第3話 星海の旅人
私があの時の少女(佳奈ちゃん)に星海の旅人と名乗ってから実に二年ほどたった。
今回の旅はなかなかに過酷な日々を送っていたこともあり、私は蒼い顔、くたびれた服装、そして久しく太ることを忘れた財布君を携えていつもの喫茶店へと向かう。
見た目からの同情を誘いツケにしてもらう魂胆である。自分で言ってて虚しくなってくるが背に腹は代えられぬのだ、致し方ない。
旅を始めてから三か月くらいのころだろうか、その時に訪れた世界の一つでたまたま寄ったさびれた喫茶店「方舟」。はたから見れば場末も場末、私みたいな訳ありの人間じゃなければ誰が来るのか、いやそもそも誰が見つけられるのかという疑問がまず浮かび上がってくるお店である。
そんな怪しい所なのになぜ私がいつものと呼ぶほどに気に入っているのか、それに答えるのは簡単で単純にこの場所は「不思議」と縁深いのだ。
不思議、噂、都市伝説、謎、まあいろいろ呼び方はあるが、私の趣味は世間に蔓延る様々な不思議な話の情報をあつめて必要ならば調査しコレクションしていくことである。
つまり不思議オタクな私が不思議に塗れたこんなにも面白そうな場所をみすみすほったらかしておく訳がないのだ!
それにこの店のマスター、ノアじぃはどこか人を安心させてくれる温かさがある。
ある意味これが一番の不思議要素かもしれない。
そんなことを脳内でくっちゃべっていると方舟の前にたどり着き、カランカランとドアについたベルを鳴らしながらゆっくりと入る。
「ただいまぁ~ノアじぃ。星海の旅人少女がお土産もって帰ってきたよー!」
「おやおや、お帰りなさい。時女ちゃん今回も一段と不健康そうな顔をしているね」
「うお、早速見抜かれてる。いやーやっぱりノアじぃの観察眼には適わないな」
「恐縮だよ。いつものコーヒーでいいかい?」
「うん、それでお願い。もう今回の旅中もずっとノアじぃの美味しいコーヒーが恋しくて恋しくて……」
「そんなに気に入ってくれて僕も嬉しいよ」
自慢のコーヒーを褒められて嬉しいのが隠し切れず、上機嫌にひげをさする。
嬉しい時や照れた時のノアじぃの癖だ。好々爺然とした顔を更に綻ばせて喜んでいる顔は見る人間の毒を全て浄化してしまうのではないかというほどの癒し効果がある。
そんな顔を見ながら満足げに私は頷き、さっき言ったお見上げをドンとテーブルの上に置く。
「じゃーん!今回行ってきた世界じゃさ、なんと海が黄色かったんだよねー。そこで採れた塩も同じように黄色かったりして面白かったから買ってきたよ。これがお土産ね、良かったらこれでなんか新メニューでも作ってみてよ」
「おや、確かに珍しい。味のほうは……うん、少し酸味があるけれどそれがあっさりしたアクセントになっていて美味しいね。よし、そうだなぁ折角時女ちゃんも帰ってきたんだし今回は腕によりをかけて美味しいご飯を作ってみるよ」
「よっし!今日の晩御飯ゲット!それにノアじぃの最新作が食べられるなんてラッキーガールすぎるでしょ」
またもや上機嫌にひげをさするノアじぃは置いておいて、さっきの塩とは別の場所から取り出した小瓶を持って、奥にある植物のところへと近づく。
彼女は食虫植物の多部子さんと言ってれっきとした大人のレディである(見た目は植物だけど)。
「ねえねえ、今回は多部子さんにもお土産持ってきたんだー」
「あら? 珍しいわね。星のお嬢ちゃんはいっつも私だけはスルーなのに」
「ご、ごめんって。もう、そんなにすねないでよ。ほら、これみて。黄色い海がある世界の真水は紫色をしててね、凄い奇麗でしょう?」
「ええ、確かに私には負けるものの奇麗な色はしてるわね。でもそれを私に近づけるのは止めなさい星のお嬢ちゃん」
