岡寺


 一時間に一本のバスに乗ってやって来たのは、昔ながらの町並みだった。

 目的地までの坂を、息を切らせて歩く。


「長い!」

「辛い!」


 長旅にはしゃいでいた元気は消え失せ、今や数分おきに愚痴る始末。途中にあった岡本寺に参拝した神聖な気持ちも、今はもうない。

 正月の親戚の集まりで、自分が厄年であることを知った。そしてよくないことが起こると、脅された。私は信じなかったけど、同じ年の従姉妹・静枝は身を振るわせて怯え、私にしがみついてきた。

 だから今、私たちは叔母に教わった「奈良で厄除けと言えばここ!」と言われた岡寺に向かっている。

 まさかこんな長い坂道を登るはめになるとは、思ってもいなかった。

 坂の行き止まりが見えて、顔を見合わせる。

 そろそろか!? 

 と、二人して、声にならない声をあげた。

 坂が終わる直前、見知らぬおじちゃんを追い越した。お辞儀をすると、おじちゃんは笑って返してくれた。


「しんどいな。もう少しや、頑張りや」


 おじちゃんの気遣いに、足元からなにかが沸き立つのを感じた。火照った頬を持ち上げて笑顔で頷くと、なんだか足が軽くなった気がした。

 入山料を納め、仁王門を潜る。

 まだまだ道が続いていることに、ため息を吐きそうになったが、おじちゃんの笑顔を思いだすと、グッと堪えることができた。

 手水舎で手を清め、周囲を見渡す。

 見える景色が変わった。上へ向かう道は、さっきまでの途方もない坂道とは違い、どこか遠く良いところへ連れていってくれるような気がした。

 鍾楼堂が目に入って、曲がれば、お寺の風景が広がる。


「なんか色々ある」

「いや、ひとまず休むところ」


 冬だというのに汗を滑らせ、静枝は真っ直ぐ立つこともままならない様子だ。数歩進んで、本堂の前に立っても、座るところは見つけられない。

 私に連れそうように、静枝は参拝する。

 連れは私だったはずなのに。いつの間にか立場が逆転していたようだ。


「祈祷の受付だけ済ませる?」

「だね」


 静枝の様子を窺いながら、問いかける。返事が短い。どうやら、限界が近いらしい。

 授与品の群れを過ぎて、窓口まで進む。


「厄除け祈祷の受付って、ここで大丈夫ですか?」

「はい、大丈夫ですよ。お二人ですか?」

「はい」

「では、こちらにご記入をお願いします」


 渡された紙を一枚、静枝に差し出す。静枝は紙を受けとる気力もないようで、キョトンとした目で紙とにらめっこをしていた。


「私が書いて良い?」

「お願いします」


 静枝は膝に手を当てるようにお辞儀して、今度は授与品とにらめっこを始めた。その姿が、なんだか笑えた。

 凍えた手でペンを持つ。自分の分を書き終わると、スマホを取り出して間違えないよう確認しながら、静枝の分を書き上げた。

 お寺の人に渡すと、丁度五分後に祈祷が始まるとのことだった。小さな箱とお札を受け取って、静枝の元に行く。静枝は少し離れたところで、干支みくじを眺めていた。


「中で待っててくださいって」

「中?」

「本堂の中。五分後に始まるんだって。丁度良いタイミングで来れたみたい」


 まるでおばあちゃんの歩みになった静枝の背中を押しながら、本堂に上がる。

 本堂には沢山の座布団が並べられていた。三十人は座れそうだ。どこに座るべきかと悩んでいたら、静枝が目の前の座布団に腰を下ろした。これはこれで入り口に近すぎて、困る。


