妖精屋

石井鶫子

星の雫の落ちる日は

 星の雫の落ちる日は、数年に一度の大きな祭です。

 とりわけこの国の首都であるカント城市には、ほうぼうの街や村からたくさんの人たちが集まってきてはめいめいに、地域特産のマツナの花の砂糖漬や銀針草の塩もみ茶やクルクル鳥の燻製やホルフェッカの塩漬け肉やスズリ木の樽(これでカミレ酒をつくるとなんともいえない木の香りがついてたいそう美味しく熟成されるのです)、それから宝石鳥の羽を飾った青く光る髪挿しやすり身を作るとふんわり金色に発光するという金糸魚の鱗を張り込んだすり鉢や光にかざすと中できらきらと小さな粒が舞うエギータ産の薄紫色の水晶球などという珍しいもの、びっしりとガラスビーズを縫い付けた刺繍布だとか鮮やかな彩色を施した遙か昔の英雄譚の木絵もくえだとかの誰かの素晴らしい手業の品々を並べ、それぞれに売ったり買ったり、値切ったり値切られたりをいたします。

 祭はどのでも、どんなに小さな村でも必ず行われております。星が一斉に天空から銀の尾を引いて落ちてくる夜を共に過ごす相手が多ければ多いほど、沢山の幸福が増幅されて膨れあがり、やがては個人の幸福の器を豊かに溢れさせてこぼれた乳のようにみなに再分配されると信じられているからでした。

 それはとても遅い時間に始まる天上の、荘厳な光の演舞です。先駆けの一筋の落星が銀色の雫をまきちらしながらすうと濃紺の空を横切れば、それを合図に次々と星たちが動き出します。大抵の星は上から下へ流れてゆきますが、少しひねくれた星たちはてんでに動き、またはぐんぐんと上へ登ってついに殆ど見えなくなってしまったり、じっと動かないように見えてじりじりと青銀から朱金へと色をまとい変える星もあり、この一晩を境目にすっかり星図も変わってしまうので、星の雫の祭が終わった翌日から天体博士たちはしばらく忙しいのでした。

 小さな村ではいちをたてずに皆で集まって眺めたりするものでありますが、なんといってもここは国の首都、カント城市です。巨大ないちが市内を埋め尽くすように立ちますし、人が沢山あつまるところには曲芸団や見世物小屋や旅芝居といった興行師たちがやってきて、それだけで小さな街が出来あがるのです。

 市内の大路をぷうぷうとラッパを鳴らして曲芸団の連中がゆき、華やかな扮装の道化師たちが今日の演目を絵にした旗をうち振って

「今日の昼の三点鐘から! お代はひとり一〇キリカ! 歌姫マリナもご登壇! 安いよ安いよ! こんな値段でめったに見られるもんじゃあないよ!」

 そう呼ばわりながらついてゆきます。それらを口まねして追いかける子供たちの群れも、負けじと「冷たくて甘いシーヴ水!」そう、声を張り上げる屋台の女も、祭のたびに違うようで同じような光景です。

 たくさんの市のほとんどは観光客と行商人──彼等もまた自分たちの欲しいものを買ったり仕入れたりしますので観光客とさほど変わりはありませんが──たちですが、その行商人たちを相手にした商売もまたひっそりと群れていて、中にはとても珍しいものもありました。

『妖精屋』

 古代文字を意識した絵文字の手書きの看板を突っ立てて、道ばたに組んだ黒木くろぎの棚にずらりと卵を並べているこの屋台などはその代表でしょう。

 首都ならばともかく地方の小さな村などではめったに妖精にはお目にかかりませんし、貴族の娯楽として飼育されたり大荘園主が牛馬や奴隷の補助に購入したりはありますが、妖精の卵とはかえしてみるまでは何が入っているかは分かりません。殻の色や形や大きさで区別がつくことはないのです。とてつもなく大きな双翼竜がコルテの実くらいのほんの小さな卵におさまっていることもありますし、ひとかかえもあってひどく重たい卵から可愛らしい双子の猫人が出てくることもあるのです。それらをどうやってか大体の判別をつけ、値段を殻に書いて売っている──妖精屋とは不思議で不可解な職業で、どうやったらなれるのか、どこで修行するのかなどは、一切誰も知らぬものなのでした。

