第8話 ケイン王子の告白

 エメラーダ公爵領では、早摘み葡萄の収穫が始まっていた。

 道の左右に広がる畑では多くの農民が働き、王家の馬車に気付いた者は足を止め、帽子を取って頭を下げた。

 ケイン王子は、慣れた様子でそれに笑顔で手を振って応える。大名行列の際に土下座を強いた徳川家とは随分な違いである。

 サンドラはいたく感心した。

「ケイン王子、さすがでございます。そうやって国民にフランクに接する事で愛国心や忠誠心が生まれ、国の発展に繋がるのですね」

 その言葉に王子は苦笑いする。

「いや、あまりその様な事は考えていませんでした。私は若輩者だし、生意気と思われるより、好かれていた方が良いかなと。それより、サンドラさんは手を振らないのですか?」

「私が、ですか?」

「そうですよ。だって、ここは公爵領です。民だって、挨拶してるのは私よりサンドラさんに対してでしょう」

「あ……ああ、そうか。そうだったのか……」

 通学の時もやたら頭を下げる人がいるので、この御者はどれだけ知人がいるのだろうと思っていたが、まさかサンドラ自身に向けられたものだったとは。

 指南役とはいえ下級武士の前世、まさか自分が領民から頭を下げられる身分になろうとは思ってもいなかった。

 子供が三人、畑の中でお辞儀をしていたので、サンドラが試しに手を振ってみる。すると、笑顔になった三人は馬車を追い駆けながら両手を振った。

「かわいいですわね」

 シルビアもサンドラと一緒に手を振った。

 葡萄畑を抜けると、しばらく草原が続く。牛が数頭、走り去る馬車を見ていた。

「ところでサンドラ様、ご相談についてなのですが……」

 ブレードは、向かいに座るサンドラに顔を近付けるようにして話始めた。

――いよいよだな。

 サンドラも座席に座り直す。

「……他言無用でお願いします。シルビア様も。よろしいですね」

 ブレードの真剣な口調に、シルビアの表情が強張った。それを見たケイン王子がフォローする。

「緊張する事ではありませんよ。ただ、お二人の胸にしまって頂きたい話なのです」

 王子の優しい笑顔に、シルビアは落ち着き取り戻す。

「相談とは、私の兄、セイラ第一王子の事です。兄は……その……実は同性愛の傾向があって……」

 それを聞いたシルビアは眼は大きく見開き、叫びそうになった口を慌てて両手で押さえた。

 ブレードも深刻な表情だ。

 シルビアは恐る恐る尋ねた。

「あの、それは……少し行き過ぎた友情などでは?」

 ケイン王子はゆっくりと首を横に振る。

「そうであれは、どれほど良いか」

 ところが、サンドラは事情が飲み込めない。

「えっ? それで?」

 ブレードが呆れた顔をする。

「それでと言うか、それだけですが」

 落馬事故以降のサンドラの思考の変化を知っているシルビアは、噛んで含めるように説明する。

「同性愛は、協会が神に背くものと禁じています。しかも、お世継ぎに問題が出かねません」

 サンドラは納得する。

「ああ、そうか。お世継ぎか……」

 男色が日常だった武家社会や衆道をむしろ粋なものとした江戸文化とは、この世界のモラルは相容れないのだとサンドラは納得した。

「常識に捕らわれちゃいかんぜよ。宗教や文化で常識は変わる。この世に絶対なんてもんはないんじゃ。鉄造よ、よう覚えとけ」

 龍馬の言葉を思い出した。

 ケイン王子は、サンドラの鈍い反応に少し不安を感じたが、気を取り直して言葉を続ける。

「私にブレードが付いているように、兄にもエッジという専任の警護が付いていました。ところが、兄はエッジに恋心を抱くようになり、それがエスカレートしていきます。やがてエッジを独占したくて、常に一緒にいるように命じるまでになりました」

 サンドラは、将軍家光を思い出さずにはいられなかった。家光も根っからの男色家で、家光に世継ぎを作らせる為に大奥が始まった程だ。

「兄は裏表が本当に無いので、人前でもエッジへの恋心を隠しません。当然、人の知るところとなり、エッジを軍に入れて引き離すしかありませんでした」

 サンドラが尋ねた。

「エッジさんは今も軍隊に?」

「ええ。実は、兄のせいで軍に行った警護は二人目です。兄は強い者が好きで、自分を命懸けで守ってくれる相手に惚れてしまいます。先日、エッジに会ってきましたが、軍に入れてホッとしていましたよ。彼には普通に女性の婚約者がいましたから……」

 女性に興味を示さない将軍家光に対し、心配した周囲は策を講じ、お振という男勝りの娘に男装させて家光に近付けた。この作戦は成功し、お振は家光の最初の子である千代姫を生んでいる。

「……つまり、もう兄に男の護衛を付ける訳にはいかないのです」

 サンドラは思った。

――もしかして、俺がお振の方の役回りか?

