第20話 ある昼、金がモノをいう世界を知る①

 なんでここにいるの、という言葉は口から出てはこなかった。彼女の目線の先いるのが私ではなく、遠山さんだったのだ。

 お急ぎになられた方がよろしいかと、とガラスの扉からナナカが半身退いた。一見つつましく微笑んだ彼女に一瞬きょとんとした表情を浮かべた遠山さんも、すぐさま人懐こい笑顔を浮かべて立ち上がる。


「それは急がないとマズいですね。すいません、逢坂さん。またお話させてください」

「ええ」

「こんなカワイイ侍女さんがいるなんて、ヴェンディ様のお城はいいなあ。いっそ僕がそっちに転職したくなるくらいですよー」


 それってある種のセクハラでは? という言葉は飲み込んだ。私に向かって言われれば多少は反撃したかもしれないが、言われたほうのナナカが鉄壁の笑顔を張り付けたまま表情を微動だにさせなかったから。

 この表情、ちょっと怒ってるときのあれだ。完璧なる侍女である彼女は日ごろ感情を露わにすることはほとんどないけれど、こっちの世界にきてからずっと毎日一緒に過ごしていると些細な表情筋の違和感に気付いてしまうものなのだろうか。

 ではではと挨拶もそこそこに、遠山さんはテラスを後にする。その後姿を見送りながら、私はナナカに駆け寄った。


「ナナカ、どうしてここへ? 今回は留守居だって言ってたのに。なんでそんなに怒って――」


 ふう、と彼女が細く息を吐いたのに気が付くのは、この至近距離だからだろう。しかしその吐息も、彼女の完璧な笑顔を崩すことはない。そしてそのまま、こちらを一瞥もせずにナナカが口を開いた。


「リナさま、またお怪我を?」

「いや、これはちょっとした擦り傷で……って、それはそうとして」

「クローディアさまの予想、大当たりでしたね……」


 クローディアが? 何?

 その名を聞くと自分の眉根にしわが寄ったのが分かる。でもナナカはトーヤとお使いが廊下の向こうに消えていったのを見届けて、ようやくその鉄壁の微笑みを引っ込めた。

 すうっと口角が下がり、普段はアーモンドの様にくりっとしている瞳が細められる。背は私よりちょっと小さいけど、いざその細められた瞳に見上げられれば首が竦むほど緊張するだろう。齢百歳を超えたダークエルフの貫禄に、私の背に冷たいものが走った。


「昨夜遅くにクローディアさまがいらしてお供を仰せつかったんですよ」


 廊下の向こうを冷たい目で見つめながらナナカが切り出した。


「クローディアが?」

「ええ、気になることがあるから、と」

「あの人、そんなことひとことも言ってなかったけど、なにがあったの?」


 朝っぱらからヴェンディの部屋から出てきて、今日は自分がお供をするって言っただけだったよね。しかも人のこと怠け者扱いして、めっちゃ勝ち誇った目つきしてなかったっけ。

 魔王の華奢な腕に自身の腕と豊満な肉体を絡ませ、あっちへ行っていろといったクローディアの姿は記憶に新しすぎる。はて、と私が首を傾げていると、振り返ったナナカの表情がころりと変わった。


「いえ、それよりリナさまは随分おつかれですねー」

「いや、割とよく寝たし疲れはかなり取れたかな、とは思うんだけど……」

「まあ、それはようございました。城主さまとクローディアさまはお仕事ですし、朝食がてらネリガさんや城の皆さんにお土産でも買いに行きません? 領内の視察も、お供しますよー」

「え? 待っていきなりなに? 話変わってない?」

「ささ、お仕度なさってくださいな」

「え? え?」


 さっきまでの緊張感はどこへやら、である。にっこにっこのナナカは私の背後に回り込むと、急きたてるように肩を押した。なにがどうした、どういう理由だ。突然やってきたクローディアと、そしてナナカが何を考えているのか、全く分からない。

 しかしそのまま私は部屋へ押し込められた。持って来ていた街歩き用の普段着をナナカが引っ張りだして、さあと言われてしまえば否とは言えない。結局着せ替えられ、二人で連れ立って城外へいくことになったのだった。

