真夜中の石才駅

 住み慣れた土地を離れて、やって来た大阪府貝塚市。

 本当に前にいた所とは全く違っていて、松源というスーパーや、キリン堂というドラッグストアを見つけては、こんなお店があるのか、なんて思ったりした。

 あ、でもTSUTAYAを見かけた時は、知ってるお店があるって、ちょっとホッとしたかな。

 本を読むのは好きだから、これからお世話になりそう。


 そんな風に町を散策したり、新しく配属されたオフィスに顔を出したりして、休む暇がほとんど無いまま、あっという間に時間だけが過ぎて行く。


 貝塚市に引っ越してきて、今日でもう三日。仕事から帰った私は、簡単に食事と入浴を済ませると、そのまますぐに床についた。

 部屋の隅には、まだ荷ほどきできていない段ボールが積まれている。本当なら、早いとこ片付けたいけど、疲れちゃったんだもん。

 それに今日は寒くて、何もする気が起きない。こんな日はもう、さっさと寝よ寝よ。


 布団の中でゴロンと横になりながら、寒さに身を震わせていると、カンカンという踏み切りの音が聞こえてくる。

 この音のせいで、最近あんまり眠れていないんだよねえ。


 だけど疲れは音に勝ったのか、だんだんと眠気が襲ってきて、意識が遠退いていく。

 寒いのも、踏み切りの音も、次第に気にならなくなっていって、私は深い眠りの中に落ちていった。


 …………どれくらい時間が経っただろう。

 猛烈な暑さと喉の乾きに襲われて、目を覚ました。


 何これ、どうなってるの?

 息苦しさを感じると同時に、寝汗でパジャマがグッショリと濡れていることに気づいた。冬だというのに、異常なくらい暑い。


 とてもこれ以上寝てられなくて布団をはぐと、途端に冷えた空気が体を襲う。だけど、暑さは引いてくれなかった。

 寒いけど暑い。そんなおかしな感覚に囚われながら、起き上がって冷蔵庫に向かう。


 ペットボトルに入っていた水を取り出して、コップに注いで一気に飲み干した。だけど一杯じゃ足りない。もう一杯。


 三杯の水をがぶ飲みしたところで、ようやく少し落ち着いてきた。

 冬だっていうのに、暑いし汗かくし、喉はカラカラだし、いったい何なの?


 とりあえず、汗をかいたパジャマを着替えようか? でもその前に、シャワーを浴びた方がいいかな? うーん、でも変に目が覚めて眠れなくなったら、明日がキツいし。そもそもいったい、今何時よ?


 布団まで戻って、枕元に置いてあったケータイの時計を見ると、時刻は二時を示していた。

 目覚ましが鳴る六時にはまだ時間はあるし、やっぱりシャワーを浴びて寝直そうかな? そう思った時……。


 カンカンカンカンカンカン――!


 突然聞こえてきた、踏み切りの音。続いて、電車がホームに入る音も聞こえてくる。

 へえー、こんな時間でも動いてるんだ。さすが大阪、夜遅くまでご苦労様。


 働いている駅員さんの姿を思い浮かべながら、サッシから外に目をやってみる。

 うーん、ここからだと、駅の様子は分からないか。


 別に確かめなくちゃいけないなんてことは無いんだけど、何となく気になっちゃって、サッシを開けて、ベランダへと出てみた。

 どれどれ、夜中の石才駅は、どんな感じかな……あれ?


 そこにあったのは、思っていたような光景じゃなかった。

 てっきり回送の電車が走っているのだと思ったけど、駅のホームには昼間と同じように、数人が列を作っていて、ホームに来ていた電車のドアが開くのを待っていたのだ。

 こんな時間なのに運行しているのか。都会ってすごいなあ。そう思っていたけど、すぐに妙なことに気がついた。


 ん、んんー?


