摩耶山天上寺
六甲山牧場に向かう途中で、時間が空いた。
月に一度の日帰り旅行。一分一秒も無駄にしたくなくて、二人で近場の観光地を探し歩くことにした。
スマホ片手にブラブラと歩きながら風景を眺め、時折、手のひらの中のリストをスクロールする。
「お寺があるって! 行って良い?」
「どこ?」
「多分、近く」
「多分って」
横から呆れ声が返ってきた。だから私は必死でスマホを傾け、地図を指す。
「分かったから」
なんて呆れ声で、由佳里に近づけた頬を押し戻される。そしてスマホを奪われた。
「よろしくお願いします」
「もちろん」
それでも私が頭を下げるのは、私が方向音痴だからだ。以前二人で出掛けたときに、五分の道のりに二十分かけたことがある。あのときの由佳里の怒りようと言ったらない。今思い出しても恐くて堪らない。
私は無心になって、とぼとぼと由佳里の後ろをついていく。
山道を進んで少しして、石碑が見えてきた。
「着いた!」
「地図通り進んだからね」
上がったテンションに、水をさされる。私は無心になって返事して、大人しく参拝をした。バスまでの時間を確認すると、まだ少しだけ余裕があった。
「ちょっと見て回らない?」
「見て回るには、時間、足らないでしょ」
境内の広さに、由佳里はため息をこぼした。だからと言って他の場所に移動する時間もなく、私たちは佇む。どこか一ヶ所に目星をつけようと、周囲を見回した。
「何あれ」
本堂の脇に、何かしらの入り口を見つけて、近づく。そこには砂踏みと書かれた看板があった。
「四国八十八ヶ所を巡礼したことになるんだって」
側にあった看板を見て、由佳里が答えてくれる。
「へ? 何をやったら?」
「さあ? 入ってみないと分からないんじゃない?」
私は台の上に置かれた陶器の入れ物を見やる。
「行って良い?」
「ああ、じゃあ、待ってるよ」
由佳里は時計を見ながら答えた。
説明にある通り手を清めようと塗香に浸かった匙に手を伸ばす。
「あ。それ、やってあげるよ。はい」
横から伸びてきた手に、匙を奪われる。そのまま掬った塗香を手のひらに乗せてもらい、手を清めた。香りたつ塗香の独特の香りに、思わず頬が緩む。
「では、行って参ります」
「はーい」
医者のように手を掲げて、由佳里に一礼した。
入り口を潜れば廊下のような小道の両脇に、仏像が一列に並んでいた。その前に一つずつ座布団が置かれている。その光景に、感動してぶわっと逆毛が立った。私は心を落ち着かせ、一番手前にあった座布団に立つ。仏像を前に手を合わせ、拝む。そして最後に笑顔で一礼して、となりの座布団に移った。一人だけの空間に、清らかな空気。心は静かに弾んだまま、また一歩進んだ。
五ヶ所ほど回った頃、入り口から話し声が聞こえてきた。目を向けると、仲睦まじい老夫婦が立っていた。仏像を観察し、「座布団の上に立つのよ」と静かな声で、おばあさんがおじいさんに説明していた。
私はさらに頬が緩んだのを感じながら、となりの座布団に移った。順調に巡礼を進める。
「違うわよ、こっちからよ」
「そうかい?」
響いた声に、振り返る。おじいさんがおばあさんに腕を引かれて、真後ろにあった座布団の上に乗った。
ふと、足元を見やる。そして、背後に並んだ座布団を見つめた。そこに、一つ飛ばしで書かれた番号を見つけた。再度、足元を見やる。ここにも、一つ飛ばしの番号を見つける。
どうやら、私は間違っていたようだ。
手を合わせたまま固まる。まさか、順番がそんなところに書かれていたなんて、思わなかった。
やり直したいと唇を噛み締める。でも今さら戻って参拝する暇もなく。無言で悩んでいたら、由佳里の待っている姿が脳内に浮かんだ。
そう、時間がない。スケジュール、スケジュール。
なんて自分に言い聞かせて、順不同で砂踏みを完了した。出口で一礼して、四国霊場八十八ヶ所お砂踏みを締め括った。
また来ます……!!
と、心の中で誓いながら。
その後、由佳里に笑われたのは、言うまでもない。
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