第7話 逆行する世界

 ケイン王子とブレードが帰ったあと、シルビアも帰り支度を始めた。

「サンドラ様が、冗談がお好きとは知りませんでした」

 荷物をまとめながらシルビアが言うと、サンドラは真顔で返す。

「ケイン王子との婚約のことなら冗談ではない。本気でそう思っている。この国と私自身のためでもあるのだ」

「サンドラ様自身の? ですが、私などには、あまりにも恐れ多いですお話です」

「そんなことはない。愛があれば、多少の身分の差など」

「確かにそうかもしれませんが、私としても、ケイン様は好きですが特別という訳では……ケイン様も同じだと思います。もちろん、王室からお話があればお受けしますが、普通はあり得ないかと」

 正論である。

――しかし、普通ではないほど愛し合ってもらわないと困るのだ。

 この二人を結び付けるのは、思ったより骨の折れることかもしれないと思ったサンドラだった。


 馬車の前で、シルビアはサンドラを抱き締める。

「サンドラ様、明日も参りますので」

 サンドラの鼻の下がだらしなく伸びる。

「私なら、もう大丈夫だ。そなたも、そろそろ登校せねばまずかろう」

 シルビアは、サンドラに耳打ちする。

「問題ございません。両親は、公爵家とお近付きになれて喜んでいますし、学校も、看病することで評価してくれると約束してくれましたので」

「そうか、それであれば問題ないか。では、楽しみに待っている」

 デレデレのサンドラも、シルビアを抱き締め返した。


 シルビアを見送って部屋へ戻ると、メイドが三人入って来た。

「間もなく夕食でございますので、お召し物のお着替えを」

「湯浴みの準備はいかがいたしましょう?」

「御髪の編み直しをいたします」

 サンドラは、三人に両手を突き出した。

「お気遣いはありがたいが、全て結構。申し訳ないが、しばらく一人にしていただきたいのだ。手助けをお願いしたい時には、こちらから声をかけるので」

 メイド達は眼を丸くし、お互いの顔を見て、自分が聞き違えていないかを確認する。

 無理もない。以前はペンを足元に落としただけで、わざわざメイドを呼んで拾わせる程だったからだ。

「はぁ……かしこまりました」

 三人は、いぶかしみながらもお辞儀をして部屋を出て行く。

 最後に出て行こうとした、フランというサンドラ付きメイドのリーダーに声を掛けた。

「いつもありがとう、フラン。感謝しているよ」

 覚醒前の記憶では、サンドラはこのフランに一番きつく当たっているはずだった。成績でも何でも、常にシルビアに一歩前を行かれる苛立ちを、すべてフランにぶつけていたのだ。

 突然の優しい言葉に、フランは顔を赤くする。

「そ、そんな、滅相もございません!」

 そして、扉が閉まり、軽快な足音が遠ざかって行った。


 一人になったサンドラはおさらいする。

 本の中では、意識を取り戻したサンドラは、甲斐甲斐しく看病したシルビアに罵声を浴びせ、屋敷から追い出す。次の日、見舞いに来たケイン王子に、いつも通りの色仕掛けで迫るが軽くかわされ、その原因はシルビアにあると恨みをさらに強くする。

 今のところ、物語とは逆の方向に進行している訳だが、このまま差が開いていった時、この世界はどうなってしまうのだろう?

 学園に復帰後は、取り巻きの令嬢たちとイジメをエスカレートさせていき、やがてイジメの範疇を逸脱して犯罪になるのだが、今後は原作を無視した展開になることは確実だった。

 最大の課題は、シルビアとケイン王子を、サンドラのイジメなしでどうやって愛し合うように仕向けるか、ということだ。

 これといった妙案は浮かばないが、サンドラは思った。

 諦めなければ、好機はあるはずだ。

 物語では、あれほど相思相愛だったのだ。相性は抜群のはず。

 切っ掛け……そう、切っ掛けさえあれば。


 そんな事を考えていると、ノックの音がした。

 おじぎをしたまま、若いメイドが入って来る。

「お嬢さま、公爵さまがお戻りです」

「すぐに行く」

 サンドラの父親であるエメラーダ公爵は、『公女シルビア』では名前が出てくるのみで人物の描写はない。しかし、過去の記憶を探る限り、重度の親馬鹿で間違いないだろう。

 武士の家系の厳しい親子関係とは全く異質のようだ。

 広間へ降りると、エメラーダ公爵が腰から外したサーベルを執事に渡している所だった。

「父上、お勤めご苦労さまです」

 サンドラの言葉に、公爵の眼が糸のように細くなる。

「おお、サンドラ。馬から落ちたと聞いて、死ぬほど心配したぞ。公務を途中で投げ打って戻って来たのだ」

 愛情深い父親のようだが、時に親の過保護は、子をサンドラのような手のつけられない我がままに育ててしまうものらしい。

「お仕事を途中で? 大丈夫なのでございますか?」

「もちろんだ。おまえ以上に大切なものなど、この世に存在せんからな。ハッハッハッ」

 公爵はサンドラを抱き締め、頬にキスをした。

「おまえが無事で本当に良かった」

――確か、こういう時にはキスを返さないといけないはず。

 サンドラも、ぎこちなくキスを返した。

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