 しばらくの沈黙の後、ブレードがサンドラに向かって言った。

「サンドラ様。公爵家のご令嬢にこんなお願いをするなど、前代未聞のご無礼だとは思いますが、何とかセイラ王子専任の警護を引き受けては頂けないでしょうか?」

 サンドラは即答した。

「もちろん、喜んでお引き受け致します。少しでも王家の為になれるのでしたら」

 ケイン王子とブレードは、顔を見合わせて喜ぶ。

「おお、良かった。これで父に良い報告ができる」

「いや、本当に。まるで霧が晴れたようですね、王子」

 しかし、サンドラは手にした木剣を左右に振る。

「いえいえ、まだ喜ぶのは早いかと。問題は、セイラ王子が私を警護として認めて頂けるかどうかです」

 ケイン王子は笑顔で答えた。

「ええ、そうですね。ですが、あくまで警護、サンドラさんの実力を見れば、断る理由など見つからないでしょう」

 それを聞いてブレードも頷く。

「全くです。その結果、もしお二人にロマンスでも生まれれば、アルフレッサ王国は安泰です」

「ハハハ、確かにそうだ。サンドラさんの強さを見れば、兄上も性別など無関係に好きになるかもな。エメラーダ家のご令嬢とあれば、身分的にも問題無しだ」

 シルビアまでが浮かれ始めた。

「サンドラ様が未来の王妃様ですか? ステキ! 王妃のティアラをつけたサンドラ様、ぜひ見てみたいです!」

 サンドラは思った。

――ああ、やはり自分がお振の方の役回りだよ……。



 前世、鉄造の周囲にも男色家はいた。

 別に偏見は無かったが、鉄造自身にその趣味は全く無い。

 そして現世。鉄造の人格が蘇ったサンドラと男性との恋愛や結婚は、精神的には男色と同じである。

 第一王子とのロマンス云々と言われても、気が乗らないことこの上無い。

――第一王子から余計な好意を持たれぬよう、なるべく女性らしく振る舞わなければ……。

 サンドラは心に決める。

「宮殿に入ります!」

 御者から声が掛かった。

 巨大な門の両脇に立つ門衛が敬礼する中を馬車は駆け抜ける。

 初めての訪問に、シルビアは眼を輝かせて窓から首を出した。

 そのまま馬車は曲がりくねった道を行き、幾つかの橋を越えた。しかし、宮殿は一向に見えてこない。

 不思議に思ったシルビアがブレードに尋ねた。

「宮殿に入ったのですよね?」

「ええ、敷地内には。ですが、建物はもう少し先です」

「大変な広さですね」

「広いは広いですが、実際は体感する程ではありません。道が曲がりくねっているので、遠く感じるのです」

「真っ直ぐに道を整備した方が早くないですか?」

 ブレードが面倒臭そうな顔をしたので、サンドラが答えた。

「守りの為よ。敵が攻めて来た時、道が真っ直ぐだと、あっと言う間に宮殿にたどり着いてしまうから」

「ああ、なるほど!」

「ほら、あの塀の上の方にある見張台。この道を敵が走り抜けようとしても曲がり角で勢いが落ちるから、それをあそこから弓や銃で狙い撃ちしたら一気に戦力を削ぐ事ができるわ。それが何カ所かあるわね」

 ブレードは両手を頭上に上げる。

「参りました。なぜそんな事までご存じなんです?」

 日本の城も同じ考え方で作られているからだが、それは黙っていた。

「それと、あの二重三重に張り巡らされた堀、降りるのは簡単だけど、反りがあるので登るのは困難な構造よ。橋の幅も馬車一台分、武装した兵士なら横二列かしら。どんなに大勢で攻めて来ても、そこで狙い撃ちできる」

 今度はケイン王子自身が驚いた。

「そうなのか? あの堀や橋にそんな意味が? 生まれた時からここにいるが、知らなかったよ」

「最悪、橋を落とす事で敵の進行を止める事ができます。王家の方の命を守るための、先人の知恵なのでしょう。ただ……」

「ただ?」

「……障害物は軍のような集団であれば行く手を阻みますが、隠密に行動する暗殺者などには逆に隠れる場所を与える事になるかもしれません」

 シルビアが疑問を口にする。

「確かに、かくれんぼをするには良さげですね。ですが、先の戦争が終わってもう十数年、今さら暗殺者の心配をする必要がありますか?」

 サンドラは、いたずらっぽく首をすくめた。

「さあ。私のような小娘には知る由も有りません。でも、人には本音と建前が必ず有るもの。それが国家同士となると、言わずもがなでしょう。ね、ブレードさん?」

 ブレードは、サンドラの真似をして肩をすくめる。

「やれやれ、公爵様はご令嬢に国家情勢や外交についてまで英才教育をなさっているようだ。ケイン王子に取り入る振りをして、人となりを観察されていたのは、実は我々だったという訳ですね。その通りですよ。暗殺とまではいかなくても、我が王国の機密を盗もうとしている者は多いと考えています……」

