第7話 ある昼、東奔して西走する③

 ぽかんと呆けているヴェンディを放り出し、私は執務机に出されたままになっている地図へ指を滑らせた。

 今回の紛争地となっているのはクローゼの領地の東にある山間部だ。世界史の資料集なんかで見たような古いスタイルの地図では細かな地形は分からないけれど、頭の中にある財務の資料を片っ端から引っ張り出しながら見れば、なんとなくそこが農業には適していないことは分かった。

 でも、だ。

 ヴェンディの領内にはグリンクツのように採算性のよい鉱山が豊富だった。それはさっき彼が語った父王の業績の一部でもある。先代の魔王はわざわざ山間部へ資源を求めて領地を広げた。領内にはすでに多数の鉱山があり、その付近では穴を掘った副産物として温泉が湧き出しているため湯治場や観光地として温泉街が繁盛している。

 人間界との境目の山は、紛争が起こりやすく治安もよくないのでまだ未開発ではあるけれど、先代魔王の方針的に資源が豊富な地域なんじゃないだろうか。掘ればひょっとしていい鉱物が出るかもしれないし、温泉なんかも掘り出せちゃうかもしれない。

 そうすれば――。

 人間と共同開発すればその地域に鉱山と温泉街という雇用を生み出せるし、交易の場として活気もでる。人とお金の流れができてしまえば、僅かな耕作地を求めて当該地域の者が争わなくて済むんじゃないだろうか。うまくいけば戦が回避できて、お金も儲かって、ヴェンディの株も上がって、一石二鳥どころの話じゃないことになる。

 突拍子もないアイデアの段階だけれどうまくプレゼンできたら、両者合意のもとに共同開発っていう「仕事」が生まれて、今後も国境地帯の人たちが争う種を減らせるんじゃないか。


「ヴェンディさま! 私、今から人間の王の所へ行ってきます」

「なんだって……?」

「良いこと思いついたの。ヴェンディさまはここで待ってて!」


 思いついたらいてもたってもいられない。私はまだ事態が全く呑み込めていないだろうヴェンディを残し執務室を飛び出した。

 クローゼ達が出陣をするといって出て行ってからどのくらいの時間が経ったんだろう。がらんとした屋敷内には彼らの姿が見えない。もう行ってしまったんだろうか。急がなければと思ってはたと気が付いた。


 どうやって人間の王の所まで行けばいいんだろう。


 方角はわかるけれど距離感が難しい。馬を借りることはできるだろうが正確な紛争地の場所もわからなければその速さも心許ない。戦意に滾ったクロ―ディアの瞳を思うと、彼女が人間とぶつかる前に人間の王に会わなければ衝突を避けることはできないだろう。

 窓から見える空は青く、太陽は天の高いところまで昇っていた。困った、と窓の下へと視線を落とすと屋敷の庭に赤黒いどデカイ山があった。いや、山ではない。規則正しく上下する動きは呼吸のそれだし、傾斜を覆っているのは赤い金属質の鱗である。

 それは先ほど国境での変事を伝えに来た竜だった。主であるクローゼの言いつけを守って、その場で待っていたらしい。


「竜ちゃん!」


 私が窓から声をかけると、すうすうと寝息を立てていた竜がのっそりと首を持ち上げた。改めてみるとやはりデカイ。彼(彼女?)の額部分に生えた二本の角すら私より大きいんじゃないだろうか。

 寝ぼけ眼の竜は二~三度目を瞬かせて二階の窓にいる私を見つけたらしい。ぬうっと首だけを近づけて鼻をひくつかせた。――といえば小型犬のように聞こえるが、実際は鼻息で体がぐらつくほどの風圧だ。


「クローゼ様たちはもう出陣しちゃった?」

「ンー? ボク、ネテタ。クローゼサマ、イッチャッタ? ウン、イッチャッタ」


 寝起きでまだぼうっとしているのか、竜の口調はややゆっくりだ。幼いのか、人語を話すのに慣れていないのかは分からないけど、少したどたどしく語る姿はその外見とのギャップが激しくてなんかかわいい。

