泣いてもいいんだよ
玄関を開けると、車椅子に座っている心春ちゃんと、後ろ押す夕華ちゃんが立っている。
「いらっしゃい。さ、はやく入って」
私が家の中に招き入れると、夕華ちゃんが丁寧にあいさつして車椅子を押して入ってくる。私は土間に降りて、心春ちゃんを抱いて家の中へと連れて行く。
リビングに入ると、お母さんがスリッパの音をパタパタと立てやってきて、私から心春ちゃんを受けとると、何のジュースが飲みたいかを聞きながらソファーへ座らせる。
オレンジジュースの入ったコップを前にして他愛ない会話を交わした後、心春ちゃんが私にお願いがあると言ってくるので、私の部屋へ招き入れる。
ベッドに座らせると、二階に上がる際一緒に持ってきた鞄を指差して、
「このパショコン、預かって欲しいでしゅ」
そう言われたので鞄を手に取り、ファスナーを開けると中には白いノートパソコンが入っていた。
自分の日記が入っているから、もしトラくんが私を訪ねて来たら渡して欲しいとお願いされる。
後は、トラくんのことをお願いと言われ、嘉香さんに手紙を出して手術後に届くようにしたから、もしかしたら私のところにくるかもと言われる。
そのときの笑顔があまりに辛そうだったので、そっと左の頬に手を置くと、一瞬体を大きく震わせ、恐る恐る私を見てくる。
潤んだ瞳でじっと見つめてくる。私は隣に座り抱き寄せると、体が
「心春ちゃん、泣いてもいいんだよ」
腕の中で強ばっていた体を更に、硬く強ばらせる。
「キミは凄い。自分がどうなるのかも分からない状況で、トラくんのことを考えて一生懸命に頑張ってるんだもの」
キュッと私の服を右手で掴んで小さくなる心春ちゃんを抱き締めたまま、頭をゆっくり撫でる。
「でもね、もっと我儘言ってもいいんだよ。怖いって叫んでもいいんだよ。理不尽だって怒ってもいいんだよ。それは恥ずかしいことじゃないから。
キミのどんな言葉も私は受けとめるから」
胸に顔をつけ震えていた心春ちゃんが見上げたその顔は涙でぐちゃぐちゃで、唇を振るわせ泣きじゃくる。
「ひなみっ、お、おりぇ、おりぇこわい、こわいよ! 消えたくない! やだっ! もっとみんなと話して、もっと一緒にいたいでしゅ……」
「この
ひとしきり泣き叫ぶと、私にしがみつき肩を震わせ静かに泣き続ける。
ただ抱きしめることしかできない自分を歯痒く思う。受け止めるなんて言っておきながら、結局は聞いて心春ちゃんが落ち着くのを待つだけの自分。
何を言っていいのか、何を言っても気休めにもならないこの状況で、何をしてあげれるのか、その気休めの言葉すら何も思い付かない自分が凄く歯痒い。
「ありがとう……でしゅ」
胸に顔を埋めたままだからだろう。くぐもった小さな声が聞こえる。
「私は何もしてないよ」
素直に答えると心春ちゃんは埋めたまま首を振る。
「ううん、ひなみは、いっぱい助けてくりぇて、救ってくりぇて」
顔を私に向け、涙でぐしゃぐしゃなのに眩しいくらいに明るい笑顔を見せる。
「おりぇ、ひなみに出会えて良かったでしゅ。おりぇのことちゃんと見てくりぇて、考えてくりぇて本当にありがとうでしゅ」
涙が頬を伝う感覚。
「ひなみ? ひなみも泣くんでしゅね」
「私を、なんだと思ってるのよ……こんな、こんなの泣かないわけ……にいかないでしょ……」
溢れる涙を掬うが間に合わず零れていく。
昔から人前で泣くことなんてなかったのに、いつ以来だろうかこんなに心を揺さぶられたのは。
小さいころから、人を観察して何を考えているのか言い当てるのが得意だった私が、人間関係のつまらなさを感じ家族以外で唯一心を許せる楓凛とも違う、この子の存在。
解決策も、掛ける言葉も思いつかないなら、残されたのは本音そのもの。
「私、私も……私もやだ! 心春ちゃんがいなくなるなんてやだよ……」
理論的でもなんでもないただの本音をぶつける。再び目に涙をいっぱいに溜め泣き出す心春ちゃんを抱きしめ、二人で泣く。
なんの解決にもならない。なんの事態も変わらない。少し前の私ならバカな行為と嘲笑うかもしれない。
それでも今はこれでいい気がした。
しばらく二人で涙を流し続け、どれくらいの時間が経ったか分からないが、心春ちゃんが私の体を押して少し離れると、顔を向ける。
「ひなみぃ」
「なに?」
目をごしごし擦った心春ちゃんが向けた綺麗な瞳は、泣いている私を映す。
「前に楓凛しゃんから、夢を持ったらどうかって言われたんでしゅ」
私が頷くと、少し恥ずかしそうに私を見てくる。
「わたち、アンドリョイドと人の架け
照れながら語る夢は、人でもアンドロイドのどちらも理解できる存在であるこの子だからこそ言えるものだと思う。
「素敵な夢ね。それは私も手伝っていいのかな?」
「もちろんでしゅ、しょのときはお願いするでしゅ」
言葉を交わし、短い沈黙を経て二人が同時に口を緩め、笑みを浮かべる。
「そりょそりょ、戻りゃないと夕華が心配しましゅ」
左手を広げ抱っこしてくれとお願いする心春ちゃんを抱える。
「ひなみ、ありがとうでしゅ」
耳元で囁かれる。
「心春ちゃん、私待ってるから」
抱っこしていて表情は見えないけど、おそらく驚いた表情で私を見ている、そんな雰囲気を感じる。
「トラくんに生きて欲しくて願ったんでしょ。なら私は心春ちゃんに生きて欲しいって願うから」
耳元でふふっと笑う声がする。
「ひなみも願うなんて言うんでしゅね」
「今まで天に向かって願ったことなんてないんだから。一回くらいいいでしょ」
「ありがとうでしゅ。ひなみに願ってもりゃえりゅなら、希望が持てるでしゅ」
何を言っていいのか分からない私は、心春ちゃんを強く抱きしめると心春ちゃんも、ぎゅっとしがみついてくる。
* * *
店員さんが持って来てくれたときは、暖かそうな湯気を上げ香ばしい香りを放っていたコーヒーは、今は冷たく黒ずんでいる。
二つのコーヒーカップを挟んで私の話を静かに聞いていた
「ひなみちゃん、ありがとう」
そう一言発してから私に視線を向ける。
「やっと心春ちゃんの声が聞けた。良かったぁ、ちゃんと自分の言葉を言えてたのね」
嘉香さんは嬉しさと悲しさの混ざった笑みを見せる。
「心春ちゃんのこと受け止めてくれてありがとう」
「私はなにも出来てません」
否定する私に、嘉香さんは首を横に振る。
「ううん、あなたがいてくれて良かった。あの子のそばにいて、支えになってくれて本当にありがとう」
ついさっきまで心春ちゃんのことを話していたせいもあり、嘉香さんの言葉に涙が出そうになるのを堪え、私は言う。
「私はこれからも心春ちゃんのそばにいますよ。祈りでもなんでもしてあの子を起こすつもりです。どれだけ時間がかかっても起こしますよ」
「そうね。あの子を起こさないと」
私の言葉に対し、嘉香さんが見せた笑みはさっきよりも力強かった。
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次回
『進路希望』
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