第43話  水族館に涙が落ちるわけで

 終始緊張気味の楓凛と景色を見ながら楽しそうなトラを乗せた車は水族館へ無事に到着する。

 水族館は町からすこし離れた海沿いにあり車を降りると潮風が塩の香りを運んでくる。目の前には大きな海が果てしなく広がっている。


 そんな海からやってくる潮風を身に受けて本当に嬉しいのがキラキラ光る目を見れば誰でも分かるトラ。そのあまりにも純粋な反応に楓凛も感動してしまい少し目が潤むのを感じる。


(海を見てここまでの反応する虎雄くんってどんな生活してきたんだろう? 嘉香さん、旦那さんが忙しいから連れていけてなかったのかな?)


「楓凛さん! 水族館行きましょう!」


「う、うん行こうか」


 そう言って右手を差し出すトラの手を取り楓凛は水族館に向かう。


(!? 自然な流れで手を繋いじゃったけどコレって……あーどうしよう今さら手を離してって言うのもなぁ)


 左手の先にいるトラをそっと見ると嬉しそうに水族館を見ながらも時々楓凛に振り返り足元に注意してリードしてくれる。


(まあ良いかな。男の人とこうやって歩くのはじめて。ちょっと恥ずかしいけどこんな風に大切にしてもらうってのも悪くないものなんだね)


 トラが心春を連れて歩くために自然と身に付いたこのスキルは元の純粋な心と合わさって楓凛を優しくリードしていく。


 館内に入ってすぐに目の前に広がる大きな水槽にトラは張り付き泳ぐ魚を食い入る様に見つめる。

 水槽の前にある端末を操作しては魚の名前を照らし合わせ楓凛に知らせてくる。

 とても嬉しそうに魚の名前とその特徴を教えてくるトラに楓凛も聞きながら質問する。


「ねえねえ、あれはなんて魚?」


「えーとですね、あれは多分……マル鯵?」


「真鯵と何が違うんだろう?」


「説明を見ても見分けるのは難しいですね」


 トラがそう言いながら自分の腕時計を見る。


「あぁ! ごめんなさい。まだ最初の水槽になのに30分もいてしまって」


「ううん、楽しいよ。こんなに真剣に見たの初めてだし」


 微笑む楓凛にトラが手を差し伸べてくる。


「ここも楽しいですけど楓凛さんと他のところも見てみたいです。次に行っても良いですか?」


「うん」


 楓凛がトラの手を取り2人は水族館を巡る。



 * * *



 水族館内にあるレストラン。最大の売りはイルカのプールと隣接していてイルカを見ながら食事が出来ることである。

 テーブルに座る2人の元に運ばれてくるカレーライス。


「おぉ凄いです。カレーの中からアザラシが顔を出してます!」


「本当だねぇ。可愛いね」


 カレーのルーの真ん中に盛り付けてあるご飯の上にレーズンで目を作ったりしてルーから顔を出しているに見える。


「あ、イルカがこっちにきたよ」


 楓凛が少し興奮した声で水槽を指差してトラを呼ぶ。


「今はショーやってないから優雅に泳いでるね。おおっ凄く近い、ほらっ」


 楓凛は水槽に触れ近付いてきたイルカに手を振っている。


「わー凄いです! さっきのショーのジャンプの迫力も凄かったですけど。こうやってのんびりしているのも見るのも楽しいですね!」


「そうだねぇ。顔も近くで見ると可愛いし」


「ですよね! このフォルムといい賢さといい本当に可愛いですよね! そう言えば下の売店にイルカのぬいぐるみがありました! 買って帰ろうかな~、ん~どうしよう。可愛いんですよねーあ~悩んじゃうなぁ」


 腕を組み楽しそうに悩むトラは時々水槽を泳ぐイルカをチラチラ見てはまた楽しそうに悩む。

 そんなトラに楓凛が微笑みながらトラの頬っぺたを突っつく。


「虎雄くん、言葉じゅかい?」

 

「!?」


 口を押さえて微笑む楓凛を見るトラの顔は赤く汗がにじみ出る。初めて感じる感情に自身が驚き胸の鼓動が激しく高鳴る意味が分からない。

(走って心拍数が上がるのとは違うなんなんでしょう。汗も出てきますし……それより楓凛さんが言葉遣いを指摘するって!?)


