第21話 ある昼、金がモノをいう世界を知る②
ふと八百屋の店先に置いてあるみずみずしい果物が目に入った。本で見たことがある、たしか東の海近くで栽培されているミカンのようなものだ。内陸なのにこんなに新鮮そうなものが個人の店先に並ぶのか、と流通網の発達を想像して喉が鳴った。
うちなら、どうだろう。
地産地消といえば聞こえはいいが、よその土地のものを気軽に手に入れられるマーケットも少なく輸送に手間暇がかかるから、城への納品以外は割とその土地で消費しているのではなかったか。
「――すっごい、栄えてるのね……」
思わずぽつりと口から出た言葉に、ナナカはそうですねとだけ応えた。
これだけ豊かな国を運営するには、土地の豊かさ以外にも王の腕がよほどのものである必要がある。その執事、なのか企画運営のお手伝いなのかは不明だけれど、それを務める遠山さんが言っていた「やりがい」がこれか。
きらきらした彼の笑顔を思い出し、なるほどと納得できた。少しでも政治や会社運営などに興味があれば、確かに腕が鳴るだろう。
「リナさま、あちらのお店をのぞいてみませんか?」
「え、ええ。行こうか」
「ネリガさんもそうですけど、コボルトのイーツさんが最近工房で作業していると背中が冷えるとおっしゃってましたし、毛か羽のひざ掛けは重宝されると思いますよ」
「あー、イーツさんねぇ……。そういえば、奥さんに家を追い出されたって?」
コボルトのイーツさんは、城内で噂になっていた厨房のアイリーンとの不倫が奥さんにバレて大騒ぎになったらしい。城の武器や防具の調整、加工などを請け負っている装備課でぼんやりと座り込むイーツさんの小さい背中は、確かに冷え冷えしてたっけ。
「あの年で工房に寝泊まりじゃ、確かに寒そうだわ」
困ったように眉を下げたナナカと笑いあう。そして目の前にあった雑貨店でネリガとイーツさんに薄い羽毛のひざ掛けを見繕った。大したものは買っていないのに何度もアラクネ族の店主にお辞儀をされ、なんだか妙に気恥ずかしくなる。
店先に出てきてまでお辞儀をしようとする店主に恐縮し、足早に通りへ出ると視界の端に黒いものが横切った。
ちらりとナナカを伺えば、素知らぬ顔で次の店を物色している。ということはそういうことなんだろう。
そういえば庶務課や厨房の皆にも買っていきたい。人数が多いから小分けになったお菓子でも、と私もお土産が並んだ菓子屋をのぞきこんだ。
色とりどりの包装紙に包まれたそれは、果実を使わないのに果実風味がするという不思議な焼き菓子だった。鼻を近づけてみればかすかにりんごっぽい香りがする。ほら、とナナカを呼ぶと、彼女は小さな鼻をひくつかせながら小さな声でつぶやいた。
「……先程の、お気づきに?」
「……ええ。物騒だね」
「こちらに危害を、というわけではないようです。知らぬ顔で、お買い物を」
目を伏せるだけで返事をし、私はワゴンのお菓子を手に取った。これを人数分、と指を折りながら考えていると店の間の小さな路地から茶色い子犬のようなものが飛び出してきた。
どすん、とその子犬のようなものが私の腹に追突する。転ぶ――と身構えるが、私の身体はそれほど大きく揺らがなかった。
スピードの割にぶつかってきたものの重さがなく、思ったほどの衝撃じゃなかったからだ。子犬のようなもの――小柄な種族であるコボルトの中でもさらに小さい子コボルトのほうが逆に尻もちをついている。
薄汚れた服を着たその子は、私と目が合うとマズイっと肩を竦める。いや、逆に君の方が大丈夫か、とその子を引き起こすため手を伸ばした時だった。
「浮浪者だ! 万引きだ!」
通りにいた客の一人が叫んだ。周囲のざわめきが一瞬にしてぴたりと止まり、嘘のような静寂が広がる。え、と思ったときには私の目の前、子コボルトの背後に黒いマント姿の兵らしき男が姿を現した。
