観察池

彼岸花

観察池

 小学校の校舎の傍に設置された小さな観察池。そこが、昼休み時の私の居場所です。

 観察池はコンクリートで固められた四角い箱型のもので、縦二メートル、横五メートルぐらいの長方形をしています。中には水がなみなみと湛えられていて、ハス……みたいな植物が水面を埋め尽くすように葉を広げていました。葉と葉の隙間から見える水中を、時々メダカが横切ります。水底はたくさんのもじゃもじゃとした藻に満たされ、具体的な底の深さはよく分かりません。まぁ、コンクリートの高さからして、五十センチもないと思うのですが。

 多分これは何処の学校にもあるような、ごく有り触れた観察池なのでしょう。だから此処に何か『秘密』があるなんて、そんな事はあり得ません。私だってもう六年生十二歳なのだから、それぐらい分かります。今日みたいに夏の太陽がギラギラと輝いている日に、日差しの中でぼんやりと突っ立っていたら熱中症の危険があってよろしくない事も知っています。

 それでも私はこの池を見てしまうのです。

 だって、何かがいるような気がするから――――


「ほんと、ヒフミは観察池を見るのが好きだねぇ」


「年がら年中見てるよねー」


 じっと観察池を見ていたら、後ろから声を掛けられました。

 振り返ると、二人の女子の姿が見えます。どちらも顔見知り、というより私の友達。

 一人はアヤカちゃん。短く切り揃えたボーイッシュな髪型と、半袖半ズボンがよく似合う元気な子。

 もう一人はマリカちゃん。長い髪をポニーテールで纏めた、大人しくて優しい女の子らしい女の子。

 どちらも小学生になってすぐ仲良くなって、クラスが別々になった今でもよく遊んでいる友達です。先生とか他の子には仲良し三人組とも言われていて、私もそれが自慢だったりします。


「アヤカちゃん、マリカちゃん。やほー」


「やほー。今日も観察池、じーっと見てるけど、そこってなんかいるの?」


「メダカはいるって聞いた事あるよー。あと、カメが棲んでるって噂を聞いた事あるかなー」


「カメはいませんよ。息継ぎに顔出すところすら、見た事ありませんし」


「年がら年中見てるヒフミが言うんだから、マリカの噂はデマだな」


「えぇー……デマなのかぁー……」


 私の意見は全面的に受け入れられ、アヤカちゃんにマリカちゃんがおちょくられます。マリカちゃんはショックを受けたように仰け反り、だけど全然へっちゃらそうに笑っていましま。

 私達は昼休み、こうして観察池の傍でよくお喋りをします。

 理由は、私がこの観察池を覗き込むのが好きだから。二人はお喋り出来ればそれで良いので、こんな暑い時にも来てくれるのです。流石に、二人は校舎の影に避難していますが。

 ちなみに話す内容は、基本くだらない事ばかり。


「デマと言えば、学校の七不思議にあったよねー。観察池に出るお化けー」


 例えばマリカちゃんが切り出した、今時誰も信じないような怪談話とか。


「え? うちって七不思議あったの?」


「あったんだよー。調べるのに苦労するぐらい廃れているけどー」


「マリカちゃん、そういう話好きですよね」


「うん。アヤカちゃんよりも好きー」


「酷っ!」


 大袈裟に跳び退くリアクションを見せるアヤカちゃん。私とマリカちゃんはくすくすと笑いました。


「ところでマリカちゃん、観察池の七不思議ってどんなものなのですか?」


「よくぞ聞いてくれました! この観察池は昔、殺人鬼が死体を沈めるのに使っていて、夜中十二時になると未だ見付けてもらえない少女の霊が池から出たいと呻きながら」


「ごめんなさい、予想以上にくだらなくて聞くに堪えません」


「酷いよヒフミちゃーん!?」


 マリカちゃんが半べそ掻きながら文句を言ってきましたが、私は謝りません。だっていくらなんでもツッコミどころが多過ぎます。殺人鬼の仕業だと判明しているのなら観察池に沈めた死体なんてとっくに見付かってるでしょうとか、本当に事件があったらこんな小さな池なんて撤去されてるでしょうとか。

