家督継承前

第2話一八二二年コレラ対策

「父上、東照神君の御告げがありました」


「馬鹿者!

 畏れ多くも東照神君の御告げなどと、根も葉もない事を申すではない。

 そのような事を口にしていると幕府に知られたら、よくて乱心とみなされて廃嫡、悪くすると座敷牢の押し込められてしまうぞ。

 源之助は勉学のし過ぎなのだ。

 少しは武芸の鍛錬をして体を鍛えるがよい」


「嘘ではございません!

 東照神君が夢枕に立たれ、これから異国が日本に攻め寄せてくると申されました。

 それを防ぐための方策を伝えると申されたのです。

 その一つとして、長崎の出島から入り込んだ異国の疫病と戦う方法を、私に教えてくださったのです。

 これを黙っていては、東照神君の子孫として死した後で神君に顔向けできません。

 どうか、どうかお聞き届け願います」


 ここは絶対に引けない。

 情報網として手懐けている、越中富山の薬売りから、西日本でコレラが流行っているという情報を得たのだ。

 ここで知っている対処療法を広めなければ、毎晩悪夢にうなされてしまう。

 俺はメンタルが弱いのだ。

 やれることをやらずに多くの人を死なせてしまったら、それこそ乱心してしまう。


「うううむ。

 神童の名を欲しいままにしている源之助の言葉じゃ。

 無碍にするわけにもいかぬ。

 何よりも本当に東照神君の御告げならば、余の一存で握り潰すわけにはいかぬ。

 だが余も跡継ぎの源之助は大切なのだ。

 廃嫡や座敷牢送りにはさせたくないのだ」


「ではこうしてください、父上。

 上様に私が東照神君の御告げを受けたことを御知らせして、事の真意を確かめるために、その御告げ通りにしてみたいと申し上げてください。

 もし成果が現れなければ、二歳の幼児が東照神君を慕うあまり、夢見が悪かった事にしてくださればいいのです。

 成果が現れれば、私の尾張徳川家継承に有利になります」


 最近の尾張徳川家には、将軍家に近しい方が当主として送り込まれている。

 その事で、将軍家におもねる尾張藩士と、将軍家に反発する尾張藩士の間に、大きな亀裂が走っている。


 まあ、そうは言っても、尾張徳川家の予備である高須松平家も血統を断絶させてしまい、御爺様の代から水戸徳川家の血統になってしまっているのだがな。

 八代将軍吉宗公との将軍家継承争いの影響か、吉宗公や紀伊徳川家に対する尾張藩士の反発は激しい。


 そんな事は俺にはどうでもいい事なのだが、理想の幕末対策を行うためには、一日でも早く尾張徳川家の家督を継承しなければならない。

 そのためには、コレラの対症療法である経口補水液を広めなければならない。

 沸騰させて冷ました清潔な水に、食塩と砂糖、あるなら柑橘果汁を適量加えて経口補水液を作れれば簡単だ。

 だが砂糖は高価なので、庶民には手に入り難い。

 代用品として一番安く手軽なのが重湯なのだが、江戸っ子は白粥や重湯が苦手て食べられないという。

 代用品の代用品になるが、薄めた甘酒や黒酢や梅酢なら安く手に入るので、庶民の死者も減らせるかもしれない。

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