 妖精屋の店先を切り盛りするのは上等の絹の上衣にやわらかな黒の布ベルトを締めた、銀髪の青年でした。白い肌は陶器のようにつるりとなめらかで、その上に人形師が丁寧に描き入れたようなほんのり赤い唇と、何角にもカットされた青い宝石のような瞳が載っています。物語から抜け出てきたようなうつくしい青年でした。

 彼が口を開くとしゃらしゃらと涼しげな音がたち、微笑むとふわりと陽が差し込むようです。圧倒的なうつくしさは却って若い娘達を遠巻きにしてしまい、屋台の小さな卵たちを覗き込むのは物怖じしない子供か買い付けの店主や業者でした。

 業者がこれ、と卵を指して許可を得てからそうっと陽に透かすと、中で何かがこそりと動く気配があります。卵の中は一つの宇宙なのです。そこに息づく何かの気配と、それから妖精屋が鑑定した『生長予測書』を見比べて、欲しいとなったら客引きの青年の奥に座る中年男となにがしかの手組てぐみの技で素早く値段交渉に入っていくのでした。

 青年はちらりと男をみます。さきほどからの交渉はどうやら難航で、ずいぶんと値切られているようでした。

「いやあ、あんたね、そんな値段じゃ俺もどうにもならないんだよ。せめてもう二千、積んでもらわないとこっちも食ってるんだからさぁ、わかるだろ、頼むよ」

「そこを何とか伏して、伏して……去年の不作でもうこっちもぎりぎりでさ、このまんまじゃ娘を奉公に出すしかねえんだよ、ほら、四年前に連れてきてたあいつだ。分かってくれよ」

 男が溜息をつき、難しく顔をゆがめてぐしゃぐしゃとくすんだ銅貨色の髪をかき回しました。

我主テア・ミスト

 一瞬ふたりの間に落ちた沈黙に、青年がするりと割って入りました。

「どうか我が主のお慈悲を賜りたく、わたしからもお願いを」

「おいおいまたか! またかよ! イェル! お前のお願いは何度目だ!」

「この年に入ってからはまだ一度も。今までの通算ということなら四度目ですが、我が主。しかし、わたしはそれ以上にあなたに献身しているつもりです。たまにはご褒美とやらをいただきたいものですね」

 長い長い溜息のあと、妖精屋は天を仰いで小さく「この小賢しいちくしょうめ」と呟きました。それは承諾の返事でもありました。不作のつけに喘ぐ農場主の男がすばやく金を取り出します。気が変わらぬうちに取引をまとめてしまうつもりなのでしょう。

 何度も振り返り振り返り、頭を下げながら帰って行く農場主を見送った妖精屋が不満とも何ともつかない溜息をこぼし、イェルと呼ばれた青年はくすくす笑います。

「ほとんど仕入れ値じゃねえか」

 妖精屋がぶつくさ言い、それからもう一度自分を納得させるための溜息をつきました。

「まぁ、しょうがねえなぁ……嬢ちゃん可愛かったしな……」

 若い娘──ようやく大人の入り口に立つような年齢の娘を求める奉公先がどんなものか、男はよくよく知っているのでした。

「そのぶんわたしがよく働いてお返しを、我が主」

 青年の言葉に妖精屋はいまいましげに舌打ちをしました。

「お前がその姿だと若い女が寄りつかねえんだよ、バカ」

 妖精屋は大きな取引もいたしますが、そんなものは年に二十本も成立すれば御の字です。つまりのところ、女子供たち相手にきらきらした夢のかけらを売るような、半ばは詐欺のような商品が主な食い扶持でした。

