霜の月
吐き出す息が白い。頬は切れるように痛い。夜中の二時。人通りの少ない通りを一人で歩く。街灯が点々と灯す光をたどって歩く。空気が澄んでいて、スニーカーで歩いている自分の足音があたりに響く。早く家に帰りたい。ただその一心で歩みを進める。
玄関のドアを開けると、真っ暗な部屋が私を出迎える。外よりはましだけれど、部屋の空気はひんやりとしている。
「ただいま」
誰もいない部屋に向かってつぶやく。その声は暗闇に吸い込まれていった。
一人の空間は好きだ。自分だけの時間がないと私は死んでしまう。けれども孤独を感じないわけではない。誰かと言葉を交わしたいし、自分という存在を認知してほしい。
「あなたには協調性ってものがないのよ」
付き合いだと割り切って行った飲み会の場で、お局さまに言われた言葉。私はへらへらしているだけだった。
「人が話してるんだから、もうちょっと楽しそうにできないの?」
私は「無理です」と答えてしまいそうになるのをこらえて、なおもへらへらし続けた。
テレビをつけると、知らないお笑い芸人が映し出された。
「疲れた」
私は着替えもせずに、そのままベッドに倒れ込んだ。
太陽の光がまぶしくて、目が覚めた。時計を見るとちょうど十時になろうとしているところだった。
「かねてより交際していた二人が見事ゴールインを…」
テレビから聞こえるのは、芸能人同士の結婚を伝えるニュース。くだらない、と思う。興味がない、と。そう思いながらも私は寝転んだままテレビに視線を向け、うだうだと時間を過ごした。昨日のお酒が残っていて、少しだけ頭が痛い。
太陽が高いうちから入るお風呂は贅沢だと思う。たっぷりと時間をかけて自分の体を磨く。狭いユニットバスだけれども。
メイクを丁寧にはがす。昨日落とさずに寝てしまったせいか、肌が荒れているような気がする。チェリーの香りのするボディーソープの泡を体全体にまとう。湿度の高い空間に、その匂いが充満する。むせてしまうくらいに。けれど、それが良い。好きな香りに包まれて、自分の体をピカピカにして、私は生まれ変わりたいと強く思う。この汚い感情や想いを全て洗い流して。
お風呂からあがると、もう日が落ちていた。窓の外に目を向けると、夜と夕焼けが綺麗なグラデーションを作っていた。髪を乾かしながらそれを眺める。あっという間に夜の色が空を支配してしまう。そこに、月が見えた。半月よりも少し太った月。それがだんだんと滲んでいく。視界が涙でゆがんでいく。けたたましいドライヤーの音。涙でゆがんだ月は、とげとげして見えた。まるで霜に包まれているように。自分の心のようだ、と思う。大きな氷で固められているわけではない。徐々に徐々に凍りついて、結晶に包まれていった私の心。身動きが取れないわけではない。溶かそうと思えば簡単に解けるのかもしれない。けれど、それを全部溶かして、本来の姿が見えるのが怖い。
私は手に持っていたドライヤーを、そっと月に向けてみた。どんな姿が見えるのか、知りたいと思った。
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