第10話 五対一の激闘

 前世での鉄造の身長は約160センチ、当時の日本人男性の平均身長より少し高い。それは、現世でのサンドラの身長とほぼ等しく、身体操作を容易ものにしていた。

 そういえば、坂元龍馬は170センチと大柄だった。もちろん力士の様に180センチを超える規格外もいたが、その頃の日本人としては稀な存在だったといえる。

 ところが、この五人の近衛兵はどうだ。一番低い者でも170センチ、一番高い者は190センチを超えるだろう。平均180センチといったところか。

――殺し合いの経験は無いな。

 サンドラは思う。

現実の戦闘では、大きな者から飛道具の標的になる。大きな兵士が多く揃っているという事は、サンドラの常識では実戦経験が乏しい事を意味した。

 振り返ったブレードは笑顔だった。これから起こる事が楽しみで仕方ないといった顔だ。

「この通り、近衛兵団屈指の猛者達です。どうぞ、一戦交えたい者をお選びください」

「皆さん、強そうな方ばかりですね。では、全員と手合わせできるかしら」

 観衆からどよめきが起こる。

 シルビアの心配そうな顔が見えたので、少女はどうかと見てみると、信じられないといった顔で口を押さえている。

 調子に乗ったサンドラは言葉を続けた。

「それと、五人同時にお願いします」

 更に大きなどよめきが起きた。

 ケイン王子は足を組み替えて身を乗り出す。

「本当によろしいのですか? 五人共かなりヤリますよ」

 口ではそう言っているが、ブレードに五対一の闘いを止める気が無いのは明らかだ。

「それは楽しみだわ。是非、やらせてください」

 ブレードは五人の方を向いた。

「という事です。サンドラ様には五人全員で掛かってください。ああ、一つだけ忠告しておきますが、この姿に惑わされると、後で痛い目に合いますので」

 一番奥に立っていた一番怖い顔をした近衛兵が、丸太の様に太い腕を胸の前で組みながら言った。

「それが命令とあれば我々は従います。ですが、無傷で済ませるお約束はできませんがよろしいか?」

 この近衛兵がリーダー格なのだろう。サンドラの言葉に怒りを覚えたようで、苛ついた顔をしている。

 サンドラは、その近衛兵にスタスタと近付いた。

 他の近衛兵の前を通る時、値踏みするような眼で見下ろされているのがわかった。

 リーダー格の前で立ち止まり、サンドラは右手を差し出す。

「もちろん結構です。この腕が取れても文句は申しません。ですので、どうぞよろしく。えっと……」

 リーダー格も、渋々サンドラの手を握り返した。

「ジャンです。分かりました。そういう事でしたら、我々も全力でお相手します」

「ありがとう、ジャン。感謝するわ。では、いつから始めましょう?」

「別に、いつでも」

 突然、サンドラの眼が光った。

「では今から!」

 大声で叫ぶと、一歩鋭く踏み出しながら握手した右手を僅かに一度引いてから前へ、同時に下から上へと向かう小さな楕円を描いた。

 それでジャンの肘は伸び切り、肩が固定されて、サンドラの推進力により九〇キロはあろうかという巨体がフワリと宙に浮かび上がる。

 そのタイミングでサンドラが手首を返すと、ジャンの巨体は空中で一回転し、地面に叩きつけられた。

琉球の『ティ』と呼ばれる体術の技だ。突きと蹴り、そして関節を決めての投げ技に特徴のある。

 薩摩で生まれた示現流剣術は、藩の琉球侵攻により、ティと影響を受け合う事になる。ティが示現流の影響を受けて『唐手(後の空手道の原型)』となったように、示現流もまたティに影響を受け、その技術体系に体術を含んだ。そして、その影響が最も色濃かったのが東雲示現流である。

 サンドラはすかさず木剣を両手に持ち替え、倒れたジャンの喉元を剣先で突く。

「一人目!」

 サンドラが叫ぶ。

「ゲホッ! ゲホッ!」

 喉を突かれたリーダー格が咳込んだ。

 その体勢のまま、サンドラは振り返りもせずに後方へ跳び下がる。そこには、五人の中で一番大きな一九〇センチ級の男が立っている筈だ。

 予想通り、背中に誰かがドンとぶつかる。その瞬間、サンドラは木剣を真上に振りかぶった。

 木剣は大男の額に命中し、カポーンという良い音を立てる。

「二人目!」

 サンドラが叫んだ時、残り三人の近衛兵は木剣を構え、戦闘体勢を整えていた。

――奇襲で行けるのはここまでか。まあ、二人倒せれば上出来だ。

 サンドラは、額を押さえてうずくまる大男の上を踏み越えて走り出す。

「こっちだ! こっちで相手になってやる!」

 三人の近衛兵もサンドラを追って走り出した。

 サンドラは壁の前まで走ると、クルリと振り返って木剣を正眼に構えた。多人数を相手にする場合、一番やってはいけないのが後を取られる事だ。剣は一本、眼は前にしか付いていない。魔法使いでもない限り、前後からの同時攻撃を防ぐ事は不可能だ。

