第82話 お祭りは朝から楽しいわけで

 海から帰ってきた俺にトラが話かけてくる。


「話したいことがあります」


「なんでしゅ?」


 素っ気なく答えた俺だが、いつになく真面目な感じにちょっと、ドキドキしている。


「今日、楓凛さんに、好きだと言われました。ボクは答えは待ってほしいと伝え、楓凛さんは待つと答えてくれました」


「それでどうしたでしゅ?」


「マスターはボクに答えを出すように言っています。でもその後、誰かの気持ちに応えたボクはどうすればいいのです? 答えを出して終わりじゃないですよね。それって、その人を傷つけることに、ならないのかなって思うんです」


 これはトラのいう通り、そう告白されて、付き合ってめでたし、めでたしで終わらないのが人生。


「そりぇは、わたちが悪かったでしゅ。気持ちに応えるという、変な区切りをちゅけて、困らせてしまったでしゅ」


 俺が頭を下げると、慌てたトラが頭を起こしにくる。その腕を握るとビクッと体を大きく震わせ驚かれる。


「トリャが出した答えを受けて、わたちも一緒に考えるでしゅ。お前の成長の為だって、突き放し過ぎたでしゅ。

 これは、わたちのことでもあるんでしゅ、誰かをしゅきになって、ちゅきあって、ゆくゆくは結婚までを考えるでしゅ」


「け、結婚!? いやそれはおかしくないですか? だってマスターとボクはいずれ元に戻るわけで……」


「元にもどりゅ……しょの方法を探すのも大事でしゅが、今は目の前のことをしっかりやるでしゅ! 将来まで見据えてやれってことでしゅ。いいでしゅね!」


 トラの言葉を遮り、ちょっと強目に念を押したら、トラは黙って頷くが、腑に落ちない、そんな顔をしている。


 少し気まずい空気が流れる中、そんな空気を破ってくれるのは、着信音が流れ始めるトラのスマホ。慌ててトラが取ると、相手と話し始める。

 誰との会話か聞き耳を立てるまでもない、彩葉の声が「トラ先輩! 一緒にお祭りに行きませんか!」と俺の耳にまで元気に響く。



 * * *



 祭りの日、祭りに行かない母さんの方が、そわそわしている。祭りに行くと決まったことを告げたときから、俺の浴衣を選ぶのに本気になっていた。


 久しぶりに2人で出掛け、選んだ浴衣は紫ベースの生地に、紫と白の紫陽花が咲く。


 何を着ても俺は可愛いわけである。


 くるくる360度回され、母さんから写真を撮られる俺。大分撮られ慣れてきたのだが、新たに困った問題が出てきた。


「心春ちゃん、ちょっと左に視線が欲しいな。そそ、あ~、いいねぇー。よし次、上目遣いで微笑んじゃおうっか」


 ポージングの要求である。


 トラが家族でありたいと訴え、俺は母さんの娘だと宣言されてから、俺への溺愛は更に激しくなった。

 ただ、トラに対しても優しくなったのは間違いない。トラも少しずつ距離を縮めてきているようで2人が話す機会も多くなった。


 俺の反抗期がいつからかは覚えていないけど、冷たく素っ気なかった息子の反抗期が終ったということで納得してもらっているのだろうか?

 前に母さんは、トラに対して少し他人を感じるとも言っていたが、今はそんな素振りは見られない。


 俺の昔の思い出話なんかを聞いて、楽しそうにするトラを見て、2人が仲が良いことに嬉しさを感じると同時に、ちょっと寂しくも感じてしまう。

 俺が親に対してジェラシーを感じるとは思ってもみなかった。


「心春、ボク、もう行こうと思うんだけど、いいかな?」


「ほえ? 行くってどこにでしゅ?」


「お祭りに!」


「今からでしゅか!? まだ朝の8時でしゅよ。出店もなんにもないのに、行っても仕方ないでしゅ」


 俺が時計を指差し訴えるが、トラは動じることなく、ニコニコしている。


「始まるまでがお祭りとか聞いたんだ。始まる前の方がワクワクして楽しいって話もあるし、行ってみたいんだ!」


 ぱぁ~っと、屈託のない明るい笑顔で答える16歳の少年に、少し目眩を感じながらも仕方なしに頷く。


 コイツは一体どこから、「始まるまでがお祭り」などという言葉を覚えてくるのだ。

 そんなことを思いながら、ウキウキのトラについていく。



 * * *



 祭りは駅のロータリーと商店街を中心に行われる。夕方4時半から道路は封鎖され、歩行者天国になる。


 そんな祭りに朝の8時過ぎにやってくる、バカな浴衣姿の兄妹。ウキウキの兄の後ろを、だらだらついていくやる気のない妹。


 周りからはそんな風に見えるはず。

 朝だから商店街のお店もほとんど開いていなくて、時間を潰す場所もない。

 出店の設営の準備なのか、組み立て途中の出店や、食料や資材なんかが忙しく運び込まれている。

 その様子を目を輝かせて見るトラに呆れながらも、一緒に準備作業を見ていると、祭りは始まっていないのに、この場全体から沸き上がるような高揚感とでいおうか、活気染みた何かが地の底から滲み出てきているのを感じる。


 今から祭りが始まるんだって期待感に、段々とワクワクし始めた俺の視線に、何の気なしに入った黒地に朝顔を咲かせる浴衣姿の小さな少女は、出店の準備を見て目を輝かせている。


 俺はそーと近付くと、その子の背中を突っつく。


「ひやぁぁ!?」


 短い叫び声をあげ、機敏な動きで飛び跳ねると俺に向かってファイティングポーズを取る。


「どこの誰だ、私を攻撃すんのは! あれ? こはりゅ? なんでここにきてんの? まだお祭り始まってないのに」


「いりょは、こそなんでここにいるんでしゅ? おまちゅりはまだ、始まってましぇんよ」


 俺の言葉に、てへへへと笑いながら恥ずかしそうに言う。


「ほら、だって言うじゃん。始まるまでが、お祭りって。始まる前にしか味わえない高揚感を感じたいじゃん! ねっ?」


 彩葉お前もか……


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 次回


『お祭りは始まっても楽しいわけで』


 お祭りが始まる前の、独特な空気が好きです。少し浮き足立ってしまうような気持ちが心地よいです。

 今年はお祭りがあるといいなと思いながら書いています。箸巻き大好きというと出身が西か東か分かるとか。

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