「ええ、なんでさ。折角多部子さんのために持って帰ってきたのに。ほらこんなに綺麗なんだよ? ちょっと刺激臭がしたり、ありえないほどの粘性があったりするけど。そんなことは些細なことだよね!」
「無邪気な顔で言い切るんじゃないわよ!? 問題の部分が色味が綺麗というだけで見過ごせるレベルじゃないのよ!」
「いやよいやよも好きの内ってね。問答無用だよー!」
「ちょ、やめ……。ギャーーーー!」
ドロリとした紫色の真水は多部子さんの口の中に綺麗に収まる。
緑色だった体色が一時的に紫色になったり、激しく気持ち悪そうにフラワーなロックしたり(のたうち回るとも言う)楽しそうだった。
そんな風に方舟にいる沢山の住民、従業員たちを弄り回しながら過ごしているとご飯が出来たとノアじぃが呼び掛けてくれる。
旅疲れと弄り疲れで、くたびれ切った私はお腹もペコペコである。良い匂いのしてくるカウンター席のほうへと飛びつくように向かう。
「うわぁ、美味しそう!これは…質感的にサボテンのステーキでしょう!? しかもこれも前回私が行ってきた場所のお土産の高級大瀑布サボテンじゃない!まだ残ってたのね」
「おお、凄いねいきなりそこまで見抜けるなんて。家の子達なんて食べられれば良いって考えの子が多いからね。美味しく作り甲斐があまりないんだよ。食材の種類なんて眼中にもないのさ」
少し残念そうにひげをさすりながらノアじぃが答えてくれる。
まあ確かに、ここにいるのはおしゃべりな食虫植物や無口なブリキの木こりだったり、はたまたいたずら好きの妖精なんてものといった食を楽しむと言った考えからは外れている者たちしかいない。
私が初めてここにたどり着いたときに飾られてた少女の像はそういった面にも興味があったのか、ノアじぃに熱心にレシピを聞いていたりしたが今は想い人に貰われて行ってしまい、年に数度ほどしか帰ってこないらしい(ノアじぃが前に少し寂しそうに話しているのを聞いた)。
「お、お客さんもあんまり入ってるの見ないしね。まあ、でも私がいるから安心しなよ」
「君は本当に地味に痛いところを突いてくるのが上手だよね。とはいえ、君が常連さんになってくれていることは素直に僕も家の子たちも喜んでいるよ。ま、いつもお金がなくてツケられているけどね」
「あははは、すいません。今回もお金ないです……」
「ふふ、冗談だよ。君は孫みたいなものだからね逆にお金を取るほうがなんだか忍びないのさ」
「そうよ、お嬢ちゃんはまだ若いんだからそんな風に難しく考える必要はないのよ。ノアちゃんの言葉に甘えておきなさいな。でもさっきの水のことは絶対に許さないからね。後で齧らせなさいよ」
「あはは、考えとくよ……」
この懐かしいやり取り、もう前回からどれくらい経つのだろうか。
私の能力上いつの時代のいつの時間に飛べるかは分からない。
さすがに慣れてきたから場所くらいは好きに選べるようにはなったけど、それでも前回あった人にもう一度会えるとは限らない。
だから本当はあんまりその世界で親しい人を作っちゃいけないってわかってるんだけどそう簡単な話でもないわけで。
まあ、つまり私は今ずいぶんと感傷的な気分なわけです。
「ああ、なんだろう。やっぱりここは安心するなあ、ご飯もおいしいし人も優しくて暖かい。あれ、なんでだろう。涙が止まらないや……」
ここにいる皆と話をしているだけで不思議と心が満たされる。
旅の中で見つける不思議や楽しさと同じように募っていく心の荒み。自分ではまだ大丈夫と誤魔化し続けてやってきていたけれど思っていたよりも限界が近かったらしい。
溢れてくる涙が止め処ない。
楽しかったこと、苦しかったこと、幸せだったこと、辛かったこと。全てをない交ぜにしてドロドロとした感情の湖はもうすでに許容量を超えていて、それを受け止めてくれるような大きな器は今はもうこの場所以外にはどこにもない。
