第五十六話 告白、怪物の少女たち
話を聞いて僕は驚いた。何とそれは、動植物と人間とを掛け合わせた、クローン人間を生み出すという話であったのだ。それも何故か、女性に限定されるとのことだったが、そんなことに疑問を抱くほどもないほどに、その話は衝撃的なものだった。
現在、我が国では、クローン人間を作ることは禁止されている。平成十二年に公布された「ヒトに関するクローン技術等の規制に関する法律」という法律によってだ。しかしそんな法律はまだなかったとはいえ、当時だって、倫理的にクローン人間などが許される筈がないという認識は、広く共有されていた。それに第一、そんなものを技術的にも、本当に作ることができるのだろうか、そう僕は思っていた。
ここで言ってしまおう。所長から聞かされた「モンプエラ」という言葉の意味を。「プエラ」は〝puella〟、ラテン語で「少女」を意味する語だが、その前に付く「モン」は〝monstrum〟、即ち「怪物」のことだ。怪物の少女、それが〝monpuella〟だ。最初からそういうつもりで、研究所はモンプエラの研究に着手していたのだよ……揺るぎのない事実だ。
勿論国際的テロ組織ではあるのだから、テロに使用されるであろうことはわかりきっていたのだが、それでもこんな少女たちに、一体何ができるのかという気持のほうが強かった。僕の班の担当は単に生体そのものの作成のみであって、その身体に尋常でない能力を植え付けるのは別の班の担当だったのだ。だから僕自身、それほどは罪の意識を感じずに研究を行うことができた。
しかしモンプエラに何をさせるつもりなのかという話を聞いたとき、流石に僕も戦慄を禁じ得なかった。黒川は世界征服のための、いわば兵力として彼女らを作り出したのだ。そして人間をいかに殺すことができるかという実証のために、研究所のある藤野市内にモンプエラを解放し、記録を取ることが決定された。
やがて四体のモンプエラが完成した。本当にそんなものができるのか疑わしくはあったが、実際に液体に満たされた培養水槽の中には、着実に、胎児の形をしたものが育ちつつあった。人間の赤ん坊と、全く変らない姿のそれがね。
しかしモンプエラを生み出したこの実験は、失敗ということになった。身体そのものには何の欠陥もなかった。それは完璧だったんだ。それが何故失敗とされたかといえば……この四体のモンプエラには「優しさ」が存在してしまっていたからだ。わかるかな、優しさだよ……。
黒川たちはモンプエラに、一種の反社会性を持たせようとしていた。つまり、他者への共感能力を排除して、所謂「サイコパス」の人格を作り出し、これに嗜虐性を加えて、真のmonstrumを生み出す気でいた。
他人に対する共感能力が欠如した、冷酷な怪物。しかしこの四体のモンプエラには、他人に対する共感能力が確かめられたのだ。普通はある程度の年齢を経て試験を行わなければわからないのだが、既に黒川の研究所には、脳波によって共感能力の有無を測定することのできる装置が開発されていたのだ。一体どれほどの研究者を擁し、どれほど人類の最先端を走る研究を行っているのか、僕などの末端には到底わからない……。
そう、それで、四体のモンプエラは失敗した試作品という烙印を押されることとなった。失敗作となれば、当然ながら処分の対象となる。取れるだけの情報を採取した後、所長は僕に、四体をまとめて殺処分するように命じた。よりによってこの僕に、まるでゴミを捨ててきてくれとでも言うような気楽さで!
その時の僕の苦悩がわかるだろうか? 目の前には白い布に包まれて、安らかな寝息を立てている四人の赤ん坊がいる。これを殺せというのか。そんなことは僕には絶対にできない。勿論、無抵抗の赤ん坊を殺すなんて、やろうとすれば余りにも易しいことだ。しかし、だからこそ、そんなおぞましい真似は僕には絶対にできなかった。
死んでしまおうかとさえ思った。四つの命を奪うくらいなら、贖罪の意味も込めて、自分が死んでしまおうかと。しかし考えてみれば、僕が自殺したからとて、この四つの命が救われるわけではない。あの研究所の冷血漢どもの手によって、いとも簡単に殺されるだけだ。
僕は考えた。そして或る日、四人の赤ん坊を抱えて研究所を出た。……その後はもうわかるだろう。僕は市内の病院を廻って、その玄関にその籠を置いて歩いたのだ。本当に申し訳のない気持だった。これからこの子たちは家族のいない捨て子として、どのように生きていくのだろうと思うと、胸の張り裂けそうな思いがした。しかし……しかし、殺すよりはどんなにかましだろう! だって、死んでしまえば……死んでしまえば……もう全ておしまいじゃないか……。
……実験の失敗以来、モンプエラの研究は中止された。他にもっといいものがあると、黒川も考えたのに違いない。十数年間は他の研究に僕は没頭することができた。しかしその間も、四人の女の子たちのことは僕の頭を離れなかった。忘れられるわけがなかった。四人もの人生を、他ならぬ僕自身が、大きく変えてしまったわけだからね。……君たちのことを忘れた日は、一日たりともなかったのだよ。
今街で殺人行為を行っているモンプエラは、十年前になって研究が再開され、そして成功した「第二世代モンプエラ」だ。文字通りのサイコパスと化した、人殺しを楽しむ機械のような連中だよ。……いや、実験は、成功したとは言い難いかもしれない。今でも時々、共感能力を持ったモンプエラが現れるからね。しかし今ではもう殺処分はすることなく、できた順から街へ解放している状態だ。
……これが、罪深い一人の男の半生の告白だ。
しばしの沈黙の後、最初に口を開いたのは亜紀だった。
「博司さんが、私たちを救って下さったことはわかりました。その意味で私たちにとって、あなたは命の恩人と言えるかもしれません」
そこで彼女は言葉を区切り、少し躊躇ってから続けた。
「でも私は、まだそのことを、どう考えればいいのかわかりません。博司さんは私たちの命を助けて下さったのと同時に、テロ組織に手を貸し、これほどに恐ろしいものを生み出してしまったのですから。モンプエラである私は、本当はこんなことを言いたくありませんが、モンプエラが生れなければ、今市内で次々と起きている殺人事件だって……」
早穂は亜紀に視線を向けて口を開きかけたが、思い止まった様子で黙り、天音と顔を見合せた。そして博司に問い掛けた。
「あの、今でも博司さんは、ブラックローズの研究所で、モンプエラの研究に携わってるんですか?」
「ああ、そうだ……」
博司は神妙にそう答え、亜紀は再び口を開いた。
「私にはそれが理解できません。何故罪の意識を感じながら、尚も黒川たちに手を貸すんですか。あなたは間接的に、殺人を犯しているんですよ」
亜紀は思わず声を高くし、店内であることを思い出して言葉を打ち切った。目の前にいる男に対しての感情を、彼女はすぐに整理することはできなかった。天音はどうなのかわからなかったが、恐らく早穂も同じであったろう。今言ったように、彼は命の恩人であるとも言えたが、湧き上がってくるのは寧ろ憎悪に近い感情だった。博司の語っていることが事実であるなら、全ての元凶は彼の勤めている細胞学研究所、そして、ブラックローズを率いる黒川義三郎であるということになる。そして黒川がここにいない以上、ブラックローズへの全ての感情は、自然と目の前にいる博司に注ぎ込まれるのだった。
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