第二十八話 天使と悪魔

「なるほど、貴重なお話をどうもありがとうございました」

 やがて話を聞き終えると、白井は満足げに頷いて言った。「天の声……つまり神の声が、あなたにユーストステッキと、ユーストソード、その二つの武器を授けたというわけですね」

「神の声なのかは分かりませんが……。確かにそう聞えました」

「今、その二つの武器はお持ちですか?」

「ユーストソードの方は、敵を倒した直後に、蒸発するように私の手の中から消えてしまいました。恐らくあれは、必要な時にだけ現れるものなんだと思います。ユーストステッキの方は、ええ……ここに持っています」

 桃香は傍らに置いた学校鞄に、そっと手を触れた。今でも常にその底には、ステッキが収められているのだった。白井の視線が鞄の上に素早く走った。

「よろしければ、見せては頂けませんか?」

「ええ……」ここまで来れば、もう躊躇は殆どなかった。ユーストステッキは呆気なく取り出され、薄暗い洋燈の光の下で、両端に象嵌された桃色の宝石を燦めかせた。白井は太田に命じて手袋を取って来させ、それを嵌めた手で、押し頂くようにステッキを受け取った。

「これが、神から授かった杖ですか」感慨深そうに、白井は様々な角度からステッキを眺めた。それが神の作り出したものであるということは、既に彼にとっては確信と化しているようだった。「太田、貴重な機会だ。お前も見てはどうだ。……構いませんか?」

「ええ、どうぞ」

「恐れ入ります」太田は立って来ると、自らも手袋をしてステッキを手に取った。「美しい品ですね。これを使って変身されるのですか」

「はい。でも……」と桃香は白井を振り返った。「私がこれまでに手に入れた武器は、これだけです。先程のご説明では……」

 と言いかけて、彼女はやや口ごもったが、

「その『神の声』では、『剣を振ひ弓を射て』という言葉があったと聞きました。剣はユーストソードのこととしても、弓の方はどこにあるのでしょうか。私が弓を必要としたときに、現れるものなのでしょうか」

「恐らく、その通りと思われます。あなたがユーストガールに変身し、弓を求めたならば、たちどころにそれは顕現するでしょう。しかし……」

 白井は息をついて続けた。

「真先に顕れた武器が剣であったということは、恐らくあなたの真に使いこなせる武器は剣だということではないでしょうか。そして、弓を始めとする武器の真の使い手は、他にいるのでしょう」

「そうなのでしょうか?」

そう言われても、桃香は俄かに信じることはできなかった。

「実は」と白井は身を乗り出した。「既に私たちはあなたの他に、もう一人のユーストガールを見つけているのです。そして彼女は、これまでに弓矢を主に使用して、モンプエラを倒してきたとのことでした」

「何ですって!」驚きの余り、無意識に桃香は立ち上っていた。「それは誰ですか? 本当に、私の仲間が……いるんですか!」

「今、お連れしましょう」

 白井に目配せされると、太田は頷いて部屋を出て行った。

「ここに、いるんですか……?」

「ええ、桃香さんが来られるということで、是非お引合せしたいと思いまして、お呼びさせて頂いたのです。これはご返却します」ステッキを桃香に返して、白井は手袋を外した。桃香は返されたステッキを鞄に仕舞い込みながら、落着かない気持で太田が戻って来るのを待った。

「こちらです」

 太田による案内の声に、桃香は振り向いた。そして先に立って部屋に入ってきた人物を見て、思わず眼を丸くした。

「生徒会長……!」

 そこに現れたのは、紛れもない、ウィステリア学院高校のあの生徒会長、水野碧衣だった。長身の身体を部屋の入口に現し、長い髪を揺らして、彼女は静かに歩み入ってきた。

 桃香は茫然としてその姿を見つめていたが、そんな彼女を、相手はさして驚きもしていない様子で冷淡に見返し、促されるままに桃香の隣に腰を掛けた。そして一旦坐るともう、桃香の方を見返そうとすらしないのだった。桃香はそれに何らかの感情を抱く暇もないほどに驚愕し、混乱した。これは何かの冗談ではないのかとさえ思った。