元居た世界に戻りたいとも思わないし、そう思わせない理由を思い出すことがまた心の澱みにつながって壊れそうになる。
沢山の虚栄心に塗れた私だからこそ、今まで沢山の星を、世界を旅して廻れたんだと思う。
どの次元のこの場所に来てもノアじぃたちは暖かく迎え入れてくれる。不思議が集まるこの場所自体が実は一番の不思議なのかもしれない。
でもそんな場所だからこそ普通じゃない私も受け入れてくれるし、私も帰りたいと思える。
何も詳しい話はせずにただしゃくりあげながら大声で泣き続ける私に、ノアじぃは暖かいコーヒーを入れてくれる。
「これはね、私の親しい友人の魔法使いが作っている特別な豆で挽いたコーヒーなんだ。どうかな、君にも飲んでもらって感想が聞きたいな。そのほうがきっと彼も喜ぶ」
「......ありがと」
受け取ったコーヒーはまだ熱くて、猫舌の私は数回息をふぅふぅと吹きかけてから一口飲んでみる。
うん、不味い。
あまりの不味さに思わずカウンターの机まで移動してきていた多部子さんに吹きかけてしまう。
「ギャーーーーーー。何するのよこの馬鹿―――!」
怒って赤色に変色した多部子さんに嚙り付かれる。
正直かなり痛いが、あまりのコーヒーの渋さに咳き込むしんどさのほうが余裕で勝るので、適当に謝りながらも意趣返しにさっきの紫色の真水をかけて黙らせる。
「ギャーーーーーーー!」
まったくどうしてこうも私はシリアスが続かないのか…。
もし大学に行くことがあったらこれを卒論のテーマにしようと固く決意したところで、いたずらが成功した子供のような笑みを浮かべたノアじぃが謝ってくる。
「いやぁ、ごめんごめん。まさかこんなに君が面白い反応をしてくれるとは思わなくてね」
「まーったく冗談じゃないよノアじぃ。こんな不味いコーヒー淹れてくれちゃってさ!もう私へそ曲げちゃうよー?」
「それは困るなぁ。ほら、ここにお口直し用のケーキと本当に美味しいコーヒーがあるからご機嫌を直してくれるかい?」
「……もう、仕方がnいただきまーーーす!」
ノアじぃの取り出してきたチョコのケーキはとても美味しそうだったが、それに釣られた訳では決してない。ないったらないのだ。
「実はこのコーヒーはね友人が言うことを聞かない生徒たち用に作ったお仕置きのためのものなんだ」
「生徒って魔法の?」
「そうだよ。彼は有名な魔法学校の先生をやっていてね。名をダン──」
「おっとそれ以上はいけない!」
なんだか今名前を言ってはいけない(主に著作権的に)人の名前をノアじぃが言いかけた気がするけれど私は全力で聞かなかったふりをしよう。そうしよう。双子葉類なんつって。
「ま、まあなんにせよ元気でたよ。ありがと、ノアじぃ」
「ふふふ、それは何よりだよ」
ここの人たちは皆優し過ぎるところがあるから、あんまり心配をかけたくなかったんだけどなあ。やっぱりノアじぃたちには敵わないや。
気丈に振舞おうとしてみたけど一瞬で暴かれて、それどころか元気付けられもしちゃった。
もうそろそろ、この人たちには話してもいいかもしれないな。この星海を旅する力の代償。
「あのね、私のこの力って一度使う度に精神が摩耗していくの。今まで旅してきた世界の数は二十五くらいかな。その度にごっそりと私の中から何かが奪われてく、まるで私が私じゃなくなっていくような感じなんだ」
ゆっくりと、それでもしっかりと真剣に話を聞いてくれるノアじぃと多部子さん向けて言葉を紡ぐ。
「新しくたどり着く世界からすると私は異分子で、それを排除するために存在を消そうとする力に抗うのが私の力の根源だと思ってるんだけど。たぶんそれの副作用で私を私たらしめている根幹がどんどん削れて行くんだと思うの。何度もそんなことを続けていけばいずれ時女詩織という人格は消えてなくなる」
