第三十話 土龍
帰り道、亜紀はバスに揺られながら、小林から聞いた謎の事件について、再び考えを巡らせた。施設から脱走し、忽然と姿を消した一人の少女。彼女もまた病院の玄関に遺棄されていたと言い、小林によれば年齢までも殆ど同じであったというのだから、やはり亜紀や早穂に関連しているような気がしてならなかった。もしかしてその少女もまた、モンプエラの一員であるのかもしれない。
ともかく週明け、早穂にこのことは話してみよう、と決心して、亜紀は最寄りの停留所でバスを降りた。午後の日光が照り付ける閑静な住宅街を歩いていたとき、突然彼女の耳に、子供の悲鳴が聞えてきた。
「まさか……!」
亜紀は走り出した。この近くには公園があり、悲鳴は確かにそこから聞えてきたものに相違なかった。一目散に園内へと駆け込んだ亜紀は、公衆便所の壁際に追い詰められている一人の子供と、彼に歩み寄っていく、一人の少女の姿を認めた。
少女は昔の兵隊のような、カーキ色の服を全身にまとい、脚には古びた脚絆を巻いてもいた。亜紀の足音を聞きつけて振り返ったその頭には、黒光りする鉄兜を被っていた。その鍔の部分は、異様に尖って前方へと突き出しており、その上にはゴーグルが結わえられていた。その異様な装備を見るよりも早く、カーキ色のスカートの下から飛び出している、茶色の毛に覆われた尻尾を見て、亜紀は相手がモンプエラであることを悟った。
「何だ、お前は?」
荒く息をつきながら立ち止った亜紀を見て、モンプエラは眼を訝しげに細めた。その隙に子供は踵を返して逃げ去ったが、最早追うつもりはないらしかった。
「あなたと同じ、モンプエラよ」
亜紀は半人態へと変身し、相手の細い眼を見つめ返した。そのとき、不意に不思議な感情が生れた。それは同じモンプエラであるこの相手なら、自分たちがどういった生物であるのかを教えてくれるのではないかという期待感でもあり、この少女も自分と同類の生き物なんだという、親近感にも似た感情でもあった。
すぐに亜紀は、そんな感情を抱いたことを自分でも不思議に思ったが、とにかく一度、尋ねてみる価値はあるのではないかと思った。亜紀は逸る心を落着け、武器を取り出すことはせずに、こう相手に語り掛けた。
「教えて……欲しいことがあるの」
「はあ?」
少女は明らかに馬鹿にした声を上げたが、亜紀はこらえた。
「私たちが……モンプエラというのが、どういう生き物であるのか。もし知っていたら、何でもいいから教えてほしいの」
「なんで、答えなきゃあいけないわけ?」相手は嘲笑した。「というかさ、何? 折角私が殺そうとしてた餓鬼を逃した落し前、付けてくれんの?」
亜紀は絶句した。これは到底話が通じる相手ではない、そう感じて身構えた瞬間、相手は空中に手を突き出して、光り輝く一本のスコップをそこから召喚し、引き寄せて握り締めた。
「代りにお前を殺るわ。別にモンプエラを殺してはいけないって決りはねえし、何なら人殺しより面白いかもな!」
飛び掛かってきた相手の攻撃を、横へ飛び退くことで何とか躱し、回転しながら地面を転がった亜紀は、瞬時に空中に手を伸ばして、銀色の長剣を召喚した。攻撃が空振りに終った相手は、舌打ちをしながら振り向いて、再びスコップを振り上げた。
「逃げてんじゃねえぞ、モールモンプエラ様に大人しく殺されろや!」
立ち上りざまに亜紀の振るった長剣が、振り下ろされたスコップの刃と衝突し、耳の痛くなるような金属音を響かせた。モールは歯を喰い縛りながらスコップの柄に力を籠めたが、亜紀も下側から必死に剣を支えていた。やがて膠着状態が長引くことを恐れたらしきモールは、地を蹴って飛び退り、亜紀は重圧から解放された。
亜紀は息をつきながら立ち上り、武器を構え直したモールを見遣った。どうして同じモンプエラ同士で、こんな風に殺し合わなくてはならないのだろう、という思いが強く込み上げた。こうも軽々しく、命の奪い合いをしていいものなのだろうか。自分が異常事態に置かれていることを改めて感じ、亜紀は精神的な疲労が一気に込み上げてくるのを感じた。
「どうした、怖気づいたか?」
モールは嘲笑を顔に浮べ、スコップを振り上げて飛び掛かってきた。亜紀は咄嗟にこれを躱しながら長剣を突き出し、その尖端はモールの腕から肩に掛けてを僅かに切り裂いた。血だ、と亜紀は思った。しかし同時に、敵のスコップの刃も、亜紀の肩口を撫でるように掠めていた。鋭い痛みが走り、地面へと転がって肩を確認した亜紀は、服が裂け、傷から血が流れているのを認めた。
「てめえ!」
怒りに顔を紅潮させてスコップを左手へ持ち替え、モールは再び亜紀へ突進した。亜紀は立ち上り、迎え撃つべく長剣を構えたが、次の瞬間、弾かれるような大きな金属音が響き渡った。モールと亜紀は同時に、同方向へと視線を向けた。
茂みの向うに、銃を構えている少女の姿があった。見ればそれは半人態の早穂で、銃口から立ち昇る硝煙が、たった今彼女が銃撃を行ったことを告げていた。しかしそれは惜しくも当らず、モールが構えていたスコップに弾痕を残したに過ぎなかった。しかし二人目の敵の登場は、手負いのモールの戦意を喪失させたらしかった。
「てめえら……覚えてろ……」
モールは唸りながら後ずさり、踵を返すと、背後にある砂場へと走り寄った。それまで亜紀は全く気が付かなかったのだが、見ればその中央には大きな穴が黒々と口を開けており、モールはスコップを投げ棄てると、辷るようにその中へと飛び込んだ。
亜紀は慌てて走り寄ったが、モールが飛び込むと共にその入口は崩れ落ち、陥没した小さな窪みのようなものだけが残された。早穂も駆け寄ってくると、穴の跡を見下ろして口惜しそうに舌打ちをした。
「逃げられたね」
亜紀を振り向いた早穂は、肩口の傷を認めて大声を上げた。「亜紀! 血が出てる……大丈夫?」
「うん、大したことない」
亜紀は傷口を手で押さえ、耐え難い心痛に息をついた。どうして、いつまでこんなことを続けなければならないのだろう、そんな思いが込み上げてきて止らなかった。荒々しいモールの言葉、殺意を漲らせて襲い掛かってきたあの表情が、いつまでも脳裡に反響して消え去らなかった。
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