「祭だからこのほうがいいと思ったんですよ、事実前回の星の雫の祭のときはこれでずいぶん稼いだじゃありませんか。しかし今年はいけませんねえ、残念なことだ」

「前回のときはもうちょっと愛嬌があったろ。今回は何でそんな貴族みたいなギラギラにしたんだ。このくそったれの人竜め」

「だって去年の収穫祭でそのほうがいいってあなたが言うもんだから少女になったらなったで大変だったでしょう。あんなのはわたしもこりごりです」

「あれだってとびきりの美少女になるからだろ。加減をしろ、加減を。お前の人型はどれもこれも気味が悪いくらい完璧すぎて、バカな連中を呼び寄せるってのを学習しろっての」

「だって人間は見た目がよいのが好きじゃありませんか。バカなのはそちらなんですよ。わたしじゃなくてね」

 肩をすくめた青年が、しいと唇に指をして、それからゆっくりふり返りました。

 妖精屋の前に立ったのは身なりのよい、初老の紳士でした。背後にひとり、五歳かそこらの幼女型の妖精を連れています。

 人型の妖精はとても珍しいもので、めったに会うことはありません。これもおそらくは本体とは別の姿になっているはずです。くるくるとやわらかな金の巻き毛が頬を縁取って肩まで流れ、ねっとり光る絹の服は彼女のためにしつらえたのでしょう、ぴたりと身体に合っていました。

「やあ、こんにちは」

 紳士が正しいカント語で言いました。生粋の貴族たちはみなこの言葉を使うのです。それが出自を裏付けるものであるからです。

「人型の妖精を探していてね」

 紳士の言葉に妖精屋がふうんとうなずいて、それから後ろの妖精へ目をやりました。

「人型は難しいよ」

 持っていないよ、とは言わないのが商売の最初なのでした。

「なかなか孵すのも難しいが、そのあとも難しい。おとなしく鳥か魚か猫にして、そいつらに仕込む方が楽だし早いぜ──うしろのそれは、魚かい?」

 幼女がぴくりと顔を上げ、それからにっこりと笑いました。

「お、よくおわかりになる。さすがに妖精屋だ」

 紳士が答え、幼女の背を押して自分の前に立たせました。

「この子は四年前の祭のときに別の妖精屋から卵で買ったのだが、もうひとり、この子に姉か妹を授けてやりたくてね。ひとりで遊んでいるのを見るのはせつないものだから」

「なら、なおさら魚でいいじゃねえか。人型にこだわるのは理由があるのかい。あるにはあるが、珍しいだけで手を出せる値段じゃねえぞ」

 紳士は答えずにただ微笑みます。珍奇だけで手を出せる階層というのが確かに人間の世には存在するのでした。

 妖精屋はふむともう一度うなずいて、それから妖精へ目をやります。上から下までじっくりと見ている目つきは、商売人特有の、何かを見抜こうとする目つきでした。

 首に細くまかれた虹織のスカーフとたっぷりドレープの入った長袖のブラウス、細い腰に巻かれた布ベルト、膝丈のスカートはふんわり膨らんで、そこからはぴったりとした黒くて長い靴下と、蒼虹色の羽根がついた短靴──真夏に近い気候の中で。