 でも「イッチャッタ」ということは、クローゼ達はもう出陣した後らしい。これは急がないといけない。


「ボク、ツカレテ、ネテタ。クローゼサマ、ネテテ、イイッテ、イッタ。ケド、ボク、オキタ。モドル」

「ああ、待って!」

「ン?」


 翼を広げ始めた竜は首を傾げた。


「お願い、国境に戻るなら私も連れてって」

「オマエ、クローゼサマ、ト、イタ。ダレ? アタラシイ、クローゼサマ、オヨメサン?」

「私はリナ。魔王ヴェンディさまの部下なの」

「マオウサマ、シッテル。イチバン、エライ。クローゼサマ、クローディアサマ、ケライ。オマエ、クローディアサマ、ミタイニ、タタカウ?」

「戦わない! クロ―ディアさんが人間と闘い始める前に戦を止めたいの」

「ナンデ?」


 首を傾げた竜は、その長い首をぐにゃりとクエスチョンマークのように曲げた。


「人間と戦ってもあんまりいいことがないから!」

「デモ、クローディアサマ、カツヨ?」

「今日の戦でクロ―ディアさんやクローゼさんが勝っても、ほかのみんなは怪我したり死んじゃったりするかもしれないでしょ」

「デモ、ニンゲン、ヤッツケレバ、ミンナ、ヨロコブ」

「喜ぶのは魔王の仲間だけだよ。負けた人間がまた戦いに来たら、どんどんケガする人が増えちゃう。次は人間が勝つかもしれないし、戦を始めちゃったら、みんな死んじゃうかもしれないんだよ」

「……ウー?」


 大きな竜は戦が戦を呼ぶということがよくわからないのか、曲げた首を更にぐねぐねと曲げだした。しかし視線は私に固定したままで、大きさもあってかものすごい圧力だ。寝起きですっきりしない目をしていたのに、今はすっかり瞳に光が宿り私を見据えている。


「クローゼサマ、ツヨイ、マケナイ。ケガ、シナイ。ケガスルヤツ、シヌヤツ、ヨワイ。オマエ、クローゼサマ、ヨワイ、イウ。キライ」


 虹彩が細められた。猫の目のようにすっと縦長になった瞳孔の奥深くにはぎらぎらとした炎のような色が見え隠れする。魔王軍、というよりクローゼに仕える者としての気構えがばっちりなのか、彼が負けるかもという話の流れにすっかり気を悪くしてしまったらしい。


「待って待って、クローゼさまたちが弱いと言ってるんじゃないの。強いから問題なの!」

「クローゼサマ、ツヨイ。ニンゲン、ヨワイ。スグ、カテル」 

「そうかもしれないけど、人間の勇者が来ちゃったら負けるかもしれない」

「ユウシャ?」

「ものすごく強い人間なんだって。私はクローゼさまにも領内のみんなにもケガしてほしくないし、ヴェンディさまにも死んでほしくないの」

「マオウサマ?……ユウシャ、タタカウト、マオウサマ、シンジャウ?」

「勇者が出てきたら死んじゃうかもしれない。それを止めるために人間の王に会って今日の戦を止めたいの」


 わずかに竜の鼻息が止まった。一瞬訪れた静寂の後、彼(?)の首を覆う鱗が逆立った。


「オマエ、ナニスル?」


 片言なのに厳かにさえ聞こえる竜の声に自分の喉がごくりと鳴る。


「人間の王に会って、戦をやめて一緒に仲良く暮らす方法を説明する。クローディアさんが戦い始める前に行かないと戦は止められない。でもあなたの翼で飛んで行ったら間に合うかもしれない。だから」


 お願い! と最後は怒鳴るように竜へ告げた。

 涙に暮れる魔王を守ってあげたい。そこにほんの少しお金儲けと支出削減の下心があるとはいえ、ヴェンディを助けたいという気持ちに嘘はない。彼の身に迫る危険はなんとしてでも排除したいのだ。

 四肢で巨躯を持ち上げ、竜が翼を広げる。飛び立ってしまうのかと焦ると、彼が頭を窓に寄せた。間近にみる瞳に思案深げな光が宿っているのが分かる。さっきまでの炎とは別の、知性的な色合いの光。

 正直、この竜がクローゼの直下なのかよくわからない。ヴェンディのことを理解しているのかもわからなかったけど、『魔王様』と言っているからには魔王軍としての意識はあるのか。

 ふしゅーっと彼の鼻から大きな風が吹き出した。


「ワカッタ。ボク、オマエ、ニンゲンノ、オウノ、トコ、ツレテク」

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