二章 消えてしまった居場所②
「あ……おはよ、祥子ちゃん」
「……おはよう」
振り向けば、胸元まで伸びたふわふわな薄茶色の髪の女子生徒。一言だけ交わすと、いけないことでもしているかのように周りの目を気にしながら足早に去っていく。
彼女は、あのグループで唯一私に話しかけてくれる子だ。けれど、挨拶以外の会話はここ二ヶ月くらい交わしていない。
いじめが始まったのは、七月の期末テスト明けからだった。すぐに夏休みがあったので少し救われたように感じていたけれど、一人で自室に引きこもるだけの日々は孤独で、一日が終わっていくことが怖くてたまらなかった。
それでも逃げ出す勇気もなくて、歯を食いしばるようにして迎えた九月の新学期。
覚悟していたけれど、その日は何もなかったことに安堵した。でも帰り際、誕生日プレゼントとしてあげたぬいぐるみが無残にも引き裂かれていた。私を見下して笑う彼女たち。その光景に心が抉られるような思いになった。
私たちの関係が今のようになった原因はわかっている。
理由は、〝裏掲示板〟。
この高校には、生徒だけが知っている裏掲示板というものがある。何年も前に中高生の間で流行っていたもので、近頃では廃れた文化だと言われているらしい。けれどうちの学校ではいまだに多くの生徒たちがこの掲示板を利用している。誰でも好きにスレッドを作れて、匿名で書き込める。特定の誰かの悪口を書き込んで同調を得たいという人や、直接は言えない鬱憤を晴らしている人もいるのだろう。裏掲示板は、悪口や学年ごとの噂話、先生たちへの不満などを好き勝手に吐き出している学校の闇を切り取ったような場所だ。
七月、私の日常が一気に変わってしまったのは、裏掲示板に書かれた内容が原因だった。誤解だと言っても話を聞いてもらえず、仲のよかった友達グループからは仲間はずれにされ、一部の男子からはこそこそと陰口を叩かれている。
私は正直、自分がもっと強い人間だと思っていた。けれど話し相手がいないというのは、想像以上に精神的に脆くなるものだった。
言いたいことがたくさんある。それなのに、聞いてくれる人も信じてくれる人もいない。様々な出来事や感情を誰とも共有できないのは、話すことを許されていないように思えて心が壊死していく。
言葉は、ずっと使わないで心に留めておくと腐っていくものだ。腐敗して、最終的にどろどろになって、毒として溜まっていく。
そうして溜まり続けると、毒素が身体中に回って窒息してしまいそうになる。それなのに死ねない。ずっとその窒息しそうな苦しみだけが、続いていくのだ。
南階段を三階まで上がって正面にある二年三組の教室。廊下で談笑している女子生徒や、肩を組んではしゃいでいる男子生徒たちの間をすり抜けて、中へと足を踏み入れる。
廊下側の前の方に固まっている三人組から、不躾な視線が向けられていることに息が詰まりそうになった。けれど、ここはぐっと堪えなければいけない。私が反応しているのを見れば、彼女たちは喜ぶだけだ。
幸い私の席は窓側の一番後ろ。こればっかりは自分の運に感謝したい。
席に着き、カバンから小説を取り出す。今まで友達と談笑して過ごしていた時間がなくなると、まるで世界がスローモーションで動いているのではないかと思うくらい時間の経過が遅く感じられた。
だからせめて好きな作家の小説を家から持ってきて、空いている時間に読むことを日課にしていた。読みかけのページを開くと、「いじめ」という言葉が目に留まり、胃のあたりがぎゅっと掴まれたように苦しくなる。
きっと、私が彼女にしていたこともいじめと変わらないのだろう。
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