第7話 サンドラの木剣

 剣術試合の翌日、帰宅したエメラーダ公爵はサンドラに言った。

「宮殿で、いつの間にか私が剣術の達人という事になっておる。サンドラ、犯人はお前だな? いったいどんな魔法を使った?」

 どこの世界でも貴族はみんな噂好きだな、とサンドラは思う。

「もしかすると、ブレードさんと剣術の試合をして勝ったからかもしれません。師は誰かと王子に問われましたので、父上だと答えておきました」

「なにぃ! ブレード君に勝ったぁ?」

 公爵は、信じられないという風に首を捻る。

「それが本当なら、お前は冗談抜きでこの国最強の剣士だぞ。あの火かき棒のお陰か?  母さんが嘆いておった。あんな物を振り回して、手にマメでもできれば、どこにも嫁に行けなくなるとな」

 サンドラは満面の笑みで返す。

「サンドラは嫁になど行きたくございません。いつまでも父上のそばに居とうございます」

 公爵は内心嬉しかったが、厳しい眼で睨んでいるマリー婦人の手前、デレデレもできない。

「そうか。だがな、いずれは公爵家の娘として、相応しい相手と結婚せねばならん。ケイン王子と一緒になってくれれば言うことないのだが、お付きの警護を倒してしまったとなっては、そういう対象にはもう見て頂けないかもしれん……」

 公爵は、腰のサーベルを外して続けた。

「……いったい誰に似たのやら。このサーベルを見てみろ、最初から刃研ぎしておらんからリンゴも切れん。衣装の一部として身に付けているだけで、私は武芸に関してはからきしだからな」

 サンドラはピンと来た。

 ブレードとの試合後にケイン王子が言っていた、サンドラの強さを見込んでの相談というのが、今まさに父親を通じて正式に来たのだ。

 あの時、王子は「また後ほど」と言っていたが、サンドラが思っていたより公的な話なのかもしれない。

「それで、王室からは何と?」

「何だ、もう話の筋が見えたのか。最近、やたらと察しがいいな。明日、宮殿へ来てほしいそうだ。第一王子の警護について相談したいらしい」

 マリー婦人がたまらず口を挟んできた。

「警護の話ですって? 縁談ではなく?」

「ああ、母さんには残念だろうが、警護の話だ。まあ、そこからロマンスが発展するかもしれんし、出会いの切っ掛けがどうであろうと、お互い知らないよりはマシだろうさ」

 婦人は頭を押さえて椅子に座り込んだ。

「そんなの無理です! 警護に付く者を女性として見るなんて有り得ません! ましてや妃候補になんて……」

 公爵は、婦人に気付かれないように肩をすくめた。

「まあ、そういう事だ。明日はケイン王子自らお迎えに来てくださる。腕前を披露してもらうかもしれないので、動きやすい服装でとの事だ」

「わかりました、父上」

「しかし、良い時期に宮殿へ入ってくれたよ。ケイン王子派の動きが活発になってきているからな、このままでは確実に国が二分する事になる」

「お任せください。力は合わせるもの。第一王子と第二王子が力を合わせれば、国力は二倍どころか、四倍にも八倍にもなりましょう。私が必ずやお二人の絆を強く致します」

 サンドラは前世で考えた事があった。将軍家光の時代に坂本龍馬がいれば、忠長の悲劇も、その後に続く駿河の苦難も無かっただろう、と。

 龍馬なら、家光と忠長の間に入り、上手く幕政を回したに違いない。幕末に薩摩と長州を結び付けたように。

 前世でサンドラは、そんな龍馬のやり方を見てきた。もちろん、天性の人たらしである龍馬と同じ事が鉄造にできる訳もない。

 だが、龍馬だったらどうするかと考える事は、一つの指針となる筈だ。

 アルフレッサ王国の為に自分は転生してきたのだという思いが、サンドラの中に芽生えていた。

 公爵が頷く。

「頼んだぞ。難しい仕事だが、お前ならやってくれそうな気がするよ」

 婦人が不機嫌そうに公爵に言った。

「ところで、あなた様に剣の腕前を見せてくれとは、誰も言わなかったのですか?」

 公爵は自慢げに答えた。

「言われたさ。だが、エメラーダ家秘伝の剣術は一子相伝の必殺剣で、その正統継承者は国王の一大事以外に人前で剣を振るってはならぬとの掟があるのでな……」

 そして、小声でサンドラに言った。

「……と咄嗟のでまかせで逃げたものの、いよいよの時の為に、あの火かき棒でやってた変テコな型だけは教えてくれんか。さすがに国王に見せろと言われたら、嫌とは言えんからな」