「静枝、ここは寒いよ。真ん中だと電気カーペットひいてあるから暖かいんだって」

「そっち座る」


 四つん這いになって如意輪観音座像の前に進む静枝を目に、お寺の人がいなくて良かったと思った。無礼だと怒鳴られてもおかしくない光景だ。

 赤い座布団に座って、静枝はなごむ。お茶を一口飲んで落ち着くおばあちゃんみたいだ。まだ十代だというのに、さっきから静枝がおばあちゃんに見えて仕方がない。

 目頭をおさえ、頭を降って、おばあちゃんフィルターを外す。

 静枝の横に座って、コートを脱ぐ。締め切っているとはいえ、ちょっと肌寒い。でも防寒具は失礼に当たると、マフラーを鞄にしまった。


「そういえば、こんなのもらったよ」

「何?」

「さあ。開けてみる?」


 私は先程受け取ったお札と小さな箱を静枝に渡した。開けてみると、落雁が二つ、入っていた。


「お盆の時によく見るやつだね」

「おばあちゃんのお菓子だ」


 静枝の言葉に、またおばあちゃんフィルターが掛かりそうになって、首を振る。


「どうしたの?」

「なんでもない」


 座れたことで徐々に活力を取り戻したらしい静枝は、キョロキョロと辺りを伺い始めた。


「二人だけ?」

「みたい」


 人の気配がしない本堂に、まるで静けさの中に置いていかれた気分になりながら、私たちはジッと待った。

 お坊さんが入ってくる。お辞儀をして、祈祷が始まった。

 深く息を吸って、ゆっくりと息を吐きだす。目を閉じて、お経を体に染み込ませるつもりで、お坊さんの声に耳を傾ける。お坊さんに言われてお札を壁に貼る。祈祷は終了した。

 外に出ると、寒さに震えた。忘れていたマフラーを取り出して、首に頑丈に巻きつける。


「あ」


 静枝の声に振り返る。

 そこには祈祷の申し込みをしている、女子三人組が居た。その後ろに、何も持たずに待っているお兄さんが居る。多分、祈祷の申し込みだ。


「もしかして、すごく良いタイミングだった?」

「みたい」


 見すぎて目があってしまった女子三人組にお辞儀をする。なぜか居たたまれなくなって、そっと遠ざかった。

 三人が受付を済ませて去り、お兄さんが受付に向かったのを見届ける。


「ちょっとお守り見に行って良い?」

「私も見たいよ」


 そそくさと来た道を戻る。

 授与品は所狭しと並んでいた。西国三十三ヶ所巡礼の御朱印帳まである。真っ赤な表紙にいつか必ずと誓って、じっと止まったままの静枝に歩みよる。


「見て! 竜!」


 目をキラキラとさせて、静枝は丸い竜のお守りを指した。


「好きだよね、竜。昔から」

「かわいいじゃん!」

「置物じゃなくて、お守りだからね?」

「わかってるよ」


 静枝は群れの中から一匹の竜を掬いあげると、両手で包み込むように持って、受付へ向かった。私は職場のお土産に、厄よけせんべいを持って静枝の後ろに並ぶ。


「角や尻尾がおれやすくなってるので、気を付けてお持ち帰りください」

「はいっ」


 静枝の弾む返事が、響く。静枝は横にずれて、さっそく竜を取り出した。眺めるその姿は、まるでパフェを前にはしゃぐ小学生のようだ。おばあちゃんが、若返った。思わず、吹き出しそうになる。

 笑いを堪えていると、お寺の人と目があった。咳払いで、その場を取り繕う。


「御朱印もお願いします」


 受付の人に厄よけせんべいと御朱印帳を渡して、お辞儀する。横で静枝が「私も!」と声をあげた。

 静枝が御朱印帳を受けとると、私たちは今一度本堂に手を合わせて、踵を返す。

 鍾楼堂からお兄さんが出てきて、思わず足をとめた。

 目的は達したが、岡寺を満喫したかと言うと、そうではない。如意輪観音座像は確かに素晴らしく、本堂の空気は満喫なんて言葉が失礼だと思うほど、厳かだった。静枝が空気を壊していたのは、否めないが。

 でもやっぱり、それだけじゃ勿体ない。


「みて回る?」

「へ?」


 両手で竜のお守りを抱える静枝は、とても間抜けな顔を向ける。

 鍾楼堂を指して「色々」と付け加えると、静枝は姿勢を正した。手の上の竜は、依然、静枝を見上げている。


「他、どこ行くんだっけ?」

「橿原神宮と、大神神社」


 質問に答えると、静枝はおもむろにスマホを取りだした。そして画面を私に見せて、時間を知らせる。


「じっくり見れないね」

「今度! お礼参りに来たときに見よう!」

「そうだね」


 私は少しでも楽しもうと、辺りを伺いながら進む。

 仁王門にいるお寺の人に挨拶をする。終わりの見えない下り坂に、二人して空笑いを浮かべた。


「上り坂より、断然マシです」

「張り切って行きましょう」


 なんとか気持ちを奮い立たせて、一歩を踏み出しす。

 数歩歩いたところで、静枝がまた声をあげた。私は我慢したのに。来るときにおじちゃんとすれ違った辺りで、また人とすれ違う。

 息切れ切れに自転車を押して登ってくる外国人のお姉さんは、頬を薄紅色に染めながら実に楽しそうだ。


「こんにちは」


 挨拶をすると、外国人のお姉さんは恥ずかしそうにお辞儀で返してくれた。

 下り坂の勢いにつられて走ったり、歩いたりして、なんとか坂を下りきる。バス停で時刻表を確認して、二人してげんなりした。


「三十分あるね」

「確認するの忘れてたね」


 ただ待つことが億劫に思えた。こんなことなら、少しでも良いから、お寺を堪能すれば良かった。


「歩きますかー」


 静枝の言葉に、頷く。とりあえずトイレを探して、途方もなく歩き回った。

 そしてまた、後悔した。

 三十分では満喫できないほどの博物館やカフェを見つけたのだ。一つを見つける度に時間がないと諦め、詰め込みすぎた予定を悔やんだ。

 だから、次はもっとゆっくりできる予定でこようと、約束した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る