第39話一八二六年、薩摩藩島津家対策四
「豊後守殿、よく考えられよ。
密貿易の罪は、切腹改易だ。
家督争いや失政は、小藩なら改易され、旗本として名跡が残される。
大藩ならば、改易の後で堪忍料一万石が与えられる。
だが、島津家は名門であり、上様御台所の御実家でもある。
殊勝な態度を示せば、格別のはからいがあるかもしれない。
ここは短慮をおこさず、よく考えて進退を決められよ」
父上と祖父が、異口同音に島津重豪、島津斉宣、島津斉興の三人を説得してくれたが、同時に俺も薩摩藩士の懐柔を行っていた。
島津家には三万九千石の都城島津家を筆頭に、万石以上の分家が六家もある。
九千余石の日置島津家と八千二百石の平佐北郷家もある。
彼らに本家を離れて生き延びる道を探せと伝えたのだ。
本家が密貿易と御家騒動で改易になるから、家禄を失う事は回避できない。
だが、幕府に味方して証言すれば、越後騒動や最上騒動の時のように、大藩に家老として召し抱えられ、一万石を領することもあるのだ。
俺はそういう話をして、薩摩藩内の切り崩しを行った。
御家騒動と密貿易の証拠を確保するためでもある。
一方、島津家の縁者にも連座処分を匂わせて脅かした。
島津重豪の息子で、豊前国中津藩五代藩主の奥平昌高。
島津重豪の娘で、桑名藩主の松平定永と婚約している孝姫。
島津重豪の息子で、筑前国福岡藩の養嗣子となっている黒田長溥。
死んだ母親が島津重豪の隠し子だった、日向国佐土原藩十代藩主の島津忠徹
叔母が島津斉宣の先室だった、出羽国久保田藩十代藩主の佐竹義厚。
同じく叔母が島津斉宣後継になっている、陸奥国二本松藩九代藩主の丹羽長富。
妹が島津斉興正室となっている、因幡国鳥取藩八代藩主の池田斉稷など、島津家と縁を結んでいた諸藩は大騒動になっている。
島津家が素直に処分を受け入れれば、親戚一門の連座は軽くて済むが、幕府に対して弓を引くようなら、その処分は厳しいものになる。
だから彼らは必死で島津重豪、島津斉宣、島津斉興を説得に当たった。
聞き届けられないなら、養子縁組を解消したり、離婚する事も辞さない、場合によれば討伐軍の先陣を願うとまで言った。
まあ、実際の所は俺が言わせたのである。
そう言わなければ、連座による改易処分もあり得ると匂わせたのだ。
徳川忠長の連座で改易された朝倉宣正と鳥居忠房。
加藤明成の連座で改易された加藤明利。
土方雄隆の連座で改易された有馬豊祐。
普通は縁戚だからといって必ず連座処分されるわけではない。
まして、叔母や姉妹が輿入れしている程度で、実家が処分される事はない。
だが、実際に幕府に叛旗を翻して戦をおこしたら、先陣を願い出て幕府に忠誠を示さなければいけなくなる。
どの大名家も勝手向きが苦しいのだ。
戦など起こされては困ると、心底思っていたのだ。
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