 サンドラの中で鉄造の人格が覚醒してから、一番驚いたのは自分の乳の大きさである。これ程の乳は、駿河でも江戸でも見た事がなかった。

 ところが学園に行くと、サンドラだけが特別という訳ではないらしい。シルビアこそ小振りだったが、他の者はサンドラと同等とか、それ以上の者もいる程だ。

 これはやはり、食文化の違いだとサンドラは思った。幼少の頃より牛の乳を飲み、肉を食べる。十分な動物性蛋白質が大きな乳を作るのだろう。

 片や日本は、牛を主に労働力としてしか見ていなかった。貴重だったし、環境的に植物性の蛋白質に頼らざるを得ない現実があった。

 まあ、乳が大きいのは良いのだが、剣術においては弱点に繋がる。ブレードとの試合では、心臓への突きを捌いた時、乳にかかった遠心力で回転の軸が乱れたのだ。

 これでは、命のやり取りをする極限の状況下では致命的な欠点になりうる。

 そこでサンドラは、宮殿への出発を前に、フランに頼んでさらしをきつく胸に巻いてもらう事にした。

「サンドラ様の美しいお胸にこんな酷い事をするなど、フランは罰当たりでございます」

 そんな事を言いながら、フランは恍惚とした表情をしている。

「いいから、もっときつく巻いてくれ。第一王子の御前で試合を行う事になるだろうが、少しの態勢の崩れが負けにつながるだ」

「ああ……サンドラ様、また男言葉になっていらっしゃいます。素敵ですけど」

「今日は勘弁してくれ。身体が戦闘体勢に入っているのだ」

 さらしを巻き終わると、乗馬服を着てブーツを履く。

 着替えを終えてホールへ降りていくと、シルビアと義母の男爵夫人がいた。

 シルビアはいつもの通りだが、男爵夫人の緊張が伝わってくる。ソファーから立ち上がると、サンドラに向かって深々と頭を下げた。

「サンドラ様、今日はシルビアを宮殿にお誘い頂き、ありがとうございます。娘はご存じの通り、田舎暮らしが抜けておりません。サンドラ様のご迷惑にならなければ良いのですが」

 サンドラは、精神力で戦闘モードから乙女モードに切り替える。

「まあ、シルビアさんのお母様。とんでもございませんわ。私からシルビアさんに頼んだのです。一人では不安で寂しいから付き添ってほしいと。お礼を申し上げるのは私の方です」

 サンドラが宮殿へ行く条件としたのが、シルビアを同行させる事だった。ケイン王子も反対する理由は無いので、この希望はあっさりと通った。

 目的はもちろん、シルビアとケイン王子を接近させる事にある。サンドラがシルビアをイジメなくなって以降、二人の進展は全く無い。

 ここらで燃料を投下する必要があったのだ。

 シルビアは、心配する義母に言った。

「お母様、シルビアは大丈夫です。宮殿と言えども、私はクラスメートとしてのケイン王子をお訪ねするだけです。サンドラ様には大切なお役目がございますので、少しでもお力になれたらと思います」

 男爵夫人の顔から少し緊張が抜ける。

「そうね……あなたなら、きっと大丈夫ね」

「ええ、お母様の娘ですから」

 サンドラの眼に涙が浮かんだ。この二人に血の繋がりは無いが、親子としての強い絆が確かに有る。

 一方、サンドラとマリー婦人はどうだろうか? 間違いなく、血の繋がりが有る親子なのだが……。

「そういえば、母上は?」

 フランに尋ねる。

「頭が痛いと、お部屋で横になっていらっしゃいます」

「そう……」

 マリー婦人にとって、女だてらに剣を振るような娘は、決して良い子ではないのだ。

 前世では幼くして母親を病で亡くしており、甘えたという記憶が鉄造には無い。本心では、現世の実母であるマリー婦人に甘えたくてしかたなかった。十七歳の娘という今の立場であれば、多少ベタベタしても許されるとの思いもあった。