 サンドラは、東雲示現流のというより、日本剣術のセオリー通りに壁を背にする事に成功するが、次の段階でまずい状況になる。先にサンドラに追い付いた者から順に倒すつもりが、ほぼ三人同時に追い付いて横一列に並ばれたのだ。

 この状況で、敵に視線を交わす機会を与えれば万事休すとなる。三方から上段、中段、下段と同時攻撃されれば、それが前方からであっても剣一本では防ぎ切れない。

 そこでサンドラは、トンボに構え直すと壁沿いに左へと走った。当然、左側の敵と近くなる。

 勢いはそのまま、サンドラは必殺の袈裟を切り落とす。

「チェースッ!」

 近衛兵は辛うじてサンドラの袈裟切りを受けたが、片手で剣を持つ西洋式の方法で防ぎ切れる筈も無く、自分の木剣ごと首筋に打ち込まれた。

「三人目!」

 サンドラは、首筋の痛みに耐えている近衛兵の襟首を左手で掴むと、右足で尻を蹴って中央の近衛兵の足下に放り込んだ。サンドラに向かって突進しようとしていた近衛兵は、放り込まれた近衛兵に足をすくわれて転倒する。

 重なって倒れている二人の横をサンドラは落ち着いて歩き、すれ違いざまに上になっている近衛兵の尻を木剣でピシッと叩いた。

「ィテッ!」

 鋭い痛みに近衛兵の身体がエビ反る。

「四人目!」

 サンドラは、最後に残った近衛兵に、右手の木剣を無防備にダラリと下げたまま歩いて行く。

 この近衛兵が既に戦意を喪失しているのは明らかだ。ヤケクソで、サンドラの心臓を全力で突いてきた。

 サンドラは、ブレード戦で見せたように左肩を引き、左足を時計と逆回りに四分の一回転させる事で攻撃を避ける。サラシのお陰で回転に切れがあった。

 近衛兵の大きな踏み込みにより、一八〇センチの近衛兵と直立しているサンドラの眼の高さがほぼ同じとなる。鼻が触れ合う程の近距離だ。

 近衛兵の眼に恐怖が走り、サンドラはニコリと笑顔を返す。

 そして、近衛兵の股間の下に差し入れていた木剣を、手首だけで真上に持ち上げた。ブレードの時は遠慮もあって脚の付け根を攻めたが、今回は容赦が無い。

 木剣は近衛兵の金的を直撃する。

「お! う!」

 最後の近衛兵は、股間を押さえてウサギの様に飛び跳ねた。

「五人目!」

 剣術場は静まりかえっていた。時間にして、僅か数十秒の出来事だ。

 兵団長が青い顔をして呻いた。

「まさか……」

 ケイン王子は、椅子に深く座り直して呟く。

「ここまで実力差があるとは」

 実際は実力差の問題では無い。サンドラは西洋剣術の戦術を見たことがあり、近衛兵は東雲示現流を見たことがなかった。それだけの話だ。

 そして、経験の差である。

どんなに実戦さながらの訓練をしても、それは実戦では無い。鉄造にとって、戦争は遠い前世での記憶ではなく、昨日の事のように生々しい経験なのだ。

 周囲があまりにも静まり返っているので、サンドラは終了を知らせるために、観覧者に向かってカーテシーしながらニッコリと微笑んだ。

割れんばかりの拍手と歓声が沸き起こった。

 サンドラの真っ正面から、白いドレスの少女が抱きついてきた。とても興奮しているのが分かる。闘ったサンドラより身体が熱い。

「サンドラ様! とっても素敵でした! その強さで私を守ってくださるのですね!」

 呼び名が様付けに変わっていた。

これくらいの役得は良かろうと、サンドラも少女を抱きしめ返す。

 ところが、少女もサラシを巻いているのかと思うくらい胸の感触が無い。

「ありがとうございます、姫。私もできれば姫のような魅力的な方をお守りしたいのですが、残念ながらセイラ王子の警護のお役目を申し付かっておりまして」

「だから、私を守ってくださるのでしょ?」

「え?」

「私がセイラなのですから」

「は?」

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