第158話 将来を誓って

 トラはアパートの扉を開け、廊下を歩いてリビングのソファーに倒れ込む。


「お疲れさま、だいぶ参ってるじゃん研修医!」


 彩葉がやってきて、ソファーに座るとトラの頭をポンと叩く。


「うぅ、もうすぐ、もうすぐ研修期間も終わるぅ。それまで、頑張るぅ」


 ソファーに顔を埋めたまま答えるトラの頭を撫でていると、伏せていたトラがくるっと回転し、両手を広げる。


「なによ、そのポーズは」


「彩葉を抱きしめたい!」


「お断りっ!」


「えぇ~」


 断られしょんぼりするトラを見て彩葉はおかしそうに笑う。


「あのさ……」


 何か言いかけて口ごもるトラを彩葉は見つめる。


「あ、やっぱいい。今度の休みどこ行かない? 山とかいいと思うんだけど」


 話を変えるトラを見て、黙っていた彩葉がおかしそうに笑う。その姿を見てトラは何がおかしいのか分からず困惑した表情を見せる。


「言いたいことあるなら言えばいいのに。初めて会ったころとか、恥ずかしいことをどこでも構わず叫んでたじゃん」


「うぅ、ま、まあそうなんだけど。あれは思ったことをすぐに口に出してしまうっていうか……」


「躊躇するのは成長ってことにしておいてあげよう。で、今でも可愛い! とか人前ではよく言うトラさんが、話すのを躊躇する内容とはなんでしょう?」


 トラはソファーに寝転がってゴロゴロしながら天井を見つめていたが、思い立ったのか素早く起き上がり彩葉の隣に座る。


「こういうのって場所とか、雰囲気とか凄く大事だって思うんだけど……」


「むぅ、煮え切らないなぁ。とりあえず言ってみてよ」


「え~、う~ん。じゃあ、じゃあ言うよ」


 コホンと咳ばらいをし、神妙な面持ちでトラは彩葉を見てゆっくりと口を開く。


「研修医の期間も終わるし、整形外科に入局することも決めたし、将来への道も固まってきたところなんだよね。だからそろそろ彩葉と結婚を考えようかなって」


 そこまで言って、彩葉の反応を見る為に言葉を切ったトラと、黙って聞いていた彩葉が見つめ合う。


 僅かに続いた沈黙の後、彩葉が口を開く。


「それを言うなら、時と場所や雰囲気が大事じゃん」


「ええっ!? 僕大事だって言ったよね!」


「ごめんごめん、嬉しかったからついね」


「もぉ~彩葉は、そうやってすぐ人をからかうんだから。よくないと思うなそれ」


 頬を膨らませ怒る、トラの腕にしがみつき謝る彩葉だが、ふと真面目な顔でトラを見る。


「前もさ、そういう話になりかけたじゃん。でも、良いの? 心春が起きてからでもいいのに」


 彩葉の問いにトラは首を横に振る。


「前に結婚の話が出たときは、研修期間が終わるくらいに考えようって結論に至ったでしょ。もちろん心春が起きるのは信じて待ってる。でも心春が起きるというのと、彩葉と結婚するってのは別だと思うんだ。

 ボクにとって彩葉は大切な人だから将来を考えるのは当然だと思うんだけど」


 真っ直ぐ隣にいる彩葉を見つめる。見つめ返す彩葉だったが、視線を逸らすと赤く染めた頬を押え悶える。


「あぁもう~、いつになっても慣れないなぁ。そうストレートに来られると反応できないんだけど」


「で、彩葉はどう……かな?」


 さっきの勢いとは打って変わって、トラは探るように聞いてくる。


「さっき言いかけたこと、山がどうとか……なんかあるんでしょ。今のは私も悪かったし、そこでもう一回聞きたいな」


「さすが、彩葉。気が付くとは……」


 苦笑いで答えるトラに、彩葉はちょっぴり得意げに笑う。


「その日まで楽しみにしてる。でね、私から一つお願い」


 首を傾げるトラに彩葉は言葉を続ける。


「『結婚しよう』じゃない言葉がいいな」


 トラは傾げていた首を更に角度を増して傾げる。


「あのときと違って私はちゃんと答えるから」


 彩葉はそう言ってトラを引き寄せると、唇を重ねる。


「じゃあ、その日を目指し、明日からもお互い頑張ろうっか!」


「うん、頑張れる」


 ニシシと笑う彩葉の顔を見て、トラは自分の唇に触れ頷く。



 * * *



 寒い冬の夜の空は空気まで凍っているようで、どこまでも澄み渡る。人の光も少ない山の空を星が美しく彩る。


 その瞬く光を弾くように、夜空いっぱいに咲く火の花。


 澄んだ空気は音を阻むものもなく、遠くまで音は響き渡る。やがて山にぶつかった音が返ってきて反響し、独特の余韻を生み出す。


 息も凍りそうな寒い空の下で寄り添うトラと彩葉は、夜空に咲き誇る花火を見上げる。


「冬の花火って初めて見た」


「うん、ボクも」


 二人はそれだけ言葉を交わすと、しばらく連続で咲き乱れる花火の色に照らされ続ける。


「また、見てる。そこは昔から変わんないし」


「う、うん。ちょっとタイミング図ってた」


「それ言っちゃうんだ。じゃあ教えてあげよう。今でいいと思う」


 少し照れくさそうに言う彩葉の言葉を受け、トラはコートのポケットからリングケースを取り出し開けダイヤの指輪を見せる。

 緊張しているのか、少し震える唇を噛みしめトラは白い息を吐きながら言葉を紡ぐ。


「彩葉、ボクと家族になってずっと一緒にいてほしい」


 トラは彩葉を見つめる。


「うん、喜んで!」


 恥ずかしがりながらも、嬉しそうにハッキリと答える彩葉もトラを見つめる。見つめ合う二人を艶やかに照らす花火の光が祝福する中、二人は将来を誓う。



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 次回


『その子は春のように温かな心を持っているわけで』

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