 とはいえ真面目な話を受け入れたら、それで終わってしまうのがオカルト話。オカルト大好きなマリカちゃんが、この程度で信念を曲げる事はありません。


「よーし、そこまで言うなら見に行こうよー。七不思議をさー」


「……はい?」


「おっ。つまり真夜中の学校に潜入って事? 良いね、面白そう!」


 突然のマリカちゃんの提案に、私は困惑し、対してアヤカちゃんはノリノリ。アヤカちゃんはこういう悪ふざけが大好きな、『少年』っぽくなる時があるのです。

 そしてこうなった時、私に逆らう権利はありません。


「つー訳で今日の夜十一時半に校門前に集合な!」


「明日は休みだから、夜更かししても平気だねー」


 私達が何かをする時、大概にして多数決で決まるのですから。






「本当に来ちゃいましたね……」


「楽しみだねーヒフミちゃん!」


「マリカは元気だなぁ。私ゃ流石にちと眠いぞ」


 がっくりと項垂れる私に、マリカちゃんが元気よく励まし、アヤカちゃんが欠伸をしながらツッコミ。眠いなら断ってほしいと思いながら睨むと、アヤカちゃんは苦笑いを浮かべました。笑って誤魔化すぐらいなら最初からやらないでください。

 しかしあーだこーだと駄々をこねても、夜中の十一時半に校門前に集まってしまった事実は変わらない訳で。

 これだけ夜遅くだと、流石に人の姿は何処にもありません。あっても精々酔っ払いぐらいで、そうした人達は私達の姿すら認識出来ていない様子。見回り中の警察とかも此処らにはいないようです。私達の誰一人として注意とかはされず、難なく此処まで辿り着けました。

 件の学校の校門はガッチリと閉められ、人の出入りを阻んでいます。しかしながら所詮はただの門扉。本気を出せば、小学生である私達でも登れるでしょう。

 ……六年生にもなりながら七不思議調査なんかに本気を出すのも、如何なものかとは思うのですが。観察池を毎日飽きもせずに見ている私が言えた事ではないですけど。


「さぁ、行こうアヤカちゃん、ヒフミちゃん! 霊が私達を呼んでるよー!」


「それ、応えちゃいけないやつじゃありませんか?」


「マリカはほんと霊が好きだなぁ」


 我慢出来ないとばかりにマリカちゃんは校門を登り始め、私とアヤカちゃんがそれに続きます。

 深夜の学校は暗く、その中の様子は殆ど見えません。だけど私達最近の若者にはスマホという便利グッズがあります。ライトを点ければ暗闇なんて怖くありません。

 さくさく、てくてく。私達は難なく目的地である観察池に辿り着きました。


「さぁ、着いたよ観察池! ヒフミちゃん今何時!?」


「んー、十一時五十五分ですね」


「あと五分だぁ。ワクワクするねー」


「まぁ、どうせ何も出てこないけどね」


「出てくるかも知れないって時間が怖くて楽しいんだよー」


 アヤカちゃんのツッコミに、マリカちゃんは怒るでもなく答えます。その返答は幽霊など信じていないと自白するもので、事実マリカちゃんは幽霊などこれっぽっちも信じていません。本当に信じていたら、わざわざ見に行こうとはしないでしょう。

 親友に呆れつつ、私は見慣れた観察池の方に目を向けます。

 ……観察池は、夜空を移すように真っ黒な水面を私達に見せていました。

 スマホで照らしてみましたが、特段昼間と変わりありません。ハスとハスの隙間から、藻に覆われた底が見えるだけ。強いて違いを挙げるなら、魚も寝ているのか姿を見せない事ぐらいでしょうか。

