11月 ~生きていくこと~

第140話 大きく変わる日常

 トラはベッドに眠る心春の頭を撫でる。


「行ってきます」


 心春に挨拶し部屋を出て玄関に向かうと、夕華が待っていた。

 ダボッとした黒のワンピースにはフリルがあしらわれ、頭の右に黒の小さなリボンの下にちょっぴり不機嫌なネコの髪留めがいて、リボン付きネコになっている。


「トリャお兄ちゃん行きますよ」


「うん」


 トラと夕華は学校へ向かって歩き始める。ぼんやり歩くトラの横で、夕華が話し掛けているが上の空で聞いていないのは誰から見ても明らか。

 夕華はトラの足を手のひらでパンパンと叩くと


「トリャお兄ちゃん聞いていますか? 今日は進路希望の紙を提出する日です。ちゃんと書いてきましたか?」


「う、うん。まあ……」


「トリャお兄ちゃん返事に切れがないです、ちゃんと書いたんですか!」


 歯切れの悪い返事をするトラを夕華は怒りながら二人は学校へ向かって歩く。その道すがら、学校へ向かう人の流れに流されず一人立ってる少女はトラを見つけると、一瞬目を大きく開くが、すぐにうつむいてしまう。


「おはよう彩葉、通学路違うのになんでここに?」


「おはよう……ございます。なんでって……まあ、なんとなく……です」


「そっか……一緒に行こう」


 頷いた彩葉はトラ、夕華の隣に並び三人で歩き始める。

 互いが黙って歩く。朝の通勤、通学の喧騒の中、視線を地面に落とし静かに歩く三人は少し浮いて見える。


 そのまま学校に着いて上履きに履き替え、彩葉と別れたトラと夕華は自分たちの教室へ向かう。

 教室に入ると一瞬視線が集まるが、トラと夕華の姿を見て集まった視線は逃げるように散っていく。


「おはよう、夕華」


「お、おはようございます、來実さま」


 來実がすれ違いざまにポンと夕華の頭を叩き、自分の席に座る。頭を抑え、慌てて挨拶を返す夕華を見て、來実は言葉の代わりに微笑んで返すと鞄から教科書などを取り出し授業の準備を始める。


 その後に教室に入ってきた珠理亜は、トラたちを見ると一瞬目を反らすが軽く会釈する。後ろにいるきな子さんが深々とお辞儀をする。

 トラと夕華も会釈をしてそのまま席へつく。


 誰もが何か言いたげにしつつも、言葉を口に出すことを躊躇ためらう。そんな空気を感じつつも、生徒たちに問い掛けなければいけない先生の心境を察する余裕は今の生徒たちにないのかもしれない。


「副委員長を決めたいと思うんだが……」


 朝のホームルームで担任の寺尾先生が放った一言で、教室の重い空気が更に重くなる。中には先生に対するデリカシーのなさを非難するような目をする子もいる。もちろん先生にそのような意図はないのだが。


「私がやります」


 大きく手を上げる來実の姿に教室全体が安堵のため息をつき、空気が軽くなる。一番救われたのは寺尾先生だろうが。


 数週間前、文化祭で盛り上がって誰しもが、叫んで、泣いて、演奏した女の子のことで持ちきりだったのに今はその名前を出すことがはばかれる。


 静かな教室でしくしくと行われる授業はあっという間に放課後を迎える。


 放課後になると部活に行く者、帰路に着く者などに別れバラバラに去っていく。トラと夕華もその流れに沿って学校の外へ出る。


 帰り道は二人。


 朝と同じく黙って帰る二人。


 そして朝と同じく道すがら待っている彩葉。


 彩葉を見て微笑み掛けるトラだが、どこか儚げな笑みに彩葉は視線を下に落としてしまうが、すぐに顔を上げると微笑み返す。


「家まで送るよ」


 そう言って歩き始めるトラだがすぐに歩みを止める。正確には進めなかった。


 トラの制服の裾を掴み引き留める彩葉の手にトラは触れようとするが、その手が震えていることに躊躇い手を止める。


「手術をする前、心春が私のところへきました」


 彩葉の言葉にトラは目を見開き、夕華は視線を逸らす。


「心春が私にトラ先輩のことをよろしくって。自分が動かなくなったとき、あいつは自分を責めてふさぎ込むだろうから元気づけてやってくれって言われました」


 下を向いたまま彩葉は話続ける。


「心春は手術が失敗するからって言うんです。なんで分かるのかって聞いたら……多分もう死んでるからって……奇跡的に動けてるだけだって。あんまり時間がないから押しつけになるかもしれないけどよろしくって……」


 彩葉は黙って聞いているトラの制服の袖を引っ張ったまま、地面を涙で濡らし始める。


「彩葉お姉さん、最後が抜けています」


 夕華の言葉に、彩葉はビクッと体を震わせる。


「お姉ちゃんは、トラお兄ちゃんを彩葉お姉さんに頼むと言った後、もし元気づけてダメだと思ったら愛想つかしてもいいと。

 あいつが腑抜けで足を引っ張るなら捨ててしまえと。そこまで言ってダメなら別れるぞと、彩葉お姉さんには自分の人生があるんだから自分を第一に考えろって言いました。今のトラお兄ちゃんにはそれを言った方が良いと思います」


「夕華、あんた言い方! 確かに心春は私の人生を大切にしろって言ったけど、それは最終的にそういう方法もあるってことで今すぐ言えってことじゃないでしょ! トラ先輩が今悲しんでるのは当然なの! あんたはどうなの! 割り切ってるとでもいうつもり!」


 淡々と話す夕華に対し彩葉は涙を溜めた目で睨むと、夕華も負けじと睨み返す。


「私はお姉ちゃんに、自分がいなくなることを気にしてはいけないと言われました。そして自分の好きなことをするように言われました。後はお母さんやひなみさま、珠理亜お嬢様を頼れと言われています」


「じゃあなんで、夕華はトラ先輩の世話焼いてるの。朝も心春みたいに怒ってさ! それはやれって言われたの!」


「わ、私は好きなようにやるって、だから、お姉ちゃんがいないから。お兄ちゃんをしっかりさせる人が必要だからです!」


「落ちついて二人とも!!」


 トラが彩葉と夕華の間に割って入り必死に二人を止めようとする。それでも止まらない二人はトラを挟んで言い合いを続ける。


「私に何をしろっていうんです! 私はお姉ちゃんを真似する目的で作られたんですよ。いなくなった今何をしろっていうんですか!!」


「だからそれを考えるの! そもそもあんた一人で考えろって言われたないでしょ! 頼れてって言われたって自分で言ってるじゃない!!」


 背中で彩葉を押え、両手で夕華の肩を押え宥めるトラ。


「トラお兄ちゃんは、彩葉お姉さんがいます。私にはお姉ちゃんがいないと……やっぱりいないと、存在価値が……」


 夕華が泣きそうな顔を見せると走り去ってしまう。


「夕華!!」


 トラの呼び止める声が日の傾き始めた夕焼け空に響く。



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 次回


『夕華の反抗』

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