二章 消えてしまった居場所③
五月頃から、クラスの女子がいじめに遭うようになった。直接私がなにかをしていたわけではないけれど、私もそれを止めようとはしなかった。いじめられている様子をなにも言わずに眺めながら、周りに合わせて笑顔をつくっていたのだ。
だから、私は同じグループだったあの子が、誰も見ていないときだけ挨拶をしてくる行為を責めることはできない。あの子もきっと、私と同じ目に遭いたくないから周りに合わせているのだから。
学校という閉鎖された場所で、間違ったことを間違っていると言える人はどのくらいいるのだろう。人に合わせずに、自分の思いのまま過ごせる人なんて本当にいるのだろうか。
そもそも間違ったことを〝間違っている〟と言うことが正しいとは限らない。時には人に合わせて流された方がうまくいくことだってある。
そうやって臆病な私は、自分を正当化して逃げていただけだった。
隣の空席に目線を移す。隣の席の彼女は決して愛想がないわけでも態度が悪いわけでもなかった。
色素の薄い大きな目に小ぶりな鼻で、笑うと愛嬌のある笑窪が見える女の子。多くの女子が羨む容姿だった。一年生の頃は告白ラッシュなんかもあったくらい男子にも人気で、明るい性格で人を惹きつける彼女には友達も多かった。けれど、今年の春頃からそんな彼女へのいじめが始まった。
原因は、私と同じグループの子が「好きな人がいるから協力してほしい」と彼女に言ったことだった。
彼女――大塚さんはその男子と仲がよかったので、仲を取り持ってくれるようお願いされていたのだ。
『連絡先聞いてきて』
『一緒に遊ぶ計画立ててよ』
『どういう子がタイプなのか聞き出して』
自分の希望だけ言って、一方的に詰め寄るその子は、強気な眼差しで大塚さんに〝命令〟をしているようだった。けれど大塚さんは、『私はそういうのはできない。連絡先は自分で聞いた方がいいよ』と答えた。
非協力的な態度に腹を立てたその子は、陰で大塚さんのことを悪く言い始めた。それでも大塚さんは屈することはなく、協力もしなかった。そしていつしかあの裏掲示板に、毒を孕んだ言葉が、日々書き込まれるようになったのである。
『大塚って調子乗ってない?』
『わかる。てか、男好き。いつも違う男と歩いてるし』
『自分の周りの男を奪われたくないから、遊ぶときも女子誘わないらしいよ』
『中学の頃から、友達の好きな人を奪ってたらしいから気をつけて!』
『自分かわいーって絶対思ってるよねぇ』
そんな風にあることないこと書かれて、女子だけの体育の授業では一方的に狙われてボールを当てられたり、無視されたりしていた。
後にわかったのは、その男子は大塚さんの友達のことが好きだったらしいということ。
そして、その男子が告白をして、彼と大塚さんの友達の恋は成就した。
だけど失恋したクラスメイトの女子の怒りは、その反動でさらに大塚さんに集中してしまう。
絶対知ってて馬鹿にして笑っていたんだ、と決めつけ、大塚さんを追い込んでいった。
物を隠したり、壊したり、すれ違いざまに悪口を言うのは当たり前。体育のときにわざと水をかけられて、ずぶ濡れになっていたときもあった。どう見てもいじめだった。
大塚さんが男子に人気があることや、サッカー部のマネージャーをやっていたので先輩たちと親しいことも気に食わなかったのだろう。憂さを晴らすように〝男子に見えないところ〟で大塚さんをいじめた。
大塚さんは特に悪いことはしていない。きっと大塚さんは仲のいい男子のことや、友達のことを考えて、なにも言わなかったのだろう。
でも、そんな大塚さんを誰も庇わなかった。頭から水をかぶりずぶ濡れになっていても、彼女に声をかけている人を見かけなかった。
しかも、恋が成就した友達でさえ、大塚さんから距離をとり始めたのだ。自分がいじめられたくないから、見て見ぬふりをしていたようだった。
そして私も〝ただ見ていた〟。クラスメイトとして、ただ黙視していただけ。
助けるわけでもなく、手を差し伸べるでもない。怒りをぶつける〝友人〟をただ隣で見ているだけだった。
まるで自分たちがしていることが正義で、大塚さんが悪だというような空気が私たちの間に蔓延る。そんなことやめなよと友人を窘める言葉を発する機会はいくらでもあったのに、私は言えなかった。彼女の正義を否定すれば、今度は私が悪にされるかもしれない。
そのことを恐れて、私は口を噤んで周りに流されることを選んでしまったのだ。
最低なことをした私に、助けを求める資格なんてない――。
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