 多分、一般的には見ていて何も面白くないもの。

 でも私は、暗闇の中に漂う水を見つめてしまいます。黒い水面はスマホの光だけでは全然見通せなくて、底が窺い知れません。

 見えないから、何かがいるような気がして。


「ヒフミ? どしたの?」


 ふとアヤカちゃんに話し掛けられ、私は我を取り戻しました。どうやらまたぼんやりとしてしまったよくです。


「あ、ごめんなさい。えと、今何時ですか?」


「もう十二時過ぎたよ」


 アヤカちゃんに時刻を尋ねると、七不思議の時刻はとうに過ぎていた事を教えてくれました。

 分かっていましたけど、結局何も起こりませんでした。私はふぅっと小さな息を吐き、それがまるで安堵したかのように思えてちょっと恥ずかしくなってしまいます。

 アヤカちゃんもマリカちゃんも私の吐息なんて気付いていないでしょうけど、ちょっと居たたまれない気持ちになった私は立ち上がり、二人よりも先に観察池から離れるように歩き出しました。


「もう出ないって分かりましたし、そろそろ帰りましょう」


「そだね。もう眠いしわたしゃとっととベッドに潜り込みたいぜ」


 私が帰りを提案すれば、アヤカちゃんはすぐに賛成してくれました。マリカちゃんはもう少し居たいかも知れませんが、多数決のルールは私だけに適応されるものではありません。マリカちゃんも諦めるだろうと思って返事を待ち、

 答えの代わりに、どぼんっ、という音が聞こえてきました。

 ……そう、音が聞こえただけ。私もアヤカちゃんも、音が鳴った時にマリカちゃんの事を見ていませんでした。だから何が起きたかなんて知りようもありません。

 知りませんが、池のすぐ傍に居たマリカちゃんの姿が消えて、ばちゃばちゃと水が跳ねていれば想像は付きます。


「ま、マリカ!?」


「マリカちゃん!?」


 マリカちゃんが池に落ちた。そう思った私とアヤカちゃんは、すぐに観察池の傍へと戻りました。

 跳ねていた水飛沫は、私とアヤカちゃんが池まで来た時には止んでいました。底まで沈んでしまった? 一瞬そう考えたけど、あり得ないと気付きます。観察池の深さなんてどうせ五十センチぐらいしかないのですから、手を前へと突き出せばそれだけで水面を引っ掻ける筈。腕が水から出ていないなんて、何かがおかしいのです。

 違和感に気付いた私は、伸ばそうとした手を無意識に引っ込めてしまいます。


「マリカ! 今助ける!」


 反面アヤカちゃんは、すぐにマリカちゃんを助けに向かいました。

 アヤカちゃんの行動で我に返ります。そう、違和感なんて今はどうでも良いのです。兎に角マリカちゃんを助ける事が先決。


「アヤカちゃん! マリカちゃんは!?」


「今捕まえた! 向こうもこっちを掴んで、うぉ!? ひ、引っ張ってる!」


「待って! 手伝います!」


 私はアヤカちゃんの腰を掴み、思いっきり後ろへ引っ張ります。だけどマリカちゃんを掴んでいるというアヤカちゃんの身体は一歩も下がらず、むしろ池がある前へと向かっていくばかり。

 マリカちゃんが引いているのでしょうか。私達二人でも力負けする事に驚いてしまいますが、でも命の危機に瀕した人は普段の何倍もの力が出ると聞いた事があります。きっとその類だと思って、私とアヤカちゃんは全力で引っ張り上げようとしました。

 丁度その時の事です。

 池から、得体の知れないものが現れたのは。


「……えっ」


 最初に反応したのは、アヤカちゃん。私もその後『それ』に気付いて、だけどなんの声も出せずに固まるだけ。

 それは黒くて、どろどろしたものでした。人の腕のようにも見えましたが、明らかに人の関節と違うところがぐにゃりと曲がっています。大きく伸びれば私達の背丈をあっという間に超えました。

 唖然とする私とアヤカちゃんが見ている前で、それはぐにゃぐにゃと曲がりながら、アヤカちゃんの背中に辿り着きます。腕の先は指のように四つに枝分かれしていて、アヤカちゃんの服を力強く掴みました。そしてそれは池へと戻ろうとします。

