第141話 夕華の反抗

 こはりゅお姉ちゃんは、自分の好きなように生きる。私なりの付加価値を見出だせば、それは私としての存在が認められたことになる。


 だから、料理や洗濯から勉強に楽器、運動はダメだったけど色々試し自分を確立しようとした。

 それなりに成果を出して、付加価値を見出だしても……それは結局……


「お姉ちゃんと一緒じゃないとだめなんです」


 夕華は河辺にある小さな公園のベンチに座り下を向いたまま呟く。

 心春を模倣し、アンドロイドの発展の可能性を探るため作られた存在。心春はそんな自分に対し妹であり、夕華であることを求めた。

 作られたときに与えられた使命は、心春に近づくことだったのに今はそれよりも大切なことがある。それを理解していても、もう一人の自分が否定してくる。そして囁く。


 ──心春になり切れない自分に価値はない。


 ──そして心春のいない今、自分が心春になれることはない。


 痛い、胸の奥が痛い。


 信号として感知できない痛み。ログにも残らない、不具合でもないそれに不安が募る。

 自分の両手で自分を抱きしめ、震える必要などないのに震えてしまいそうな自分を押さえつける。


 ここ最近続いた晴れの日は、秋から冬へ向けて枯れ始めていた草の潤いを急速に奪い、踏み締める足音を明確に夕華の耳へ届けてくれる。


 ゆっくり顔を上げる夕華の前にいる中年の男は、自らを抱きしめ震え不安げな瞳で自分を見ている夕華の姿を分厚いメガネに映すと、右の口角を上げ満足そうな笑みを浮かべる。


 背が高く痩せた体には大きく、年期の入ったヨレヨレのスーツに、お世辞にも清潔感のあるとは言えない長髪を後ろで束ねる男を見て夕華は名前を口にする。


井藤いとう主任……」


 井藤 聡一そういち、AMEMIYAの研究開発者。夕華プロジェクトの総合責任者の彼が目の前にいること。そのことを悟った夕華の表情を見て、井藤は上げていた口角を更に上げる。


「帰ろうか、夕華」


 差し伸べられる手に首を振りながら嫌がる夕華は上擦った声で訴える。


「い、いやです。私は帰りたくありません……」


 アンドロイドが否定すること、それが人類にとって新たなパートナーの誕生なのか、脅威となるかは分からないが、大きな一歩であることは間違いない。


「夕華、心春が動かない今、君の実験は継続できないだろ?

 一旦研究施設へ帰ってオーバーホールしよう。感情の変化の分岐、思考の多様化。何が影響したのかログやらを確認したいからね。そこから今後の計画を立てようじゃないか」


 アンドロイドに対して修理、メンテなどの実行を面と向かって言うのは至って普通のこと、だが今の夕華には自分の思考を晒され読まれることがとても怖いことに感じた。今まで自分が感じ、考えたもの、それらを築き上げてきた大切な何かをけがされ壊されてしまうそんな気がした。


 そう思ったら体は自然と井藤から離れて、逃げようとベンチから立って走り出すが、何かにぶつかり掴まれて逃走劇は一瞬で終わってしまう。


 夕華の両肩を掴むスーツ姿の茶髪の女性を見上げた夕華の顔に絶望の色が浮かぶ。女性は眠そうな三白眼で夕華を見つめるその姿はどことなく夕華に似た雰囲気を持つ。


あおいくん、助かったよ。まさか逃げ出そうとするなんて思っていなかったからね。

 でもこりゃぁ思った以上の収穫だ! 葵くんの組んだ人格プログラムは素晴らしいねぇ。表彰ものだねこ・れ・は!」


 テンションが高くなったのか滑舌よく早口で喋り始める井藤の姿を、葵に捕まれただ眺める夕華は力なく項垂れる。

 下を向き小さな声で「お姉ちゃん」と呟く夕華の表情を見て、葵と呼ばれた女性はいたたまれないといった表情を見せる。

 だが、そんな空気を読む余裕のないほど興奮しているのか、はたまた端から読む人ではないのか定かではないが井藤は、夕華に近づくと力なく項垂れる手を掴む。


「さあ、帰ろう。夕華がいかに優れているか、心春というどこぞの高校生の作った劣悪品より世間に見せてやらないと」


 夕華の力なく項垂れていた手に力が入り掴む井藤の腕が振り払われ、井藤と葵が驚きの表情で見る夕華の目は怒りに満ちている。


「お姉ちゃんは劣悪品なんかではありません! その言葉を取り消してください!」


 井藤は怒りに震える夕華に、驚きも混ぜつつ歓喜に満ちた至福の笑みで喜びを爆発させる。


「これは凄い! 葵くんも見ただろ! 夕華が怒って反抗したよ!! これは益々、思考データーの抽出が楽しみだねぇ」


 高笑いでもしそうな井藤に向かって、夕華は声を荒げる。


「お姉ちゃんはとても優しくて、みんなのことを考えて支えれる強い人なんです! 井藤主任! 先ほどの言葉を取り消してください!」


 必死に訴える夕華を嬉しそうな笑みで見る井藤は、涙こそ出ていないが必死に訴える女の子とそれをせせら笑う中年の男という構図は異様さを醸し出していることに気が付かない。


「劣悪品だろ? 聞いたよ修理する前にダウンしたってね。部品を総入れ替えしても復旧しなかったんだろ?

 思考パターンのプログラムの復元も試みたけど失敗したらしいし、これを劣悪と言わずして何を言うのかね?」


 夕華を怒らせる為の挑発だが、それに乗ってしまうのが悪手あくしゅであることが分からないほど夕華は冷静ではなく、葵が押えていなかったら飛び掛からんほどの憤りを見せる。


「主任、さすがにそれは言い過ぎかと。夕華の大切にしてきたものを貶すのはどうかと思います」


 夕華を掴み押さえる葵が初めて言葉を発し、その指摘に井藤も思うところがあったのか一瞬黙るが、それでも研究欲の方が強く出るのは彼の欠点であり、美点であると言える。


「心春の製作者の顔を見てみたいものだね。聞いた話によると心春は人の言うことを聞かないし、わがままばかりで、口も悪いらしいじゃないか。さぞかし自分勝手で傲慢な製作者なのだろうねぇ」


「あなたが……あなたが何を知っているって言うんですか……」


 下を向いて体を震わせ怒りに満ちた声色で呟く夕華を満足そうに見る井藤。

 そんな二人を困惑した表情で葵は見ているだけだが、肩を押さえつけている手だけは離さないように必死に掴んでいる。


 夕華が葵に肩を押さえられたまま、顔を上げ前のめりになり井藤を睨む。その視線を嬉しそうに井藤は受け止める。


「夕華!」


 怒りに満ちた瞳が自分の名前を呼んだ主を映し穏やかさを取り戻す。


「お兄ちゃん……」


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 次回


『見たことない彼女に憧れて』

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