第26話 ある夜半、回心して転意する②

 素肌に触れるリネンのシーツはちょっとひんやりとしている。それでも寒さを感じないのは、ヴェンディの腕に包まれているからだろう。

 ぽつりぽつりと私が語る前世の話を、魔王は遮ることなく聞いてくれた。

 年齢のこと、暮らしぶりのことをはじめ、ハードな仕事していたこと、後輩指導で疲れ果てていたときに病気の発作で息絶えたらしいこと、気が付いたら魔王城に居て訳が分からなかったこと、でもなんとか食い扶持を稼ぎたかったことなどは、時系列もまとまっていなかったしいつもの話し方じゃなかったかもしれない。

 こっちに来てから思い出すことも少なかった家族の事を話すときは、なぜか涙が止まらなかった。たどたどしい話にヴェンディは根気よく付き合ってくれて、大方話し終えたころにはもうすっかり夜も更けてしまっていた。


「……なるほど、君はこの世界のニンゲンとして城にやってきたのではなかったということは良くわかったよ。」

「うーん、そこのところはよくわかりません。おそらくはこの体で二十数年生きていたんでしょうけれど、その記憶が吹っ飛んで前世の記憶だけがよみがえったということなのか、それとも全く縁もゆかりもない人間の体を器にして、私の魂っていうんですかね、そういうのが入り込んでしまったのか……」

「または、その体と記憶のまま世界と飛び越えてきたのか?」

「いえ、以前の私の体ではないことは確かなんです。だって私、その、こんなに綺麗な顔や体してなかったから……」


 いくらすべてを話そうと決めていても、今の自分とは似ても似つかない以前の容姿については語尾が小さくなってしまう。口ごもってしまった私の目尻に、ヴェンディは優しく唇を落とした。


「以前がどうあろうとも、リナが私の愛しいリナだということは変わらないさ」

「……変わりますよ、だって」

「だって?」

「……こんなに、色白じゃなかったし、腕や足だって太かったし……」


 顔だって吹き出物いっぱいだったしと重ねれば、ヴェンディはくくっと肩を揺らした。


「すまないね、リナ。言葉が足りなかったよ。どんな見目をしていようとも、リナがリナであることには変わらないさ」

「でも、以前の私を見たらきっとがっかりしますよ」

「がっかりなぞするものか。君の美しさは君というひとの一部ではあるけれど、意志の強さも聡明なところも、思ったより腕力が強いところも君であることには間違いない」

「う……」

「そしてそうやって自分を卑下してしまうところも、私に対して気持ちを返してくれるところも、全てが君だ。過去のことも全てが合わさって魅力的な君を作っているのだと思うと、私は転生する前の君を育てたその世界に感謝したい気持ちだよ」


 歯が浮くような甘いセリフを臆面もなく口にできる魔王に対して、私の頬はどんどん熱くなる。気恥ずかしくなって顔を彼の胸に埋めれば、細い指が私の髪を梳くように動いた。優しい指の動きのはずなのに、愛撫されているような感覚を覚えますます鼓動が速くなる。耳の際を爪先でなぞられ、既に落ち着いたはずの体の熱がぶり返しそうだ。


「責任感が強くて、そして細かい心配りもできる。だからこそ私は君に仕事を任せられるし、城の皆もそんな君を信頼しているだろう」

「……ほめ過ぎです」

「いくら褒めたって過ぎることなどこれっぽっちもないよ。リナだけじゃない。私の城の皆、いや領民の皆はそれぞれがちゃんと責任をもって己の仕事をしてくれる。私が何か命令せずとも、国としてしっかり成り立たせてくれる。大したものだ」


 ふがいない魔王なのにありがたい、とヴェンディは自嘲するように頬を掻いた。

 頼りない王ではあるものの、ちゃんと褒めてくれるしそのための言葉を惜しまないヴェンディは上司としては十分優秀なのかもしれない。無茶ぶりもされるしわがままも言われるけど、感謝やねぎらいを忘れられたことはない。その言葉があることを知っているから、きっと頑張れる。


 ――ああ、そうか。うちの領民にはこれがあった。


 クローディアの残した宿題に、一条の光が見えたような気がした。


★ ★ ★ ★ ★


 私の話が終わると今度は寝物語にと、ヴェンディが今日のアルセニオとの対談と城下の視察について話してくれた。

 往年の先王は随分と派手に領土を拡大しており、そのツケがずいぶんとたまっているらしい。どんなツケかはヴェンディもよく聞かなかったというが、まあ何となく予想はついた。極端に軍事に偏った政策をすれば人々の不平不満もたまるだろうし、何より軍備にはお金がかかるのだ。

