第148話 心春に渡されたものをキミに

 休日、図書館でテストに向けてトラと彩葉は勉強している。

 トラも彩葉も紙の本が好きなのもあり、行くことが多い場所である。


 お互い黙々とそれぞれの勉強に勤しむ。


 ふと手を止めた彩葉が、数学の参考書を見ながら必死に問題を解くトラをチラッと見て、自分のノートに視線を移す。


「なんか良いことあった?」


 囁く声だったが、突然声を掛けられ心臓が飛び跳ねる彩葉だが、叫ぶ寸前でここが図書館だということ思い出し踏みとどまる。


「な、なんでです?」


 彩葉は小声で返す。


「だって下向いて笑ってたし」


「わ、笑ってた? 私、笑ってました?」


「うん、なんだかニヤケてたから良いことあったのかなって思ったんだけど」


 自分がニヤケてたかと言えば、ニヤケていたかもしれない。トラの顔を見て思ってたことを再び思い出し、自分の顔が熱くなるのを頬をペチペチと叩いて押さえる。


「なんでもないですっ。それより心春のこと、葵さんが来て進展はないみたいだけど、何にも聞いてないんです?」


 無理矢理話題を変えようと強引に別の話を振るが、トラはちゃんと話題を乗り換えてくれ大きく頷く。


「はやる気持ちって言うのかな。そう言うのが一番ダメなんだって。

 失敗を恐れるのに、気持ちだけ急いて何も前に進めなくなるって言われたよ。


 葵さんにとって失敗は成功の元って言うのは、失敗した原因を突き詰め理解したら、その失敗はもうしないから、それは間違いなく成功に近付いる証拠だって。だから時間はかかるけど必ず起こしてみせるって。