 ゴシゴシと目をこすって、まじまじとホームを……いや、ホームに並んでいる人達を見つめる。


 何かがおかしい。並んでいるのは、私と同じくらいのOLと思しき人や、40歳くらいの中年男性。それに小学生くらいの子供もいた。

 暗くて少し見にくいけど、彼ら彼女らは皆そろって生気のない目をしている。それだけならよいのだけど、問題なのはみんな輪郭がぼやけていて、体が透けて向こう側の景色が、ぼんやりと見えていることだ。


 なっ、なっ、なっ、何これ⁉


 もちろん、普通の人間が透けて見えるなんてありえない。ホログラムでも見せられているの? 

 ううん、きっと違う。実はさっきからある考えが頭に浮かんでいるのだだけど、認めたくない。


 これは夢だ、早く目を覚まさなくちゃと思い、ブンブンと頭を振ってみたけど、一向に覚めてはくれない。

 そうしていると、ホームに並んでいた中の一人。茶色いコートを着た男性が、不意にこっちを振り向いてきた。


 ――っ⁉


 生気の無い虚ろな目が、私の目と合う。

 見ていた事が気づかれた!


 男性はゆっくりと口角を上げて、今まで表情と呼べるものなど無いかった顔が、ニタッと笑った。

 瞬間、全身にゾクゾクとした寒気が走った。


 冷たい外気のせいじゃない。これは、恐怖からくる寒気。

 彼らが何者なのか、そんなのもうとっくに分かっていた。そう、ホームに並んでいる人は皆、生きている人間じゃない。あれは、幽霊だ。


 なぜこんな所で電車を待っているの? 今から皆して、どこかに行く気なの?

 頭の中にぐるぐると疑問が渦を巻いたけど、考えたって答えは分からない。そうしている間に、機械的な音を立てて電車のドアが開き、並んでいた人達は吸い込まれるように、その中へと入って行く。


 さっき目が合った男性も、何事も無かったように私から目を逸らして、ゆっくりと車内へ姿を消していった。


 そしてホームにいた人……幽霊を全て乗せた電車はドアを閉めて、発車音を鳴らすと、ゆっくりと車体を進ませて行く。


 ガタンゴトンと音を立てて走るその姿は、まるで普通の電車のよう。

 だけど車内にいるのは、さっき見たたくさんの幽霊達。その事を考えると、走って行く電車が、とても不気味に思えてくる。


 しかしそれでも、何故だか目を逸らすことはできなくて、闇の中を進む電車を、私はじっと見送っていた……。




 ――くしゅん!


 どれくらい時間が経ったか分からなくなった頃、自分のクシャミでハッと我に返った。

 そういえば、汗で濡れたパジャマのまま、外に出ていたんだった。思い出した途端、猛烈な寒気が襲ってくる。


 もう電車はとっくに見えなくなっていたのに、ついボーッとして佇んでしまっていた。

 慌てて部屋の中に戻ると、布団にもぐりこんだ。

 本当は汗をかいたパジャマを着替えて、シャワーも浴びたかったんだけど、とてもそんな気にはなれない。さっき見た気味の悪い光景が忘れられずに、布団を頭からかぶってガタガタと震える。

 何あれ何あれ何あれ⁉ ヤバいヤバいヤバイ! 怖い怖い怖い!


 幽霊が乗る電車って、どこの怪談⁉ 何、この辺は夜になると、幽霊専用電車なんてモノが運行してるの⁉


 あんな物見ちゃったけど、呪われたりしてないよね? 

 いや、もしかすると見る前からすでに、悪いモノに取り憑かれていたのかもしれない。やたらと寝苦しかったり、冬だっていうのに異様な汗をかいて目を覚ましたりした事が、その証拠だ。

 私、このまま無事でいられるの⁉ 朝を迎える前に、あの世からお迎えが来たりしない⁉


 不安と恐怖が全身を支配する中。時間だけが過ぎて行く。

 結局それからは一睡もすることができずに、気が付けば夜が明けていたのだった。



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