 宿泊している南館の門を守る衛兵に声をかけると、思いのほかあっさりと城外へ出ることができた。国賓待遇なのはヴェンディだけなので当たり前と言えば当たり前だけれど、ちょっとばかり拍子抜けしながら私はトコトコと歩いていくナナカの後を追った。


「ね、ねえナナカ。ちょっと待ってって。わざわざクローディアとこっちに来た理由ってなんなのよ」

「お土産、なににしましょうねぇ」

「遠路はるばるお土産買いに来たってわけじゃないんでしょ、ナナカってば」


 聞こえないフリなのか何なのか。業を煮やした私はちょっと乱暴にナナカの肩に手をかけた。けれど肩を掴まれた当の本人はにこやかな表情を崩さないまま、歩みを止めることもない。

 これは、理由は分からないが何か相当に怒っている。まずい。ひょっとして、今回の戴冠式へ同行したかったのに置いていかれたからとかか。いや逆にせっかくの休みのところ同族のクローディアに無理やり連れて来られた逆恨みか。

 どうしよう、と変わらぬ表情の横顔を見つめながら歩いていると、ナナカの唇がほんの少しだけ動いた。


「――リナさま」


 ほとんど無声音のそれは、並んで歩く私以外には聞き取ることもできないだろう。はっとして立ち止まりかけた私に、ナナカは「歩いてください」と続ける。


「見張りがそこかしこにおります」

「……え」

「何食わぬ顔で。女二人、ただ買い物を楽しんでるように見せてくださいませ」

「それって」


 ふふ、といつも通りにふんわりナナカが微笑んだ。城下の商店街が見え始め、急ぎ足だった歩調を少し緩めれば、お互いの顔がまた近づく。「尾行です」という小さすぎる囁き声に、一瞬自分の表情が強張るのが分かった。

 尾行?

 どういうこと?

 国賓の従者につける警護とかじゃなくて、尾行? なんのために?

 あたりを見渡したい衝動を抑えつけてはみるものの、気になりすぎる。そわそわした私に気が付いたんだろう。ナナカがちょいちょいっと袖を引っ張り商店街の一画を指さした。


「あちらに雑貨屋さんがありますよ、リナさま」


 彼女が指す方向をみれば、確かに敷物やら食器や小物類が所せましと並べられた大きな雑貨屋がある。石畳で舗装してある通りにまで品物があふれているくらいだ。


「ネリガさんは何がお好きでしょうね。最近はずいぶんとお顔の色もよくなってますし、胃のお薬も減らしたそうですよ」

「そう、ね。ひざ掛けなんかはどうかしら。きっと軽くていい色のものがあると思うの」

「それは良いですね。リナさまは庶務の方々へもお土産が必要なのでは?」

「いつもお世話になってるしねー。お菓子とか、たくさん入ってるものがいいかも」

「お菓子屋さんはどこでしょうねぇ」


 官舎らしき建物が連なる区域から一歩商店街に入ってしまえば一気に人の通りが増え、なんとも景気の良い風景が広がっていた。

 大柄な獣型のモンスターやゴーレムさんも易々通れるほど広い大通りの両側には、しっかりとした造りのお店が立ち並ぶ。そのどれもが通路へワゴンや敷物を広げて店を拡大していて、なんとも言えずにぎやかで雑多な感じがあった。例えて言うならエキゾチックをテーマにしたショッピングモールだ。

 並んだお店も家具屋、八百屋、雑貨屋、布屋、肉屋もあればいわゆるお土産屋もある。剣や鎧といった武具屋もあれば、材木店、金物店などもカテゴリ別にはならずにそれぞれが勝手気ままに店を出している。何軒かおきに飲食店だろうかテーブルを出している店もあった。統一感など皆無なのに、どこかまとまって見えるのは建物がすべて同じような色あい、同じような建て方だからだろうか。

 こんなとこ、しばらく行ってないなと思う。

 あたりまえだ。生前(前世)でなら海外旅行やショッピングモールくらいでかけたけど、こっちに来てからはほとんどヴェンディの城で過ごしてる。たまに城下に行ってみても、いくら領内で一番の繁華街だってここまでのにぎやかさは無い。

 それはヴェンディの領地であるヴェリドラドがここと比べると豊かとは言えないからだ。ただ、突き付けられた国力の差にあぜんとする。

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