話していて再び息が苦しくなってくる、涙でのどが詰まるアレだ。誰もが一度は経験したことがあるだろう。
「でもね、別にそれを後悔してるわけじゃないよ。私は不思議や噂、都市伝説が好きで、やっと出会えた本当の不思議。その力で私は更にいろんな不思議を知ることができた。それはとっても嬉しいし何度生まれ変わっても同じ人生を歩みたいとも思ってる」
この先は言うか迷う。口が上手に開いてくれないや。
言葉の前に嗚咽が漏れる。
手足は驚くほどに冷たくなって、足はがくがくと震えている。
多分この話をし始めてから長い時間が経ったとおもう。
それでもノアじぃと多部子さんはじっと私を見つめて、次の言葉を待っていてくれる。
意を決して私はもう冷め切ってしまった不味い方のコーヒーを一気に飲み干す。
「うん、やっぱり不味いや。あはは、言葉を話すのってこんなに難しいんだね。でも、もう大丈夫。私ね多分次飛んだら壊れちゃうと思うんだ。時女詩織の人格はまっさらに消えちゃって何もない空っぽの人間になっちゃうかもしれない。それはね、怖い。怖いよ。ノアじぃのことも多部子さんのこともきれいさっぱり忘れちゃって、私自身もそう。私に忘れられる。それは、時女詩織って人間がいたという事実が歪むってことで、この先に私の外殻は存在してもそれは今の私じゃないんだよ」
ここまで話してやっとノアじぃが口を開く。
「時女ちゃん自身はどうしたいんだい? 私は勿論、ここに住む皆は時女ちゃんのことが大好きでね。いつも君の持ってきてくれるお土産を楽しみにしている人は意外と多いんだよ。だから、確かに今までのように遊びに来てくれる時女ちゃんがいなくなってしまうのは悲しい。でもね、それは所詮こちら側からの勝手な意見に過ぎないし、私たちの都合で君を縛り付けてしまうことはあってはならない。それにそのほうが何倍も悲しい。これが私たち全員の意思だ。それをふまえて時女ちゃん、君はどうしたい?」
そう言って優しく微笑むノアじぃは言葉とは裏腹に少し寂しそうな表情をしていた。
とはいえ、ここまで彼らにお膳立てされてしまっては仕方がない。
私は先ほどから心の中で沸々と沸き立つこの気持ちを開放する時を今か今かと待ちわびていた。
私は──。
「うん。私はやっぱり最後の最後まで旅をしたい。いろんな世界を回って不思議を確かめたい。だってそれが私の、星海の旅人としての生きた証だと思うから」
「そっか、それなら行っておいで。私たちはいつでも君におかえりを言う準備をして待っているからね」
「よく言ったわーー!さすが私の可愛い妹分ね」
「ちょっといつから私は多部子さんの妹になったのさー!」
「あーもううるさいわね。そこは納得しときなさいよ!」
さっきノアじぃたちには次飛んだら壊れちゃうって言ったけれど、実はちょっとだけ盛ってたりするわけで、多分あと数回程度なら大丈夫だと思う。
これから先どうなるかは多分神様ですらわからないと思うけれど、恐怖感と同じくらい実は楽しみだったりする。
この先遭遇する未知に満ち満ちた(なんつって)世界を想うともう身体の震えが止まらない。もちろん武者震いで。
でもその前に、もう一度だけ会いに行きたい人がいる。
その子は私の一番最初の友達で、私に人の温かさを教えてくれた人。
でも彼女は多分ノアじぃたちとは違って普通の女の子で、次飛んでみればもういないかもしれない。
それでも行ってみようとおもう。折角ノアじぃたちが背中を押してくれたんだから。
私が私でなくなる前にもう一度。
佳奈ちゃん、待っていて。
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