第9話 花園の天使

 馬車を降りたシルビアは、宮殿の大きさと荘厳さに圧倒された。

「わあっ……」

 馬車の前から建物内へと続く長い階段を、近衛兵が左右にズラリと並んで出迎えている。

 サンドラがケイン王子にそっと尋ねた。

「あの、これから国賓の方がお越しですか?」

 ケイン王子は笑った。

「いえいえ、サンドラさんとシルビアさんをお出迎えしているのですよ」

 四人が通過する場所に立っている近衛兵が流れるように敬礼していく。その洗練された動きに、サンドラはさすが宮殿を守る者達だと感嘆する。

 列の最後に立っていた初老の執事にケイン王子は話しかけた。

「ただいま、セバスチャン」

「おかえりなさいませ、ケイン王子、ブレード様。サンドラ様とシルビア様も、ようこそお越しくださいました。さ、こちらへ」

 セバスチャンの後を四人は歩く。広い廊下に並ぶ素晴らしい絵画や彫刻の数々に、サンドラとシルビアは眼を奪われた。

 そうして通された部屋も素晴らしかった。おそろしく広くて、豪華な椅子とテーブルがこれでもかと並ぶ。これ程の部屋にたった四人でいる事に、サンドラもシルビアも居心地の悪さを感じた。

 お茶が運ばれてきた。

 王室のお茶である。美味しくて当然だ。シルビアは、お代わりをして飲んだ。

「では、サンドラ様。本日の具体的なスケジュールですが」

 ブレードがティーカップを横にどけて話し始める

「宮殿の裏庭の一角に、近衛兵の剣術場があります。そこで、模範試合という名目で腕前をご披露頂きたい。そこそこ腕が立つ近衛兵を五人程揃えましたので、手の合いそうな者をお選びください」

「わかりました」

「私が敵わなかった事は全員に伝えていますので、女性だからと見下す者はいない筈です。逆に負ける事が前提なので、揃えるのが大変でしたよ。彼らにもプロのプライドがありますから……」

 そして、愉快そうに笑いながら言った。

「……まあ、日頃から鍛えている丈夫な連中なので、一番強そうな奴を遠慮なくボコってください。サンドラ様も、少しは骨のある相手でないとつまらないでしょうから」

 ケイン王子が少年のような表情で言った。

「ワクワクするな。こんなにワクワクするのは、春の祭りで闘牛を観た時以来だ。ところで兄上は、おとなしく自室で待っているかな」

 ブレードが立ち上がった。

「私がお迎えに行って参ります」

 サンドラも立ち上がった。

「私は少し身体を暖めたいので、先に剣術場へ行ってよろしいですか?」

「では、セイラ王子のお迎えがてら、剣術場へご案内しましょう」

「ありがとうございます。助かります」

 サンドラは木剣を持つと、シルビアに小声で言った。

「ケイン王子と仲良くね。退屈なさらないよう、沢山お話しするのよ。いいわね」

「はぁ……」

 シルビアは訳も分からず頷く。まだ、自分とケイン王子のロマンスなど、想像にもしていないのだ。

 そして、サンドラはブレードの後に付いて部屋を出た。

 『公女シルビア』では、サンドラにイジメられて泣きながら下校している所にケイン王子の馬車が通りかかり、不憫に思った王子がシルビアを馬車に乗せる。

 それを切っ掛けに二人は急接近するのだが、その時の王子の言葉が「王宮にリンドウを見に来ないか」だった。

 リンドウ……花言葉は正義、誠実、そして、悲しんでいるあなたを愛する……。

 サンドラは思い当たった。

――そうだ、リンドウだ! 宮殿のどこかにリンドウが咲いているはず。その花を一緒に見る事が、ケイン王子とシルビアの恋心に火を付ける引き金になるのでは?

「あの、ブレードさん。王宮のどこかにリンドウが咲いていたりしますか?」

「リンドウ……ですか?」

「はい、紫色の可愛い花です」

「ああ、それなら剣術場の奥にある花園にあります。たくさん咲いているので、ちょっとした見ものですよ」

 小説の筋書きと違うとはいえ、とにかくシルビアは宮殿に辿り着いた。後はケイン王子と一緒にリンドウを見れば帳尻は合うとサンドラは直感する。

「こちらが剣術場です」

 ブレードから案内されたのは、芝生が刈り揃えられた真四角の広い場所だった。中庭全体が剣術場になっている。横の壁一面に木剣が掛けてあった。

「あの木剣はご自由にお使いください。魔女の杖の方が使い勝手が良いかもしれませんが。あそこの細い通路、その奥が花園です。では、私はセイラ王子の部屋に行きますので」

 ブレードが立ち去ると、サンドラは真っ直ぐに花園へと向かう。

――うん、小説にも『細い通路を抜けると』とあったな。物語通りだ。

 果たして、通路の奥には美しい花園があった。数々の花が咲いていたが、中でも見事に咲き誇っているのがリンドウだ。

「これは凄い……」

 思わず声に出る。

 すると、花園の中央で人影が立ち上がった。

 丈の短い、ゆったりとした純白のドレスを着た少女だ。裸足だった。

 肌が透き通るように白く、そのせいでそばかすが少し目立つ。外側に跳ねた肩まである金色の髪が、見かけ程おしとやかでない事を物語っていた。

――妖精?

