平等院鳳凰堂①


 どうして今、平等院鳳凰堂なのか。

 高校の思い出を振り返りたかった? 阿弥陀如来様に会いたくなったから? 全然違う。

 極楽浄土に行きたかった。これは、死にたいとはまた別のお話。死にたかったなら、参道をあんな陽気に歩けるわけがない。

 入り口を過ぎて、柳の下にあるベンチに腰かける。見せ場である平等院鳳凰堂は、まだ横顔しか見えない。境内では他の観光客に混じって、作業員がなにか作業をしていた。手にしているロープ状のライトを見て、クリスマス前であることを思い出しながら、光に彩られた極楽浄土を思い描いてみる。まあ、うまいこと想像できなくて、夜まで居座りたい気分になったけど。お昼前であることを思えば、それもなかなか難しいけど。

 湖に浮かぶ平等院鳳凰堂は、思ったよりも小さかった。記憶の中で誇大化した極楽浄土を思えば、境内も大した広さはなく、昔話で見るような雲に浮かぶソレとは随分とイメージが違った。それなのにどこか現実と切り離された場所にたどり着いたような気持ちになったのは、ここから見上げる空が青とも灰色とも区別できない絶妙な色合いをしていたからかもしれない。雲ひとつない空から、地上を見やる。極楽浄土に来たような錯覚に、胸に抱えた欲求が静かに満たされていくのを感じる。

 死にたいわけじゃない。だけど、極楽浄土に来たかった。

 それはまるで仮死状態を味わうような感覚。仕事でミスが続いて、励ましてくれる人もそばにいない現実に。なにも感じないなんて誤魔化して、反省したふりだけして、こなすだけの毎日に。やっぱり、疲れてしまっていた。

 肩の力を抜いて、誰にも見つからないよう静かに深呼吸をしながら、楽しそうに右から左へ流れていく観光客に目を向ける。

 この世に極楽浄土を作った人の気持ちなんて。なんの前情報もないから知りようもないし、想像もできないけど。今の私は、その心意気にどこか救われているのかもしれない。

 一度死んだ気になって、もう一度人生を仕切り直すほどの効果はなくとも。日々の疲れをどこかに持っていってくれたような感覚に、いつの間にか山積したストレスの上っ面が少しだけ剥がれ落ちた気がした。それだけで心が洗われたような気持ちになる。息を吐くと、自然と視線が上を向いた。手も足も左右で交差して、いつの間にか前方に投げやられていた。全身が、日常の強ばりから解放されたようだった。

 空を見上げたまま、視線だけで極楽浄土を眺める。揺らぎもしない湖に、柳の音が静けさを助長する。眠るように目を閉じそうになったその時、耳についた声に視線を投げる。

 極楽浄土にはカニの案内もいるのか。なんて涌き出た自分のコメントに、吹き出しそうになる。

 小さな旗を掲げカニの被り物をしたお兄さんに、その陽気さに、姿勢を正した。ここにきて、態度の悪さに気づいたのだ。それは現実をはっきりと認識した結果であったけど。

 ああ、楽しそうでなにより。なんて。私の心は少し上向いた。

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