今日もまた、踏み切りの音が鳴る。
幽霊列車なんて恐ろしい物が出るような所に、とても住んでいられない。
というのが本音ではあったけど、異動してきたばかりなのに「幽霊が怖いから田舎に帰らせてもらえます」なんて言えないのが、社会人の辛い所。
幽霊電車を見た次の日、体力的にも精神的にもボロボロになった体を引きずりながらどうにか出社したけど、よほど酷い顔をしていたのだろう。隣のデスクに座る先輩に、ギョッとした顔をされた。
「ちょっと、ずいぶんと顔色が悪いけど、大丈夫? もしもキツイようなら、今日はもう帰って休んでもいいから」
二つ年上の女の先輩で、異動してきたばかりの私の事を気にかけてくれる、優しい人。
だけど、今はそんな優しさは逆効果。あんな幽霊が見えちゃうような部屋に帰るだなんて、おっかなさすぎるもの!
だけど帰ることを拒む私を見て、先輩は不思議そうな顔をする。
だからちょっと迷ったけど、昨夜何があったかを、正直に話すことにした。
夜眠っていたら、汗だくになって目を覚ました事。ベランダから見た、幽霊電車の事を、全部。
思い出すだけでも震えそうになるけど、一人で抱えているよりは、打ち明けられた方が、幾分気が楽になる。
問題は、こんな突拍子もない話を信じてもらえるかどうかなんだけど……。
先輩は笑ったり怪訝な顔をしたりするわけでもなく、ただ黙ってじっと私の話を聞いてくれた。そしてすべてを聞き終わった後、ゆっくりと口を開いた。
「なるほど、話はよーく分かったよ。それで君は、またその幽霊を見てしまうのが、怖いというわけだね」
「はい。昨夜は何事も無く行ってくれましたけど、もしかしたら次は、私もどこかへ連れて行かれるかもしれないじゃないですか。幽霊電車に乗せられでもしたら、嫌ですよ」
「まあ、そうだねえ。けどさっきの話では、ホームから君の部屋まではだいぶ距離があるみたいだけど、どうやって連れて行くというんだい?」
「それは……ふわふわーって、空でも飛んでベランダまでやってくるとか。だって相手は、幽霊なんですから」
奴らに生きた人間の常識なんて通用しない……と思う。
すると先輩は何を思ったのか、今度はこんな事を聞いてきた。
「ちょっと気になったんだけど、その幽霊を乗せた電車って、どっちに向かって走って行ったの? 上り、下り?」
「へ? そう言われても、私まだあの鉄道を利用したことが無くて、どっちが上りか下りかがよく分からないんです。ああ、でも確かあの方向は、南側だったような……」
「なるほど、という事は……うむ、それなら……」
なんだろう? ブツブツと言いながら、何かを考えている先輩。そして。
「安心しろ。きっと君が見たというその幽霊電車は、悪いモノじゃないはずだ」
「ええーっ、なんで!? どうしてそんな事が、先輩に分かるんですか!?」
「まあ落ち着け。君、あそこの鉄道が何て名前か、知っているかい?」
名前? そう言われても、利用したことの無い、来たばかりの土地の鉄道の名前なんて知りませんよ。
「あれはね、水間鉄道って言うんだ。で、その名前というのが、終点の駅から行ける、水間寺からきている。およそ千三百年前に開創されて、立派な観音様を祀っている、有所正しきお寺だよ」
「へえー、そんなお寺があるんですか?」
全然知らなかったなあ。そんなに立派なお寺なら、今度お祓いにでも行こうかな。なんて考えていると。
「君の話だと、幽霊を乗せた電車が向かった先に、その水間観音があるわけだ。何せ終点の駅名がそのまま、『水間観音駅』だからね。これは私の想像だけど、たぶん君が見たという幽霊達は、その観音様の所に行ったんじゃないかなあ」
うーん、もしかしたらそうかも。確かに電車が向かう先は、その水間観音駅だからねえ。
そして先輩は、さらに続ける。
「わざわざ観音様の所に行こうとしている幽霊が、悪さをするなんて思えないよ。極楽に行きたいと願いながら電車に乗って、観音様の元に行っただけなんじゃないかなあ? 君はたまたま、その姿を見てしまっただけだと思うな」
「そ、そうでしょうか?」
「たぶんね。私は長年この町に住んでいるけど、石才駅の周辺で悪い噂なんて聞かないし。姿を見られたのに危害を加えられなかったのが、その証拠だよ。もし本当に悪い霊だったら、君は今頃、出社できていないだろうからね」
先輩、さらっとそんな怖い事を言わないでください。
あ、でもちょっと待って。危害が加えられなかったって言いましたけど。
「で、でもアタシ、うなされて目を覚ましたんですよ。それはどうなるんですか?」
危害と言うにはちょっとショボいけど、汗だくになって目が覚めるのは、あまり気持ちのいい事じゃない。
だけど先輩は落ち着いた様子で返してくる。
「それなんだけどね。もしかしたらうなされた事と幽霊は、関係無いんじゃないかな? いきなり遠く離れた場所に異動になったんだもの。不安になったりストレスがたまったりして、寝つきが悪くなったって不思議じゃないよ。言っちゃ悪いけど君、慣れない事ばかりで、いっぱいいっぱいですって、顔に書いてあったからね」
「そ、そうだったんですか⁉ 私、いったいどんな顔してたんだろう?」
慌ててごしごしと顔を擦る。
余裕がなくて、不安そうにしている自分を想像すると、顔から火が出そうなくらい恥ずかしい。
「そんな気にすることは無いよ。誰だって慣れない環境になったら、ストレスくらいたまるさ。大事なのはそれを、ちゃんと発散させることだよ。どうだい、今度一緒に、飲みに行かないかい? 少しは気が楽になるかもしれないよ」
「はい……よろしくお願いします」
凛々しい顔でニコッと笑う先輩に不思議な安堵感を覚えながら、アタシは頷いた。
思えばこっちに来てから、ずっと気を張りっぱなしだった気がする。
今日は帰りにTSUTAYAにでも寄って、本でも買ってみようかな? たしかそのお隣には和菓子屋さんがあったから、そこでお饅頭も買って。
面白い本を読んで、美味しいお菓子を食べて。そうしてストレスを発散させたら、もううなされることもなくなるのかな?
それからしばらくの間は、やっぱり寝汗をかいて夜中に起きることがあったけど。次第にその回数も減ってきて、年が明ける頃には、もううなされる事もなくなった。
貝塚での生活も、だいぶ慣れてきたかな。
突然の異動でやって来た町だけど、せっかく住むんだもの。どうせなら、好きになりたいよ。
そして今でも時々、夜中に踏み切りの音や、電車の走る音が聞こえることがある。
今夜もあの電車はたくさんの幽霊達を乗せて、水間観音に行くのかな?
だけどきっとそれは、悪いものじゃないって、今なら思える。やっぱりちょっぴり怖いから、窓の外は見れないけどね。
今夜もまた、石才駅に踏み切りの音が鳴る。
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