 妖精屋はちらりと青年に目くばせし、「どうぞ、こちらへ」屋台の奥に張られた商談用の黒テントへいざないました。

 残された青年は幼女を見下ろしました。魚、と妖精屋が言った通り、この姿はかりそめで本体は小さな魚のようでした。

「……きみは逃げ出さないのかい?」

 青年は後ろで取引の話をしている主人達に聞こえぬよう、小さく素早く言いました。幼女はにっこりとまた笑いました。その表情しか出来ないのかもしれませんでした。

「わたし、尾びれを切られてしまったし、名前をつけられたから……」

 幼女の声も小さく密やかでした。逃げないのかという問いにうんと言ったも同じことだから、彼女の主人に聞こえてはならないのでしょう。

「それはきみの名前? 孵化したときに勝手に与えられた名前ではなくて?」

 幼女が不思議そうにまばたきをしました。青年は身をかがめ、さっきよりももっと小さく素早く囁きました。

「きみには『本当はこう呼ばれたい』という名があるはずだ。それがきみの名だ。きみは名を取られたと思い込んでいるだけで、本当は自由で、何にもしばられていないのだよ」

「でも……」

「大丈夫。今夜、星の雫が降るときに、その名を呼んで願ってごらん」

 幼女はまばたきをして、それからまた同じような笑顔になり、そっと主人達の方を見やります。青年は大丈夫だよ、と優しく声をかけました。

「いいかい。今夜星の雫が幾千も降り始めたら自分の名を呼んで、飛び上がってごらん。そうすれば君の尾びれはたちまち長く伸び、胸びれは力強く星の海を掻き、虹色の鱗はきらきらと輝いて、またたく間に自由に星の間を泳げるはずだ」

 幼女がまばたきを何度もしてはふり返ります。

 大丈夫、と青年は繰り返しました。

「きみは無理にわたしを信じなくていい。信じていいのは自分だけだ。試してごらん、きっと上手くいく」

 幼女はゆっくりとうなずいて、またにっこりと笑いました。

 パンと手打ちの音がして、ふたりはふり返りました。大きな取引の成立した時にはそうやって柏手を打つのです。

 紳士が幼女を連れて帰っていくのを見送りながら、青年は「悪い方ですね」と笑いました。

「なんの卵を渡したんです? 尖竜ですか?」

「おうよ」

 妖精屋が意地悪くニヤリと笑います。尖竜は孵すのがとても難しい上に気性が荒く、知恵が回ります。魚や鳥の小さな脳と同じだと舐めてかかれば酷い目に遭うはずでした。

「さ、ずらかるぞ、イェル。支度しろ、急ぎだ」

 尖竜が孵るまでには時間がありますが、あの憐れな小魚が逃げ出せば自分たちにも類火が及ぶかも知れませんでした。もちろんです、と青年は答え、てきぱきとテントをたたみ、卵を保護材の入った鞄に押し込んで荷物をまとめます。

 カント城市の城門が閉まる時刻ぎりぎりでふたりはそこを抜け、ふり返りました。閉門の合図の銅鑼が遠くから響いてきます。やがてそれがおさまって夏の夜空が淡い桃色から紺青へ変わりきったころ、一筋の銀の光が夜空をまっすぐに裂いて降ってきました。

 それが合図でした。

 星の乱舞が始まります。たくさんの星々が一斉に運動を始め、残像の軌跡が銀色の弧をつくり、流星のあざやかな光たちが夜空に乱反射して、荘厳な滝のような宇宙を描きます。

 青年がその中にたった一つ、ふらふらとあがっていく小さな光を見つけて指をさしました。

 妖精屋が「頑張れよ」と呟いて祈るようにそれを見つめます。

 その小さな光は次第に速度を強め、やがてぐんぐんと星の海を泳ぎ始めます。くるんくるんと何度か回転したあげく、たくさんの星の光に紛れてついに分からなくなりました。

「さて、逃げるか」

 妖精屋が青年の背をぽんと叩きます。

「かしこまりました、我が主」

 青年がうやうやしく一礼し、くるりと姿を変えました。

 真の闇よりももっとずっと黒々と輝く竜が一頭、大地すれすれを飛ぶのに気付いた人はおりませんでした。この夜はみな、空を見上げているものだからです。

 竜が時々出会う尖竜や角竜や翼竜などではなくて、まったく別の竜であることも、気位の高い竜の背に人の影があったことも、もちろん誰も知らぬことでした。

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