神様の手
天野詩
その小さな手は、神様の手
「なんで満点じゃないのよ!」
その言葉と共に振りかざされた手は、一晩経った今でも熱を帯びている。けれど、痛みも慣れるものだと最近気付いた。
(ここから飛び降りても痛くないのかな?)
『普通』とはかけ離れている考えを持っていることを理解している。そして、それは同時に『普通』に憧れていることも指していた。
「先輩」
不意に後ろから声音が響く。振り返ると、そこには制服を着た一人の少女が立っていた。
「赤いリボン……一年生?こんなところで何してるの、授業中だよ」
「質問を質問で返すようで申し訳ないのですが、先輩こそこんなところで何してるんですか?授業中ですよ」
笑みと共に返された言葉に、口を噤む。
「そんなところに座ってたら落ちますよ」
「……そうかもね」
なんとなく、私にしては珍しく誰かと話す気になった。
「って、君も座るの。そんなところに座ってたら落ちるよ」
「大丈夫です。先輩が助けてくれますから」
「他人の私が?」
「すぐに他人じゃなくなりますから」
何を根拠にそんな戯言を言うのか分からなかったが、またなんとなく、それが説得力を含んだかのような言葉に思えた。
「先輩、笑ってたほうが可愛いですよ」
その言葉で、自分が笑っていることに気付く。
「久しぶりに笑った気がする。何でだろうね、君といると不思議な感じがする。まだ名前も知らないのに」
「私は先輩の名前知ってます」
「私は君の名前を知らない」
青空にふと手を伸ばす。今なら届くような気がしたのだ。これも彼女のせいなのだろう。本当に不思議な少女だ。
「では先輩、勝負しましょう」
「勝負?」
急な提案に困惑するのを予想していたかのように、彼女は言葉を続ける。
「私の名前を当ててください、当てたら先輩の勝ちで外したら私の勝ち。チャンスは一回です」
誰が聞いてもこちらが不利な提案だが、特に断る気にもならない。むしろ面白そうだと思う。ただ、どうやらまだ何かあるようだ。
「まだ何かあるよね?顔に書いてある」
思ったことをそのまま、冗談に聴こえるが冗談ではない言葉をそのまま伝える。
「もし、私が勝ったら1つなんでも言うことを叶えてください」
「じゃあ、私が勝ったら?」
「その時は私が先輩の言うことをなんでも1つだけ叶えます」
『聞く』ではなく『叶える』の意味は、多分……
「なんでも?」
「なんでもです。例えそれが死であっても」
一瞬の静寂と共に、彼女の声音が響く。
「……いいよ」
笑みを浮かべる彼女を見る。まるでこんな賭けにもなっていない提案を私が受けると分かっていたような、そんな顔だ。
「君の名前は……」
多分、直感でいいのだろう。最悪命を落とすであろうこの勝負を、お互いの任意でやる。人生はこの程度でいいのだと思った。
彼女の名前を、耳元で呟く。それを聞いた彼女は、絶えず笑みを浮かべていて。
彼女は飛び降りた。
そして、私はその手を掴む。
「他人じゃなくなりましたね」
「そうだね」
彼女を引き上げると、お願いは何にしますか?なんて聞いてくる。
もうわかってるはずなのにずるい。
「ちゃんと言葉にしてほしいです」
なんて言うから。
「私の彼女になってよ」
言葉を紡ぎ、唇に触れる。
ほんの少し頬が赤く染まった彼女は、
「離さないでくださいね」
と呟いた。
神様の手 天野詩 @harukanaoto
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