第145話 お引越し
葵の『眠れる幼女に最適な環境を!』発言から一週間。
その間葵は何度も来ては心春の状態を見て、母の
葵が家にいることに違和感がなくなってきたころ、リビングのソファーに座るトラと夕華の前に滑り込んできた葵が胸を張って宣言する。
「心春ちゃんに最適な環境を用意できました!」
どや顔の葵に取りあえずまばらな拍手をトラと夕華が送る。
「というわけで、今日お引越しします!」
「え、お引越し? ってそれはどういう意味ですか?」
「お引越しはそのまんまですよ。心春ちゃんは新しい家で快適な睡眠をしてもらいつつ、目覚める方法を模索します!」
お引越しの言葉に動揺するトラは置いてきぼりにされ、葵は熱く語り始める。
「葵さん、お姉ちゃんが引っ越すってどこへ行くんですか? あんまり遠くは嫌です」
ソファーから立ち上がって心配そうに葵の服を引っ張っる夕華に、葵がしゃがんで夕華の頭に手を置きニヘラと緩い笑みを浮かべる。
「夕華、そこは問題ありません。なぜならば!」
自信満々に拳をグッと握ると、勢いよく立ち上がり夕華の手を取り、トラに手招きをする。
葵に引っ張られる形で付いていくと、玄関を出て右斜めを指差す。
葵の指先をたどると道路を挟んで小さな平屋がある。
「あれ? あんな家ありました?」
トラが首を傾げると、これでもかと胸を張って自慢気に葵は語り始める。
「ふふ~ん、あそこに元々あったプレハブの倉庫を買い取って家を建てちゃいました」
「そういえば、工事していたような……ってうわっ!」
新しい家を見てここ最近のことを思い出すトラの腕を葵は掴んで引っ張っていく。
「家の中を案内します。夕華も行きますよ!」
鼻息荒く二人を強引に家の中に引きずり込む。中は最低限の台所と客間、風呂とトイレ以外は大きなベッドと様々な機械が並ぶ。
「どうです! これだけの設備、中々ありませんよ! これで心春ちゃんを二十四時間監視して目覚める糸口をつかんでやります。もちろん私がここに滞在しますから安心してください!」
驚いて何から聞けばいいのか分からないトラより先に葵が答える。
「ちゃんとお母様からの許可をもらってますよ。大事な娘をよろしくと任されていますから!」
「え、ええ」
トラが歯切れの悪い返事をすると、葵はポンッと手を叩く。
「もしかして費用とか考えてます? 全て無料ですからそこは御安心を!
兼ねてから心春ちゃんの補修失敗をどのような形で保証するか社長の方でも悩んでいたみたいですからね、これはその一部だと思ってください」
葵は弾みがついたのか勢いよく話を始める。
「今回の件で保証をと御社から色々提案してきましたが、所有者であるひなみ様とお母様は全部突っぱねてこられました。
代替えなんて意味もないし、お金を積まれてもと。
元々保証制度はありますが、あくまでもの物として相場を踏まえた価値。強い愛情を持ったアンドロイドに対しての保険の在り方も考えさせる出来事でした」
「葵さん! お姉ちゃんは目が覚める可能性はあるのですか?」
話を遮り不安と期待の混じった目をする夕華が葵の袖を引っ張る。
そんな夕華の目を見て、話を中断した葵は夕華に頭を撫でると、
「私は絶対という言葉は嫌いですから絶対に目覚めるとは言いません。でも、可能性が無いというのはもっと嫌いです」
夕華を撫でていた手を自分の胸にドンと置く。
「どんなに時間が掛かろうと目覚める方法を探して見せます! 分からなら分かるようにして、今は『ない』根拠を『ある』に近づけるのが私です」
葵の言葉に大きく頷いたトラは、部屋を見渡す。
真新しいベッドを中心に物々しい機械が並ぶ。
「根拠はない……それをあるに近づけるか」
葵の言葉を自分の口で呟いてもう一度頷く。
「葵さん、心春のことをお願いしてもいいいですか?」
「ええ、もちろん。私にお任せください」
トラのお願いに葵は笑顔で答える。
* * *
まだ部屋の準備がある葵を置いて、二人は自分たちの家に戻るために外へ出る。少し希望の光を目に宿したトラの歩みは軽い。その背中を見つめながらついて行く夕華が歩みを止める。
足音が聞こえないことに気付いたトラが後ろを振り返ると、真っすぐトラを見る夕華がが立っていた。
「どうしたの?」
「お兄ちゃんは、こはりゅお姉ちゃんが元に戻ると信じていますか?」
トラは、夕華の真剣な目に思わず唾を飲み込んでしまう。
「ボクだけじゃどうしようもないと思ってた。どうしていいか分からなかった。でも今少しだけ希望が見えた気がした。
それは心春が目覚める確信になる根拠がなかったから。ならその根拠を作ればいいって葵さんの言葉を聞いてそう思ったんだ」
トラと夕華の間に沈黙が流れる。だがそれも僅か、
「こはりゅお姉ちゃんは、魂はデータではない。例え記憶を復元して動かしてもそれは自分じゃないかもしれないと言っていました。
葵さんは優秀な方です。きっとお姉ちゃんを起こすことができると私は思います。でもそれは本当にこはりゅお姉ちゃんなのでしょうか?」
夕華の言葉を聞いてトラは気が付く。心春が起きなくなった日、自分たちがどうしたら起きるかを考える中、一言も心春に起きて欲しいと言わなかった夕華の気持ちに。
「夕華は不安なんだね? 起きても心春じゃないかもしれないことが」
こくりと頷く夕華にトラは優しく微笑む。
「前に
「そんなの根拠も何もないです」
「そうだよ根拠なんてないんだよ。もしかしたら的外れなこと言ってるかもしれない。全然違うかもしれない。
でもそれは違うと分かってからまた考えるよ。今は心春がここに在りたいと願ってると信じて、ボクにできることをやろうって思うんだ」
夕華の瞳孔が大きく開く。
「夕華がここにいて、その夕華の生みの親の葵さんと出会えたのだって、ただの偶然じゃないと思うんだ。
勝手な解釈かもしれない、気休めかもしれない、結果はダメかもしれない。それでもやってみようって思ったんだ。
……さっきからだけどね」
バツが悪そうに頭を掻きながら笑うトラを、キョトンとした目で見ていた夕華が笑う。
顔を上げた夕華がトラに近付くと手を伸ばす。
最初は手を繋ぐのかと思ったトラが手を伸ばすが、夕華の握られた拳を見て、伸ばした手を開くと手のひらに夕華の手が置かれる。
「本当はお兄ちゃんが、落ち込んでどうしようもなくなったときに渡してくれと言われました。
でも、なんとなく今渡した方が良いと思いました」
夕華の小さな手が離れ、トラは自分の手に残されたものを見る。
「USBメモリ?」
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次回
『カギを渡されて』
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