 にこやかに微笑んでいる楓凛にトラは何を発していいか分からず焦るばかりである。


「そうやって心春ちゃんによく注意されているよね?」


「……」


 口を開けて声の出ないトラに微笑む楓凛は続ける。


「虎雄くん無理してない?」


 その言葉を聞いてトラの目に涙が滲む。


「男らしい言葉を使おうとして無理してる。言葉遣いが元に戻りそうになったら心春ちゃんに注意してもらってる……であってるのかな?」


 トラの目から涙が溢れる。


「あれ? なんで……」


 トラが必死で目を擦り涙を拭うその手を楓凛がそっと握り締める。


「心春ちゃんはもちろん今まで通り大切にしてあげて。でも虎雄くんも好きなことあるならやっていいんだよ。

 まだ出会って少ししか見てないから自信持って言えないけど無理してる気がするから。もう少し素直に、素の虎雄くんで良いんじゃないかな?」


「なんで、泣いて……別に悲しくもない……のに……なんで、わた、……ボク……」


 涙を流すトラの頭を優しく撫でる楓凛の表情を見てトラは自分の心臓高鳴りを再び感じる。


(全くもって意味が分かりません。なんでこんなに心拍数が上がって、悲しくもないのに涙がでて、楓凛さんに言われてなんで嬉しくて、でもマスターとの約束があるから……でも)


「ゆっくりで良いんじゃないかな? 虎雄くんの出来ることから確実にやっていこうよ。心春ちゃんに対して強い自分であり続ける必要はないよ。優しい虎雄くんで良いんじゃないかな?」


 トラが声を殺し涙をぼろぼろ流し泣き始める。トラが泣き止むまで楓凛は静かに待つ。

 やがて肩を震わせながら必死で涙を拭いて顔を上げる。


 その目は赤く頬には涙の後がついて決してカッコいいとは言えない顔でまた泣きそうになるのを必死に押さえながら口を開く。


「あの……ボクなんて言っていいか分からないですけど、その……」


 唇を噛み必死で堪えて泣くのを踏みとどまると言葉を続ける。


「自分らしく生きてみます」


「うん」


 じんわりと滲む涙を腫れた目に溜めたまま楓凛を真っ直ぐ見る目は美しく強い光でなく揺らめく例えるならば蝋燭のような光を宿し始める。

 そんな瞳に映る楓凛の目も涙ぐんでいる。


「取り敢えずカレー食べようか。冷めちゃったけどね」


「ごめんなさい。でも美味しいです」


 冷めたカレーでもこんなに美味しいものなんだと感じるトラはカレーのルーから覗くアシカを名残惜しそうにスプーンで掬う楓凛を見て自分の胸を押さえる。


 食事の後再び水槽を見てまわるトラは優雅に泳ぐ魚を眺める。

 さっきより少し広く感じる水槽……視界が広がった感じに戸惑いながらも喜びを感じるのだった。



 * * *



 帰りの車の中、楓凛はハンドルを持つ手が汗ばむ自分を悟られまいと平静を装ってトラと会話する。


(あぁ~なんか偉そうなこと言っちゃったなぁ私。自分のこと出来てないくせに……うぅ虎雄くんどう思ってんだろう? あの場の雰囲気でああは言ったけど、冷静に考えたら楓凛ムカつくわーとか思われてたらどうしよう)


 赤信号で止まったとき助手席のトラをチラッと見ると視線に気付いたのか見返して目が合うと微笑んでくれる。

 慌てて視線を反らしわざとらしく信号を見る。


(あ~ダメだこれ……ひなみに言われた通りかも……)


「水族館楽しかったです」


「そうだね、私も楽しかったよ」


 平静を装い運転に集中し敢えてトラの話を半分程度に聞き流しながら答える。


「でも楓凛さんと一緒だからこんなに楽しかったんだと思います。何より素直に生きるってことを教えてくれて凄く嬉しかったです。

 大事なことを教えてくれた楓凛さんはボクにとってとても大切な人です」


(あわわわわわっ!? 分かってる、分かってる! 大切な人ってのはその……大切なことを教えてくれた人ってことであって深い意味がないのは分かってる、分かってるんだよっ)


 楓凛がトラを見る。再び微笑み返してくると自分の顔が熱くなるのを感じる。


「ボク今日のことで楓凛さんのこともっと好きになりました」


(ふぎゅ……)


「と、虎雄くん。コンビニ、コンビニに寄ろう。なんか喉乾いたからねっ? あー喉乾いたなー」


 そう言って楓凛はトラが返事をする前にコンビニを目指して車を走らせる。


(ごめん、ひなみ。運転する自信ないや……帰れないかも)


 やっとたどり着いたコンビニの駐車場で車のハンドルに伏せる楓凛は心の中でひなみに謝るのだった。



 ────────────────────────────────────────


 次回


『ひなみは思慮深いわけで』


 楓凛さんよそ見してますけど運転中によそ見はしないでくださいね。ダメです危ないです。安全運転でお願いします。


 感想などありましたら聞かせて頂けると嬉しいです。

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