夜に孤独を

 幼い頃から良く見る夢がある。

 私は泥水の中に頭まですっぽり入っていて、必死に手を伸ばしている。息を吸おうと口を開くと、泥水が喉の奥まで呼吸をさえぎる。苦しくて、苦しくて、私は必死にもがいている。それなのに動けなくて、助けを呼びたいのに声は出なくて、どんなに手を伸ばしても掴めるものなんて何もなくて、見渡す限り真っ暗な闇で、一筋の光すら届かない泥水の中。

 私はガバっと勢いよく起き上った。寝ている間に息を止めてしまっていたのか、呼吸が乱れている。両手で胸をおさえる。苦しい。夢の中のはずなのに、口の中いっぱいに泥の味が広がるようだった。口を閉じて大きく鼻で息を吸う。そしてそれを口からゆっくりと吐きだす。胸にあてていた手を片方だけ正面に伸ばす。それをゆっくりと上げていく。私は何を掴みたいんだろうか。ふとベッドわきのカーテンの隙間から、真っ暗な街がのぞく。人や車の気配の少なさから、深夜であることがうかがえる。私はベッドからそろりと抜け出して、冷蔵庫の方へと向かった。

「お前は一人で生きていけるだろ」

そう言われて私は何も言えなかった。曖昧に笑った。ただ、へらへらと。

「あの子は俺がいないとダメになっちゃうから」

不思議と涙は出なかった。悲しいとは思わなかった。ただ、可笑しかった。

 水道の蛇口をひねり、コップに水道水を満たす。満たされたコップから水が溢れていく。しばらくそれを眺めていたけれど、手が冷たくなって水を止めた。そして、コップの中の水を一気に喉へと流しこむ。さっきまで口いっぱいに広がっていた泥の味が、胃袋へ押し込まれていくような気がした。

 もう少し寝ようと思いベッドに戻ろうとすると、テーブルの上にある紙の束が目にとまった。自分で製本をした小説。ただの紙の束のはずなのに、今にも意思を持って動きだしそうな感じがする。

「真新しいものがないんだよね」

目の前に座っている人の言葉に耳を傾ける。

「ありきたりっていうか、こんなのどこにでもある」

真剣に聞いているふり。

 私は何を掴みたいんだろうか。私の一番欲しいものはなんなんだろうか。答えが見つからないわけではない。私は知っている。それなのに、分からないふりをしている。

 ベッドの上に座ってカーテンをそっと開ける。そこに見えたのは、星も月もない、真っ暗な静寂だった。

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