 そして、ニヤリと笑った。

「……もちろん、我が国も他国にそういった者を送り込んでいますが」

「これからは、国家間の情報の奪い合いが重要になる筈です。先日ケイン王子より頂いたお茶の原産国ジパンでは、そういった情報の奪取や暗殺を生業とする、忍者と呼ばれる集団がいます。今後は、そういった者に対する策も必要かもしれません」

 ケイン王子が自分の膝をポンと叩く。

「ニンジャ! 聞いた事があるぞ。不思議な魔術を使うとか」

「魔術に見えるかもしれませんが、魔術ではありません。特殊な訓練により、不可能を可能にしてるのです。暗闇でも見える、音を立てずに走る、天井に長時間張り付く、書類を一目見ただけて暗記する。全て訓練の賜物です」

「そんな遠くの国の事まで、大した博識だ。そんな博識のサンドラさんの眼に、今の我が国はどのように映っている?」

「率直に?」

「無論、率直に」

「全体として素晴らしい国だと思います。民に職業による階級概念が無く、格差が少ない。これは凄い事です。税制の均衡がとれ、労働に対する見返りが期待できる訳ですから」

「ほぉ……そこに気付くとは」

「これはやはり、先代の国王と現国王の築き上げてきたものでございましょう。となると、次に気になるのが……」

 サンドラが途中で言葉を飲み込む。

 なかなか後を続けないので、痺れを切らしたケイン王子が自分から切り出した。

「次期国王の事だな」

「……はい」

「で、どう思う?」

「しかし……」

「良いから言ってくれ。あなたの識見を聞かせて欲しい」

 いつの間にか、ケイン王子の眼つきが、クラスメイトから国民を導く者のそれへと変わっていた。

「承知しました。正直申しまして、先ほどセイラ王子の性癖をお伺いするまでは、長幼の序を重んじることが望ましいと考えておりました。今は……セイラ王子にお会いしないと何とも言えません」

「うん、正直な意見をありがとう。ついでに、私の話も聞いてもらえるかな?」

「はい……」

 一瞬、サンドラの脳裏を忠長の悲劇が横切る。

 ケイン王子が国王への野望を抱いていた場合、この国が内部から崩壊していく可能性を否定できない。

「その様子では、もう公爵殿から聞いていそうだが、私を次期国王に押そうとする動きがある」

「存知あげております」

「病弱で内向的、極みつけに同性愛者の兄上より、健康で活発、人を引き付ける私を次期王に、という訳だ」

「……」

「だが私は、王にはなりたくない」

「えっ?」

 思いがけない王子の告白に、サンドラは面食らった。

「私は世界中を見てみたいのだ。インドにも行きたいし、その先のジパンにだって行きたい。そこから延々と海を渡った先にある新大陸とやらにも。とにかく、宮殿の王座に座りっぱなしで、書類を眺めながら一生を終えるのだけは絶対に嫌なのだ」

 サンドラは、前世での経験から、男の名誉欲には際限が無いのを知っていた。そして、最も厄介なのは、その名誉にまつわる男の嫉妬である事も。

 食欲も性欲も満たせば限りがあるが、名誉だけは満たされる事が無い。そう認識していたのだが、生まれつき国の最高の地位に着く権利を半分持っていたとしたらどうだろう。

 その地位に固執するか、もしくは逆に反発するのか。

 ケイン王子は後者だったのだ。王の座に固執もしなければ、第一王子への嫉妬も無い。

 ただ有るのは、未知の世界への旅立ちを渇望する冒険者の魂だけだ。

「はっきり言って、兄上は私などよりずっと頭が良いし、今は人が言うほど病弱でもない。庭で花を育てていれば満足だし、つまりは王にピッタリなのだ」

「あの、それで私に何をしろと……」

「先程は冗談半分で言ったが、今は本気になってしまった。あなたは文武共に素晴らしい」

 ブレードは両手を強く握り、シルビアは緊張で息を止めた。

 ケイン王子はしっかりとサンドラを見据える。

「サンドラさん、アルフレッサ王国第二王子としてお願いだ。あなたの魅力で、兄上を女性に目覚めさせてほしい」

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