いや、男と言って良いかもわからない。金属が軋む音を立てながら剣を振りかぶるその兜のなかには、むき出しの頭蓋骨だったから。
「だめ!」
伸ばしたままだった手で咄嗟に子コボルトの腕をつかんだ。その異様なほどの細さにぎょっとしたものの、尻もちをついたままだった子を引っこ抜いて抱きかかえる。顔の真横で風切音がしたかと思うと、ガシャンと剣が地面を叩いた。剣戟の強さで石畳の一部が砕け、粒になった欠片のいくつかが頬に当たる。
痛いと思う余裕もなかった。
このガイコツ、いやスケルトンてタイプのモンスターか。有無を言わせずにこの子を殺すつもりだった。ぞくりとすると同時に、今いるこの世界が魔界だということを改めて思い出す。
今までが、のんびりと平和すぎただけだったのかもしれない。
「リナさま!」
聞いたことがない程大きいナナカの叫び声が辺りに響く。スケルトンと私の間に割って入ってきたナナカは、鎧を軋ませて振り返ろうとしていた兵に向かってばっと両腕を広げた。その華奢な背中にはっとした。
有能な侍女である彼女は、ダークエルフ族ではあるもののクローディアやクローゼのように戦闘に特化した一族の出ではないという。腕の中で子コボルトが小さく、しかしはっきりと震えているのが分かった。マズイ。心臓が、驚くほど大きく跳ねた。その時だ。
「お、お待ちください! 店先でそんなことされちゃあ困るんですよ! ほらお客さんが逃げっちまうじゃないですか!」
そう忙しない口調で割って入ってきたのは、これまた小さな体格で丸顔、丸目のケットシーだった。銀色の優雅な毛並みは美しくたなびいているが、ケーキ柄のプリントのギャルソンエプロンを巻いた腰に拳をあていわゆる仁王立ちをしている。
そのケットシーはまん丸の猫目を吊り上げて、ぐるりと周囲を睨みまわした。万引きだと叫んだ誰かのせいで、私たちの周りは野次馬が集まっている。その無責任な見物人の多くは、猫の鋭い視線に首を竦めて目を逸らした。
「こちらのおちびさんはたまたま路地から飛び出してきただけの浮浪民ですよ。うちの店のものが万引きされたなんて、不名誉なことを言い出したのは誰だい? うちの店が城下にふさわしくないって思われちまうだろう?」
「だ、だってよお」
「だってじゃないさ。良かれと思ったのかもしれないけど商売の邪魔だよ! 野次馬どもはさっさと散っとくれ! 店主が万引きじゃないって言ってんだ。それでも万引きされたていうなら、うちがやられたっていう証拠を持ってきな!」
威勢の良い啖呵を切る猫店主に旗色が悪いとみたのか、それとも騒動が収まりそうだと判断したのか、ぶつぶつ言いながらも野次馬は一人また一人と散っていく。ものの数分もしないうちに人の流れは元通りになっていった。
「さ、巡回にお戻りになって下さいな」
ささ、とケットシーはスケルトンの兵を促した。万引きはなかった、と店主が言うだけで警邏が納得するだろうか。しかし店主はそっとスケルトンに近づくと、なにやら耳打ちをするような仕草を見せた。それと同時に、猫の手が何かを兵の鎧の隙間にねじ込む。
賄賂か、と呆けた頭で思いついたのは彼らがお互いの顔を離してからだ。
意思があるのかないのか、落ちくぼんで光の無い眼窩でしばらく猫を見つめていた兵は、やがてまた鎧を軋ませながら路地の向こうへと去っていった。
「ったく、ほら。あんたたちも商売の邪魔だよ! さっさとどっかよそへ行っとくれ!」
しっしっと猫の手がこちらへ向かって追い払うように動いた。礼を言うべきか、と迷ったがナナカに急かされ会釈をするにとどめる。腕の中で小さくなったままの子コボルトを抱えたまま、私たちは足早にその場を後にしたのだった。
路地裏は区画整備されているものの、華やかな商店街の通りとは異なり随分と静かでどこか緊張感が漂っていた。理由は何となくわかる。さっきの警邏の兵のような奴らの姿が、ぽつり、ぽつりと見え隠れしているからだ。