 それに心春に対して変に情のない自分がやるの急く気持ちもないから、ボクらは我慢強く待てって」


 トラが大きくため息をつく。


「意味は分かるんだ。納得もできる。でもボクはそれで良いのかなって思うんだ」


「自分が心春に関われないこと……とか?」


 彩葉の言葉にトラが大きく頷くとフフッと彩葉が笑う。トラは目を丸くして、なんで笑われた分からないと言った感じで不思議そうに見つめている。


「今のはちょっとおかしかった……あ、トラ先輩がじゃないですよ。心春の言ってたこと全然違うからおかしかったんです」


 首を傾げ益々分からないといった顔をするトラを見て可笑しそうに笑う彩葉が、笑わないようにするためかゆっくり話始める。


「前に私のところに心春が来て、トリャをお願いでしゅって言ったわけです」


 一旦間を置いて、彩葉がトラが頷くのを見て話を再開する。


「もし自分がいなくなったとき、トリャがどうしていいか途方に暮れていたら助けてほしいって。蹴ってもいいから目を覚ましてやれって。

 でも、ウジウジしてどうしようもないと判断すれば、私の人生の為に見捨ててもいいってことを言ったんですけどね」


 彩葉がフフッと笑ってトラをまっすぐ見つめる。


「心春の心配してたトリャはいなくて、ちゃんと前を見てるんだなって、あの子も意外に心配性だなって思ったんです」




「正直どうしていいかは分からないよ。考えるとすごく不安だし、気が焦るもの。

 多分、葵さんがいなくて、みんなが心春に会いに来てくれる今の現状がなければ落ち込んでると思うよ」


「そうですかね? 私は大丈夫だって思いますけど」


 少し間が空いて二人の目が合わと同時に微笑む。

 だがすぐにトラが真顔になり、神妙な面持ちで前のめりになると、この流れが分からず戸惑う彩葉は取りあえず身構える。


「ねぇ、さっきボクのことトリャって呼んだよね」


「え、ええまあ。心春のことが言ってたことをそのままって感じで……」


 それなりにトラと付き合いがある彩葉だからこそ嫌な予感を感じ、椅子から落ちそうなくらい後ろに下がる。


「彩葉にトリャって呼ばれて、ドキッとした。今後その呼び方でお願いしたいんだけど。だめ?」


「何を言い出すかと思えば……嫌ですよ、恥ずかしい……。それに舌足らずな感じで名前を呼ぶ彼女とか、イタイ感じがするし……」


「じゃあ、トラでいい!」


 頬を朱に染めぶつぶつと言う彩葉だが、畳み掛けるように攻めてくるトラにタジタジになり、ポツリと、


「ト、トラ……」


 名前を呼んだだけなのに、ここに至るまでの過程が恥ずかしくさせているのだと、彩葉本人の真っ赤な顔が物語っている。

 対するトラは、拳を握り彩葉の言葉を噛み締め、更に前のめりなる。


「心春にね、ボクの幸せな姿を見たいって言われたんだ。何が出来るか分からないけど、やれることをやってみるよ。

 だからまずはボクにとって大切な人から幸せにするよ!」


 彩葉は手を握られ真っ直ぐな目で幸せを誓われ、顔真っ赤でフラフラと頭を揺らすことしかできない。


「あのさ、そろそろ喋ってもいい?」


 突然の真横から声を掛けられ、飛び上がらんばかりの勢いで二人は椅子ごと後ろに下がる。

 トラは単純にビックリしただけ。彩葉の方が、より遠くに下がったのは恥ずかしさもプラスされた結果だったのかもしれない。


 ひなみが頬杖をつき、白けた目で驚く二人を見ている。


「い、いつからそこに!?」


「ん? さっきからずっと。『なんか良いことあった?』から『私、笑ってました?』からかな~」


 彩葉の問いに、答える白けた目のひなみの内容から最初からいたこと、会話を聞かれていたことに彩葉は恥ずかしさから、両頬を押さえ頭を振りながら悶絶する。


「ひなみさん、何か用事があるんじゃないですか?」


 彩葉との会話の内容に自信を持ち、なんら恥ずかしくないトラは普通に訪ねる。


「ん、これをキミに渡そうかなって」


 ひなみが机の下に置いてあった大きい鞄をトラに差し出す。


「これは?」


 訪ねるトラに、ひなみが開けてみてと鞄を指差す。トラは頷きファスナーを開けると中から白いノートパソコンが姿を現す。


「これ、心春の!?」


「そっ、心春ちゃんから預かってたんだけど、私が持ってても意味ないしさ。キミに渡そう。じゃっ、公衆の面前でイチャイチャするのは程々にね。彩葉ちゃん、お幸せにねっ!」


 ひなみは彩葉の肩をポンと叩いて、ウインクすると部屋から出ていく。


「ぐぬぬぬぅ~」


 顔を赤くし唸る彩葉とパソコンを大切に持つトラはひなみを見送る。



 * * *



 ひなみは心春のサラサラの髪をそっと撫で、まぶたを瞑ったままの心春の額にそっと触れると、ゆっくり話し掛ける。


「私たちが思ってたよりトラくんは強いと思うんだよね。結局杞憂きゆうだったんじゃないかな?

 トラくんが悩みだすまで引っ張っても仕方ないでしょうよ。心春ちゃんの予定とは違うけど、パソコンは渡したからね。そっちの方がきっといい方向に向くはず」


 心春の額に自分の額を重ねるひなみは囁く。


「キミが心配していたトラくんは、人としてちゃんとやっていけるよ。まだ不安なところはあるけど彼なりに前に進めてる」


 額を重ねたまま深く息を吐く。


「ねえ、キミはどこにいるの? そこは帰れないくらい遠い?

 キミはトラくんを生み出した責任があるって言ってたけど、もっと自分の幸せを願っても良かったんだよ……。私はね、キミがいないとさみ……」


 廊下の足音に顔を上げると目を擦り、心春の額をポンっと叩くと同時にドアが開き、葵が顔を覗かせる。


「あれ? もう帰るんですか? もう少しゆっくりしてっていいんですよ」


「ちょっと報告に来ただけですからね、もう帰ります」


 コーヒーカップを手にした葵に手を振るひなみは颯爽と出ていく。


「あなたのマスターはいつも元気な人ですね。さて、今日もお仕事しますかね」


 葵は心春に話し掛け、コーヒーを啜るとパソコンを睨み仕事を始める。



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 次回


『言葉を探して』

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