 反対にうちが今軍備にお金を十分に割けない状態であることは、私自身が一番よく知っている。その費目、めちゃくちゃ絞ってるのは私だもん。それが裏目に出るかもしれないなんて、今までがいかに平和だったか身に染みる思いだ。


「さすがのアルセニオもちょっと困っているようだったけれどね。まあ彼の事だ。すぐに立て直すだろう。目途もたっているというし心配はないさ」


 悠長なヴェンディの言い草は、どこをどう聞いても他人事だ。またいとこという間柄からくる、長い付き合いの信頼関係があるんだろう。いやいや、あのひと貴方の失脚を狙ってますよ。その目途って多分うちの領地のことですよと伝えても、きっとこの人はびっくりするだけで信じようとしないんじゃないだろうか。

 とはいえアルセニオが本気を出して攻めてきたらこちらに勝ち目があるだろうか。惜しみなく軍備にお金を費やし十分な訓練を積んだ軍団に、うちで対抗できる部隊はどのくらいいるだろう。そしてこの魔王は本当に戦になってしまったら怖がって泣いてしまうかもしれない。

 こんな王だけれど人間界との戦の際に「泣かせたくない」と思った。今回だって泣いてほしくは無いし、怖がらせることは不本意だ。

 だからクローディアもヴェンディには伝えずに、私に話をしに来たんだろう。


「ヴェンディ様はいつまでこちらにご滞在するおつもりですか?」

「明日は昼食を一緒にと言われている。君にも来てほしいとのことだったよ。それを終えたら我が城に戻ろうか。そろそろ皆も寂しがっているだろうし」

「今日、ナナカと一緒にネリガさんや皆にお土産を買ったんですよ」

「それはいい。きっと皆喜ぶだろうね」


 明日の昼食会か、と私は目を閉じて考える。何か事を起こすなら、ヴェンディが自分の城に居ない今がある意味チャンスだろう。

 とくん、とくんと耳元でヴェンディの鼓動が聞こえた。滑らかな肌に掌を添わせるとあたたかい。このあたたかさを失いたくはなった。絶対に守ってみせる、そのためにはアルセニオの本当の狙いをはっきりさせ、そしてそれを阻止しなくてはいけないのだ。


「そういえばリナ」


 明日の立ち回りをぐるぐると頭の中で考えていた私の頬に、ヴェンディが軽く唇を触れさせた。


「あのトーヤとかいう青年と、今朝何か話していたそうだね」


 お、と目を開けると紅い瞳が小さく揺れている。今までであれば私に何か男性の気配があるとどす黒いオーラを出しまくっていたヴェンディなのに、今は違うらしい。

 ちょっとだけ声音が拗ねているが、努めて冷静に聞かれて私は頷いてみせた。ヘッドハンティングされましたと答えれば、ええ、と情けない声がヴェンディの口から漏れる。


「や、やっぱり彼とはその、違う世界で何か関係が……」

「違いますよ。あくまで同僚として、一緒に仕事してみませんかというお誘いです」

「リナ、まさか。いや、だめだよ、君を離すなんてことは――」

「ナナカを見た瞬間、アルセニオ様のとこからうちに転職しようかなとか言ってましたけどね」

「ええ?」

「その程度の軽―いお誘いですよ」


 困惑しきっているヴェンディが面白くて思わず笑いが零れた。

 遠山さん、いやトーヤはおそらくアルセニオに指示されて私に会いに来たんだろう。冷静になって記憶をたどれば、仕事の上であの人に世話になった覚えはない。むしろ手がかかることしか覚えてないのだから。

 でも営業成績は良かったんだよなぁ、とぼんやり考えていると慌てたようにヴェンディが上半身を起こす。


「ね、ねえリナ?」

「行きませんってば。言いましたよね? どっか行けって命令も聞きませんよって」

「ああ、そうだね。君は私のそばにいてくれると言ってくれた」

「ヴェンディ様もお約束、守って下さったし」

「約束?」

「ほかの女のひとと、しないって……」


 ああ、とヴェンディの表情が和らいだ。途端に頭の中を占めていた不安や、靄が晴れていく。


「やっと君が手に入ったというときに伝えた通りさ。私の全ては君だけのものだよ」


 そう囁く魔王の声はこの上なく甘くて、私はその甘さに引き込まれるように目を閉じたのだった。

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