 あまりの美しさに、サンドラは自分の眼を疑う。

「誰?」

 言葉をしゃべった。妖精ではないらしい。

 人間離れした存在感だが、王族の令嬢の一人なのだろう。そう思ったサンドラは、空気のスカートを両手でつまみ、片足を引いてカーテシーでご挨拶した。

「初めまして、姫。私はサンドラ・エメラーダと申します」

 姫と呼ばれたのが嬉しかったのか、少女は笑顔になる。

「あなたがサンドラ。噂は聞いてる。最強の女剣士ね」

「光栄です」

「ゴリラみたいな人かと思ってたけど、とっても綺麗な人だったんだ。ゴリラって知ってる? アフリカのジャングルの奥深くにいるという幻の生き物だよ。人間みたいだけど、毛むくじゃらで筋肉ムキムキなの」

「はあ」

 サンドラの脳裏に、顔だけ人間で二本足で立っている熊の姿が思い浮かぶ。

「ところで、姫は何をなさっているのですか?」

「スズメバチの死骸を見ていたの」

「スズメバチの死骸?」

「そう。アリが運んでいるから。アリって凄いの。自分より遙かに大きなスズメバチを運ぶんだよ。あんなに小さいのに」

「確かに凄いですね。でも、スズメバチの死骸を運ぶアリを見て面白いですか?」

「面白いよ。とっても」

 変わったコだな、とサンドラは思う。

 蜜を集めていたミツバチが数匹、少女の周りに飛んで来た。

 少女は怖がるでもなく、右手の人差指を立てる。

 すると、ミツバチの一匹がその指先にとまり、もう一匹は少女の鼻の頭にとまった。

「ミツバチも凄いんだよ。スズメバチが時々ミツバチを食べに来るけど、仲間がたくさん食べられると逆襲するの。こんな可愛いミツバチが、あの恐ろしいスズメバチに」

「えっ、本当ですか?」

 サンドラが前世を含めて初めて聞く話だった。

「本当だよ。一匹のスズメバチを何百匹というミツバチが取り囲んで、ミツバチのボールみたいになってね。そうやってスズメバチを退治するの」

「何百匹ものミツバチが、一斉にスズメバチを刺すのですね」

「ううん、スズメバチの硬い殻にミツバチの針なんて通用しない。蒸し殺すんだよ」

「蒸し?」

「そう。ミツバチボールは何十分も続くので、一度ボールの中に指を入れた事があるけど、ビックリするくらい熱かった。その熱でスズメバチを蒸し殺すの」

 サンドラは、すっかり少女の話に引き込まれる。

「ミツバチボールは必殺の技だよ。あの技に掛かって生き延びたスズメバチを、まだ見た事が無いから。だけど犠牲も多いの。ボールの中でも、スズメバチの顎の近くにいたミツバチは、ほとんど噛み殺される。生き残ったミツバチも、中心近くにいた者はそれほど長くは生きられない」

「凄いですね。よく観察していらっしゃる。ミツバチが姫を刺したりしないのですか?」

「刺さないよ。ミツバチは、誰が味方で何が敵なのか、本能でわかっているから。花を育てる者を、ミツバチは味方だと思うのね」

 警戒もせず戯れるように少女の周りを飛び回るミツバチを見れば、その言葉に納得するしかない。

「数は力。王族も、それを肝に命じて公平なまつりごとを行わないと、いつか民の裁きを受ける事になる。この、アリに運ばれるスズメバチの様に……」

――このコは、変わっているだけの少女ではない。深い洞察力と、本質を見抜く眼を持っている。

 そして、そんな少女に強く惹かれるサンドラだった。

 その時、サンドラの後から声がした。

「なんだ、ここにいらしたのですか。もう皆様お集まりです。剣術場へどうぞ」

 ブレードだ。よほど探し回ったのか、額に汗をかいている。

――花園に寄る事は知っていただろうに。

 サンドラは思ったが、黙ってブレードの後に続く。

 後を見ると、少女もサンドラの後を歩いていた。

 少女に格好良い所を見せたい。

 そう思ったサンドラは、いつもより気合いが入るのを感じた。


 剣術場に戻ると、建物側の廊下には、最強の女剣士をひと目見ようとする人々で溢れていた。非番の近衛兵や休憩中の使用人までいる。

 壁側に設置してある椅子には、宮中にいた貴族や近衛隊の幹部クラスと思われる人々が座っていた。その中にケイン王子とシルビアもいたので、セイラ王子もどこかにいるのだろうと思ったが、捜す事はしない。

 その時、既にサンドラの心身は戦闘体制に入っていた。

 サンドラとブレードが場内に入ると、椅子に座っていた全員が立ち上がって迎える。

 少女はそのまま歩いて行って椅子の最前列に座った。

 他の人々も全員座る。

 続いて、獲物を威嚇する狼のような眼でサンドラを睨んでいる、屈強な五人の近衛兵が入場してきた。

 サンドラは、涼しげな眼差しで五人を見つめ返した。

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