にはサッカー部の名前が入ったエナメルバッグをかけている。これから練習があるのだろう。
「市川くん。あ、今日部活?」
「そうだよ。午後から練習」
「土曜日も練習って大変だね」
市川くんとは去年クラスが同じで、席が隣になったこともある。異性の中では親しい方で、すれ違えば気さくに会話をする仲だった。
「吉田は?」
「私はおばあちゃん家に行くから、その前に買い物に来たんだ」
「へー、そっかー」
なんて他愛のない会話をして、私たちはすぐに別れた。けれど、この様子を同じ学校の誰かが見ていたらしい。
その日から突然、グループの友達にメッセージを送っても、返事が来なくなった。みんなで繋がっているSNSには楽しげな三人の画像が載せられている。自分だけ遊びに行けなかったのは寂しかったし、送ったメッセージに返事がまったく来ないのも悲しかった。
それでも、月曜日に学校へ行ったら、またいつも通りだろう。次の遊びには行けるといいな。このときの私はそんな風に軽く考えていた。
祖母の家から帰り、ベッドに寝転がりながら何気なくあの〝裏掲示板〟を開いた。特に書き込むこともないけれど、暇つぶしになんとなく見てしまう癖ができていた。すると、ある画像が目に留まり、息を飲んだ。
会話をしている男女の姿に、見覚えのある場所と服装。嫌な汗が手のひらを湿らせていく。
「な、んで……っ」
そこに映っていたのは、私と市川くんだった。
学校の誰かに見られて、面白半分で裏掲示板に載せられたみたいだ。コメント欄には「こいつらデキてんの?」と書かれている。けれど、幸いなことにみんな特に反応を示していない。
おそらくここを見ている生徒たちにとっては、ネタとしての面白みに欠けるものだったのだろう。
大して話題になっていないことにほっと胸を撫で下ろして、月曜日に彼女たちに愚痴ろうと考えて眠りについた。
月曜日、学校へ着くと早速彼女たちの元に駆け寄って声をかけた。
「おはよー!」
いつもなら同じ言葉が返ってくるはずなのに、聞こえていないかのように彼女たちは一言も返してこなかった。
「ねぇねぇ、聞いてよー!」
確実に話しかけているのに、目すら合わせてくれない。予想をしていない最悪な事態に冷や汗が背中と手のひらに滲んだ。
「え、ちょっと……」
話しかけても〝すべて無視〟されている。
「ねえ」
「現文のプリントやってきたー?」
声をかけているはずなのに。
「ね、ねえ! どうしたの?」
「あー、あれね。教科書見たら結構わかったよ〜」
「写させて〜」
誰も私を見ていない。心臓が破裂してしまうのではないかと思うくらい鼓動が速くなる。
先週の金曜日までは普通に笑い合って会話をしていたはずなのに。突然の出来事についていけなくて眩暈がした。
「ど、して……?」
まるで私がその空間にいないかのように彼女たちは楽しげに会話をしていて、声をかけてもまったく反応をしてくれない。
なにが起こっているのかわからず、泣き出したい気持ちをぐっと堪える。トイレの個室に逃げるように駆け込み、乱れた心を必死に落ち着かせようと深呼吸を繰り返した。
スカートのポケットから携帯電話を取り出して、おそるおそる裏掲示板を開いてみると、そこに書いてある言葉に目を見張った。
『吉田祥子は、嘘つきで男好き』
『友達よりも男をとる最低女』
そこでようやく気づいた。誤解されてしまっていることに。おそらく彼女たちの誘いを断ったのは、市川くんと会うためだと思われている。
違う。本当に偶然で、誘いを断った理由も嘘じゃない。否定したい。誤解を解きたい。
そう思うのに、彼女たちは私の話を聞こうともしてくれなかった。
『てかさ、アイツうざくね?』
真っ黒い画面に浮かび上がる白い文字。
『それな。調子乗ってるよね』
『吉田っていつもなに考えてんだかわかんないし、人を見下してる感じがする』
誰が書いたのかすぐに察しがついた。いつからそんな風に思われていたのだろう。もしかしたら私のいないところでずっと悪口を言っていたのかもしれない。
そう思ったら一気に怖くなって、今までの彼女たちとの思い出が黒く塗りつぶされて歪んでいった。
まるで話を聞いてくれない。たかがこんな写真一枚で約束を破ったと、そんな人間だと思われている。なにも信じてもらえていない。
というより私は最初から、彼女たちに好かれてなんていなかったのかもしれない――。
この日から、私は今まで当たり前のように在った学校での居場所を失ってしまった。
これは因果応報ってやつだ。いじめを見て見ぬふりをして、大塚さんに酷いことをしていたのだから。
だからこそ、大塚さんに罵られたり責められたり嘲笑われる日が来るのではないかと思っていた。
それなのに彼女は……。
『もっと酷くなる前に先生とかに相談しておいた方がいいんじゃないかな』
『……あんまり思いつめないようにね』
その言葉は私を気遣っているみたいで――胸の奥がざわついた。
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