治安維持の割には仰々しい。しかし彼らの警備のおかげなのか、表通りから外れてもガラの悪い連中には出くわさなかった。
大きめの通りから比較的人通りの落ち着いた小路に入ると、腕の中で小さく震えていた子コボルトはようやく顔を上げた。大丈夫、と声をかけようとして、その頬を見た私は一瞬言葉に詰まる。
コボルト族は全身をうっすらとした被毛でおおわれていて、一見すると二足歩行をする犬のように見えるはずだった。しかしこの子の頬や腕は被毛が抜けているのかところどころカサカサに荒れた肌がむき出しで、とても良い状態とは言えないものだ。ペラペラで薄汚れた服からのぞく腕も小枝の様に細い。
どうしよう、とナナカを見やると彼女も困惑しているように首を振った。
「君、大丈夫?」
どうしたものか考えあぐねた結果、無難ではあるが何ら具体性がない問いかけをすると子コボルトは身を捩って私の腕から飛び降りた。ぺちゃっと裸足の足裏が石畳を叩く音がしたかと思うと、子コボルトはぷいっと背を向けて走り出す。その向かう先には、ちょっと目つきの宜しくないコボルトの大人が立っていた。
そして目をあげてはっとする。いつの間にか周りに幾人ものコボルト、ゴブリンが現れていたのだ。囲まれた、と内心ひやりとしたけどそれより彼らのいで立ちに息を飲んだ。
子コボルトもそうだけど、大人たちも随分とぼろを纏っているからだ。
表通りの豊かな街並みとはまるで別世界にいるようで、ものすごい違和感があった。こんなに城下の街全体が潤っていて整っているように見えるのに、このひとたちは一体――。
ナナカが私を守るように前へ出た。しかし子コボルトを回収したのを見届けると、彼らはそれ以上こちらと目を合わせることなく、静かに裏路地へと姿を消していってしまった。
「親や、家族、でしょうか」
小さくナナカが呟いた。声には安堵の色が見える。そりゃそうだ。武闘派ではない彼女には怖い経験だったろう。それでも私の前に出るなんて、侍女の鑑である。あとで甘いもの奢ってあげよう、と心に決めた。
「だとしても……なんか心配なんだけど」
「でも、追わないでくださいね。リナさまに何かあれば、城主様に会わせる顔がなくなりますし」
「いや、さすがに追わないし。それに……」
ヴェンディにはもう用がないって言われるかも、というのは飲み込んだ。昨晩のやり取りも、今朝の出来事も、まだ自分の中で整理すらできていない。
はあ、とため息を吐くと目を丸くしたナナカの顔がこちらを見ている。
「あ、リナさま」
「何?」
「鞄の蓋が……」
「え?」
素っ頓狂な顔をしたナナカが指さした自分の腰元を見てみれば、ななめ掛けしたバッグの蓋がぱっくりと開いているじゃないか。あ、と思うも遅かった。
「お財布……やられた……」
そこにあったはずのお財布が、きれいさっぱり姿を消している。お金はほとんどナナカが持っているから、個人的な小遣い程度の金額しか入っていなかったとはいえこっちに来てから初めて買ったお気に入りの財布なのに。
シンプルなヌメ革の、飾り気がなさすぎるものだったけど、使い勝手が良くてアメ色に育つのを楽しみに使ってたのに! 悲しさと悔しさがないまぜになり、かあっと頭が熱くなる。
そのほかに消えているものはないかとのぞき込めば、ヴェンディからもらった絹織りのハンカチと銀細工のヘアピンも無いじゃないか。高級ではないけど、決して安いものではない。
「……くっそー。あの子の仕業か……」
「手際がいいですねぇ……あんなに小さいのに」
追いかけようにももうどこへ姿を消したかもわからない。
「くっそー!」
「リナさま、お言葉遣いがよろしく無いです」
「でもさぁ!」
「ですよねー」
呆れたような、諦めているような、ナナカののんびりした口調に私はまた「くそう」と吐き捨てたのだった。
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