第四十八話 赤い触手に捕らわれ
赤い花を付けた長い髪の、桃色のワンピースを身にまとったその少女の身体の両側面からは、鮮やかな赤色の触手が何本も飛び出し、獲物へと向ってゆっくりと伸びていこうとしていた。二人は思わず息を呑んで立ち止ったが、最初に亜紀が叫び声を上げながら、変身する間もなく、モンプエラへと向って飛び掛かっていった。
相手の少女――シーアネモネモンプエラは振り向く間もなく、亜紀と共に折り重なるようにして地面へ倒れた。その隙に早穂が老人を助け起し、何とかして安全な場所へ避難させようと格闘し始めた。
「何よ、あなたたち……」
苛立たしげに亜紀を突き飛ばして起き上ったシーアネモネは、亜紀が半人態へ変身したのを見て一瞬驚きの表情を見せた。しかしすぐに不敵な笑みを浮べ、全ての触手を一斉に、亜紀へと向って繰り出した。
亜紀は大きく跳躍してこれを躱し、転がるようにして着地しながら、長剣を召喚して手元に引き寄せた。そして再び触手が勢いよく伸びてきたところへ、大きく腕を振るって一閃させた。瞬間、銀色の光が空中を走った。
鮮やかな断面を見せて切断された数本の触手が、力を喪って地面へと落下した。シーアネモネが怯んだところへ、亜紀は剣を構えて飛び掛かった。県の柄を両手で握り締め、自分を見上げている敵の脳天へと、一直線に振り下ろそうとした。
しかし次の瞬間、亜紀は空中で、自分の動きが封じられたのを感じた。何が起ったのか理解できぬまま、違和感を覚えた右脚を見下ろしたとき、右足首に絡みついた、一本の触手が目に入った。
しまった、と亜紀が思った瞬間、残っていた触手が一斉に亜紀を捉え、忽ちに両手首、腕、両脚に絡みつき、締め上げた。長剣は手から奪い去られ、地面へと棄てられた。亜紀は必死にもがいたが、触手の力は異様なまでに強かった。締め付ける力は却って強くなり、亜紀はその痛みに、小さく呻き声を洩らした。亜紀、という早穂の叫び声が聞えた。
「すぐに楽にしてあげるよ」
幾本もの触手を操りながら、地上で微笑しているシーアネモネの姿が、亜紀の目に入った。と同時に、半人態へと変身した早穂へと残った触手が伸びていき、飛び退いた彼女の足首を、力強く捉えた。
「ちょっと、何なのこの触手! 有り得ないでしょ!」
早穂はそう叫んで身をよじったが、触手は離れない。亜紀は絶望的な眼でその光景を眺め、シーアネモネは満面の笑みを浮べた。
「まずはあなたからね」
そう言って敵が亜紀を見上げた途端、亜紀は忽ちにして全身から力が奪われ、痺れていくのを感じた。亜紀は呻きながら抵抗を試みたが、身体からは感覚が、急速に喪われていきつつあった。
そのとき、一発の銃声が響き渡り、触手の力が俄かに弱まった。以前にも聞いたことのあるその銃声に、亜紀は何が起ったのかを即座に理解した。早穂が銃を召喚し、亜紀を締め付けている触手へと向って、発砲したのである。続けざまに数発の銃弾が発射され、数本の触手が千切れて、肉片を散らしながら弾け飛んだ。
早穂の足首に絡み付いた触手も、銃撃により忽ち千切れ飛んだ。早穂はすぐさま、大きく飛び退いて距離を取った。
亜紀も同時に緊縛から解放されて地面へと落下したが、受け身をとって瞬時に立ち上り、落ちていた長剣を拾い上げた。しかし本体である身体にも数発の銃弾を受けたシーアネモネは、既に戦意を喪失していた。唸りながら二三歩後ずさると、大きく跳躍して本殿の屋根へと飛び上った。亜紀と早穂は急いで裏側へと廻り込んだが、既にモンプエラの姿はなかった。
「逃したか……」
「いなくなったみたいね」
二人は顔を見合せて溜息をつき、元の姿へと戻った。何となく塞いだ気持になり、ひとまず鳥居のところまで戻ってきたとき、傍の木蔭から何者かが現れ、二人の前に立った。二人は思わず身体を硬くした。
しかしそれは、シーアネモネではなかった。艶やかな茶髪を、長く背中まで伸ばした少女だった。まるで急いで駆けてきたかのように、息を切らしている。真直ぐに切り揃えた前髪の下の、その美しく整った顔を見て、亜紀は思わず声を洩らした。そこにいたのは、弟の中学時代の先輩であるという、あの少女だった。
「御廚……天音さん……?」
「何? 知り合いなの?」
何か困ったような表情を浮べて立ち竦んでいる天音と、亜紀とを交互に見比べながら、早穂が訝しげに尋ねた。うん、と曖昧な頷きを与えながら、亜紀は相手へと声を掛けた。
「天音さん、どうされたんですか。こんなところで……」
天音は何を言うべきか、思い迷っている様子だった。もしや今の戦いを見られたのではないかと、亜紀は不安に駆られた。早穂も同じ心境であるらしく、心配そうな表情で天音の様子を窺っていた。
「あの……」天音は絞り出すような声で言った。「お二人とも、モンプエラ、なんですよね……?」
亜紀は絶句した。天音の口からその言葉が発せられたことが、すぐには信じられなかった。何故彼女がモンプエラなどという言葉を知っているのか、全く理解できなかった。しかし確かに、それは聞き違いなどではなかった。
「どうして……」とようやく亜紀は口を開いた。「知っているの……?」
天音ははにかむように、亜紀から眼を逸らしてうつむいた。その表情には、迷いが現れていた。しかしすぐに、決意した様子で顔を上げると、天音は言った。
「実は私も……、モンプエラだからです」
「天音さんが?」
亜紀はそれ以上何を言うべきかわからず、早穂と顔を見合せた。天音もそれ以上何を言うべきか迷っている様子で、三人の間には沈黙が流れた。
沈黙を破ったのは早穂だった。苦笑に似た笑みを浮べながら、彼女はポケットから割引券を引張り出すと、二人の顔を交互に見比べて言ったのである。
「折角だし、三人でハンバーガー食べに行こうか」
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