――王室の件が片付いたら、しばらく剣を持つのは止めて、母上の望む通り花嫁修業に専念しよう。

 サンドラは密かに思った。


 その時、玄関の扉が開き、執事が入って来る。

「サンドラ様、シルビア様、宮殿からお迎えの馬車が到着致しました」

 執事の先導で邸宅を出ると、宮殿からの馬車に向けてメイド達がズラリと並んでいた。その一番馬車寄りに、白髪の小柄な老人が立っている。

 今日は、庭師のバートンに、サンドラの見送りを許されていたのだ。

 サンドラがバートンの前で立ち止まると、バートンはうやうやしく一本の棒を差し出した。

 それを見たサンドラは、思わず男言葉に戻る。

「出来たのだな」

「へい、一番の出来でさぁ」

 それを手に取ると、前後左右に振ってみた。

 ヒュンヒュンと風を切る音がするだけで、あまりの高速にシルビアの眼には棒が消えて見える。

「うん、完璧だ! ありがとう、バートン」

 老人は、嬉しそうに微笑む。

「お嬢様、ご無事をお祈りしておりやす」

 サンドラは右手でバートンの肩を掴み、左手の木剣を胸の前に掲げた。

「おう! そなたの木剣があれば百人力だ。ハッハッハッ」

 男言葉使うサンドラを初めて見たメイド達は眼を丸くして驚くが、最近のサンドラが時々男らしくなるのを知っているシルビアは冷静に尋ねた。

「サンドラ様、それって……」

「拙者……いえ、私の木剣よ」

「木剣? それが?」

 シルビアが驚いたのも無理はない。通常の木剣は木を削って剣の形に模した物だが、サンドラのそれは適当に枝を切り、小枝を払っただけの物に見えたからだ。

「庭師のバートンさんが、冬用の薪に保存していた物の中から、私にピッタリなのを選りすぐって磨き上げてくれた物なの。長さといい、太さといい、反り具合まで理想的だわ」

 東雲示現流では、ユスの木の枝を木剣代わりに稽古を行う。最も重要な稽古である立木打ちでは、何百回、何千回と全身全霊で立木に打ち込みを行う為、わざわざ剣の形に削ってもすぐにボロボロになってしまうからだ。

 したがって、この様に木の枝にしか見えない物でも、サンドラの認識では立派な木剣なのである。

「では行ってきます、バートンさん」

 それだけ言うと、第二王子が待つ馬車へと乗り込んだ。


 少し前、サンドラから丈夫な棒はないかと聞かれるまで、貴族にとって自分達のような平民は、畑に立つかかしと同じだとバートンは思っていた。

 壊れたら次の物を立てれば良い。

 ところが、この令嬢は違っていた。バートンが適当な枝を選んで持って行くと、飛び上がって喜び、自分でヤスリをかけ始めた。

 木屑だらけになっていく令嬢を見兼ねて作業を引き受けると、もう止めて下さいと言うまで礼を言われた。

 一晩かけて表面を磨きあげ、バートンはサンドラに枝を渡す。サンドラはその出来にひどく感激し、まるで旧知の友のようにバートンの肩を叩いた。

 そして、取り壊し中の古い納屋の前に立つと、その枝で柱を左右交互に打ち始めた。それを見て、ようやくバートンは令嬢が何をしたかったのかを理解した。

「チェース! チェース! チェース!」

 大声を発しながら無心で柱を打ち続ける令嬢の姿は、バートンも前日からの情熱を知らなければ気が狂ったと思っただろう。

 だが、バートンも素人ながらに分かった。サンドラが心技体の揃った本物の剣士である事を。

 やがて、暇があるとサンドラの為に適当な木を探しては磨くのがバートンの日課になる。


 サンドラを乗せた馬車が遠ざかるのを見送りながら、バートンはつぶやく。

「……うちのかかぁに良い土産話ができました。頑張ってくだせぇ、お嬢様」


 ケイン王子は、サンドラが馬車内の持ち込んだ木の枝を、不思議そうな顔で見た。

 ブレードも首を捻っている。

「それは……魔女の杖、かな?」

 王子が尋ねた。

「いいえ、私の剣でございます」

 サンドラは胸を張って答えた。

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