 凄い力でした。私が力を込めるのが間に合わないぐらい。

 呆けて力が抜けていた私は、アヤカちゃんを掴んでいられず。するりと私の腕を抜けていったアヤカちゃんは――――腕と共に池の中に引きずり込まれました。

 今度は、水飛沫も上がりません。

 だけど直に見ていたから、アヤカちゃんが池に引きずれ込まれたと、私はすぐに理解する事が出来ました。


「あ、アヤカちゃ……」


 親友がまたいなくなった。その事実が受け入れられなくて、私はへたり込んでしまいます。助けなきゃと思いはすれども、足腰が震えて動きません。

 もしも動いて池に近付いていたら――――池に引きずり込まれたアヤカちゃんやマリカちゃんの代わりに出てきた、二人じゃないものと間近に鉢合わせる事となったでしょう。

 べしゃり、と音を立てて、また腕のようなものが現れました。観察池の縁を掴んだそれは、ぐっと力を込め……ぶくぶくと泡が池の中で湧き始めます。

 腕がまた一本現れて、池の縁を掴みます。するとまた一本、また一本……池のあちこちから、八本も腕が生えてきました。腕はコンクリートで出来た池の縁がみしみしと音を鳴らすほど強く掴み、私の目にも分かるぐらい大きな力がこもっています。

 やがて池の中心から、どろどろの黒い塊が浮かび上がりました。

 そう、どろどろした黒い塊です。八本の腕を生やし、ヘドロのようなおぞましい悪臭を漂わせ、まるで煮え立つようにぶくぶくと泡を吹きながら崩れている……その姿を唖然としながら見ていた私の前で、塊の中心がぱくりと裂けました。

 塊の内側には赤黒く染まった蠢く肉と、ずらりと並ぶ人間みたいな形の歯がありました。それが口だと分かった時、私はぱくぱくと蠢く裂け目が何かを言っていると気付きます。

 耳を傾けたのは、無意識。


【ま、ん、ま】


 そう呟いていると分かったのも無意識で。

 池に背を向けて走り出したのも、無意識でした。











 逃げ出した私は、気付けば家に辿り着いていました。

 夜中に玄関の扉を力いっぱい開けたものだから、寝ていた両親が起きてきました。最初は、夜中に出歩いていた私を叱ろうとしていたのでしょう、怒り顔をしていたのですが……すぐに不安そうな表情を浮かべました。

 私には分かりませんでしたが、その時の私は顔面蒼白で、今にも倒れそうな様子だったそうです。実際親の顔を見たら急に力が抜けて、意識を失ってしまい、次に目を開けたら病院のベッドの上。後で聞いた話によると、丸一日眠っていたとの事です。お医者さんによると、疲労によるもの。一日安静にした後退院出来るとの事でした。

 その一日安静の日に、警察の人達が私の下にやってきました。アヤカちゃんとマリカちゃんが行方不明になっていて、何か事情を知らないかと訊くために。

 勿論、何があったか私は知っています。この目で見たのですから。

 だから私は正直に答えました。

 警察の人達は、私の話を聞いて顔を顰めました。そうなるのも仕方ありません。学校の観察池から黒い化け物が出てきて二人を食べました、なんて話、私自身今でも信じられないのですから。

 だから私はこうも伝えました。嘘だと思っても構いません。それでもせめて、一度だけで良いから、夜中の十二時丁度に観察池を調べてほしい、と。

 ……その後警察の人達は帰り、私は翌日予定通り退院しました。

 警察の人達が私の訴え通り真夜中の観察池を調べてくれたのか、子供の悪ふざけとして無視されたのか、私には分かりません。事件は未だ未解決であり、あれから何年も経った今でも進展がないという事しか聞いていません。

 私が知る限り、関係ありそうな出来事は三つだけ。

 私の話を聞いたアヤカちゃんとマリカちゃんの両親も、行方知れずになった事。

 私が何時も覗いていたあの観察池が、卒業前にコンクリートで埋め立てられた事。

 そして私が去った後の小学校で、夜中になると埋め立てられた観察池が現れるという七不思議が語られるようになった事だけです――――

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