第9話 貴族学院

 その日、サンドラはニ週間ぶりに貴族学園へ登校した。

「何て清々しい朝なのでしょう!」

 シルビアは、まるでウサギが野原を跳ねるがごとく、校舎へと続く道を行く。

「まあ、シルビアさん。転ばないように気を付けるのですよ」

 ベッドを出てから一週間、サンドラはマリー夫人とメイドリーダーのフランから、話し方も動作も粗雑になったと、みっちりマナーの特訓を受けた。おかげで今では、何とか公爵令嬢っぽく振る舞えるまでにはなっている。

 最後の侍も、今世の姿で武士の振る舞いを貫こうとするほど馬鹿ではない。

 気恥ずかしさも、一週間あればかなり慣れた。

「だって、サンドラ様と登校できるなんて! 私、ずっと憧れていたのですもの!」

 サンドラは、だらしない顔にならないようにと必死に耐える。

――何と愛らしい娘か。いっそ王子などに渡さず、俺のものに……

 そんな中年男の邪な思いが心をよぎるが、サンドラは貴族の令嬢らしく返した。

「私も同じ気持ちでしてよ、シルビアさん」

 シルビアは頬を染めると、サンドラの腕を組んだ。


 校舎に入ると、三人の令嬢が二人を囲んだ。

「サンドラ様、もうお体はよろしいのですか?」

「お休みの間中、寂しくしておりました」

「あら、シルビアさん。なぜ、あなたがサンドラ様と一緒にいるのかしら?」

 口々に話かけてくる。

 この三人が、作中『悪役令嬢の取り巻き』と一括りにされて出てくる登場人物だと気付くのに、サンドラはしばらく時間がかかった。

 そして、三人とも女優級の美女であることに驚く。文字だけでは伝わらない情報である。

 鉄造が、前世でメンクイだった事は否定できない。今も美女に囲まれて気分は上々だ。

「ありがとうございます、皆さん。ご心配をお掛けしました。おおむね元気にはなったのですが、まだ少々心もとないので、シルビアさんに近くにいていただいていているのです」

 三人とも笑顔だが、それがお愛想であることは伝わってくる。悪役令嬢から標的にされるのが怖くて、従順にしているだけなのだろう。

 自宅療養中、一度も見舞いに来なかったことからもわかる。

 それでも、サンドラがシルビアを連れていることは不思議に思ったようだ。あれほど執拗にイジメ、イジメられていたサンドラとシルビアの関係である。不思議に思って当然だった。

 しかも、今のシルビアはサンドラの背に隠れ、これでは知らない人が見たら、シルビアをイジメる三人からサンドラが守っているように見えるではないか。

 別に三人に、シルビアに対する特別な恨み辛みはなかった。サンドラがイジメるので、それに同調していただけである。

 形式的な礼を述べた後、サンドラは言った。

「……では、私はワッツ先生に先日のお礼を申し上げに行きますので」

 そこで、美女に囲まれて気分が良かったサンドラ……いや、鉄造の人格がスケベ心を出す。一番近くにいた令嬢の頬に手を当てながら言った。

「セーラーさん、今日も青い眼がとてもステキです。まるで宝石のよう」

 次に、隣の令嬢の髪を撫でる。

「メアリさんみたいな艶やかな髪にするには、どう手入れをすれば良いのでしょう。今度教えてくださいね」

 それから、反対側に立っていた令嬢の腕をさする。

「ジュエルさんの茹でた卵のような肌。殿方はきっと、この肌に夢中でしょう」

 こんな調子で、歯の浮くような言葉を並べながら三人の身体を触りまくった。

「では皆さん、また後ほど」

 立ち去るサンドラを、うっとりとした目で追いながら誰かが言った。

「……サンドラ様、変わったわ」

「ええ、以前からずば抜けて美しい方だったけど、それに凛々しさが加わって」

「とってもお優しくなった……」

 前世の鉄造が、特に女性にもてた訳ではない。

 下級武士の常で、上司の娘との縁談はあったが、相手がはやり病で急死してしまい、結婚の時期を逃してしまう。

 その後一時期、蛍という名の遊女に入れ込むが、やがて身請けされて女郎屋からいなくなり、その後は女と縁のない生活を送った。

 鉄造にとっては、まさかのモテ期到来である。

 今や女の身体ではあったが……。


 その時だ。

 突然、二の腕に鋭い痛みを感じ、サンドラは飛び上がった。

「イテッ! 何事だ?」

 振り向いて身構えると、シルビアが鋭いまなざしで睨んでいる。

「はて、もしかして今のは?」

 シルビアはコクリとうなずく。

「私がつねりました」

「なんで?」

「サンドラ様がエッチだからです。皆様の身体をあんなに撫で回して」

「いや、友達だからだ。単なるスキンシップではないか」

「シルビアはあんなこと、していただいたことがありません! 皆様のように大人っぽくないからですか?」

――ああ、なんだ嫉妬か。

 察したサンドラは、シルビアの肩を優しく抱いた。そして、耳元でささやく。

「私にとって特別なのは、シルビアさんだけですよ」

 それだけでシルビアの機嫌は良くなり、再びウサギのように跳ねながら歩き出した。

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