二章 消えてしまった居場所⑦


「っ、く」


 押しつぶされたような声が自分から出てきていることが少し信じられなかった。別に重大なことを言うわけでもないのに、どうしてここまで躊躇ってしまうのだろう。

 閉ざしていた目を開き、僅かに顔を上げると、再び皐月くんと視線が交わった。皐月くんの眼差しは、私を心配しているようにも思えた。

 もしかしたら私の都合のいいように捉えているだけかもしれないけれど、少なくとも学校で彼女たちから向けられているような悪意は感じない。


『きっとあの人たちは、あんたの話をなんだって聞いてくれるから』


 皐月くんの言葉を思い出して、肩の力を抜いていく。

 大丈夫。きっとこの人たちは聞いてくれる。


「苦しく、なったら……来て、いいって」


 手に汗が滲み、いつもよりも声量が出ない。か細くて掠れた情けない声だった。


「皐月くんが……そう、言ってくれた、から」


 これがやっと、自分の口から出せた言葉だった。


「……へえ、皐月がねぇ。やるじゃーん。見直しちゃった」

「ラムさん、そういうのうざいからやめて」

「照れんな照れんなっ!」

「だから、うざい」


 昨日と変わらない会話を有り難く感じた。あんなことを言っておきながらワガママかもしれないけれど、重たい空気になってほしいわけじゃなかった。


「さ、どうぞ。ショーコちゃん。きっと少し落ち着くよ」


 マスターが柔らかな湯気を放つ珈琲を目の前に置いてくれる。


「……ありがとう」


 香り高い珈琲は、まだ飲んでいないのに舌にほろ苦い味わいを与えてくれる。ミルクポットからミルクをとろりと垂らして、渦巻いていく珈琲カップを両手で覆う。


「いただきます」


 一口飲んだ瞬間に、温かな味わいが心に染みわたった。気がつけば、涙がぽろりと落ちていた。

 ああ……そうだ。これが飲みたかった。


「よしよし」


 ラムさんが私の頭をそっと撫でてくれて、その心地よさに目を閉じる。


「事情は話せたらでいいよ。ショーコ」


 温かな空間でもう一度この時を過ごしたかった。喫茶店や珈琲が特別好きってわけじゃない。この人たちがいるから、また来たいって思ったんだ。

 私の凍った心が珈琲の温かい優しさに少しずつ溶けていくみたいだった。


「わた、し……」


 喉元につっかえていた言葉がゆっくりとほどけていく。


「……っ、責められた方がよかった」


 ポタリと落ちる涙がカウンターの木目に染みをつくる。一度溢れ出したら止まらない。

 それから私はずっと溜めていた言葉をひとつずつ吐き出していった。

 家に居場所がないこと。いじめていたグループにいた私が、今度はいじめられる側になってしまったこと。


 そして、あの日の出来事を。

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