「驚かれましたかな?」白井はそんな桃香の様子を見て、微笑しつつ言った。「お二人が同じ高校に通っておられるということは把握しておりましたが、どうやらお知り合いでもあったようですね。これは私も予想外でした」

「ええ……」桃香はやっとのことで言葉を絞り出した。「でも、どうして……」

「どうしてもこうしてもないわ」碧衣は桃香のほうに眼を向けぬまま、初めて口を開いた。「同じ高校に通う私たちが、偶然ユーストガールとして選ばれた存在だった。ただそれだけのことよ」

 桃香は必死に頭を整理しようとしながらも、突然碧衣に呼び出され、化学室でされた質問のことを思い出していた。

「……先輩は以前から、私がユーストガールであったことをご存じだったんですか? だから私を呼び出して……」

「だから何だというの」碧衣は溜息をついた。「ユーストガールは普通の人間じゃない。これほど身近に仲間がいれば、感知するのは容易なことだわ」

 そして横目で、睨むように桃香を見た。

「でも正直に言って、私は落胆した。『ユーストピンク』はもっと理智的で、冷静で、的確な判断をできる存在であって欲しかったから。私は期待していたのよ、私の他にもユーストガールが存在すると知ってから、まだ見ぬその仲間に対して」

 桃香は表情を硬くしてうなだれた。廊下で一度ぶつかったほか、ほんの僅かな会話しか交していない相手に何がわかるのだろう、とも思ったが、生徒会長という謎めいた存在、そして有無を言わせぬ威圧的な碧衣の態度が、自分の全てを見透かしているようにも感じられるのだった。

「確かに私とあなたとでは、ユーストガールとして活動を始めてから半年ほどの差しかない。しかしその半年間に、私は『ユーストアクア』として戦うことに、情熱も矜恃も持つようになっていたのよ……」

 碧衣は傍らの鞄から、何かを取り出した。それは桃香のものと完全に同型のユーストステッキであったが、桃香のステッキでは桃色であるところが全て水色に塗られており、嵌め込まれている宝石も、南国の海のような鮮やかな青を湛えていた。これがユーストアクアのステッキなのか、と桃香は沈んだ気持で思った。

「碧衣さん、私はそうは思いませんがな」白井は、鷹揚な笑みを浮べたまま言った。「桃香さんからもお話をお聞きしましたが、彼女もまた優れた戦士であり、覚悟を持って悪魔との戦いをされてきた方です。お二人は共に、神から選ばれた存在なのですから。偶然選ばれたわけではない、お二人こそが正にこの地球上で最適であり、他に替えの利かない優位性を持っているからこそ、ユーストガールと成り得たのです」

 桃香はやや救われたような気持になりながらも、やはり神の子、選ばれた存在などといった言葉に対する違和感を拭うことができなかった。しかし意外なことに碧衣は、悔しそうな表情をしながらも黙り込んだ。

「あの」と、思い出して桃香は顔を上げた。「結局、私たちがすべきことは何なんでしょうか? モンプエラというあの化け物と、戦うことが私たちの使命なんですか?」

「その通りです」と白井は頷いた。「碧衣さんは既に知っておられる通りですが、正にあなた方は、そのために天から遣わされたといっていいでしょう。地に蔓延る悪魔を滅ぼすため、天の定めがお二人を生み出したのです。勿論、悪魔たちが現れ出したのは今年の初め頃からだ、と桃香さんは思われるでしょう。

しかし十七年前ですかな、あなた方が遣わされたそのときから、既に悪魔の出現を神は予測しており、そのために手を打たれたのです。この際、御両親は普通の人間だとか、そういったことは一切関係がありません」

「悪魔っていうのは……」桃香は尚も、疑いを拭い切れぬまま尋ねた。「モンプエラのことなんですよね? どうしてモンプエラは、今年から突然現れ始めたんですか?」

「それだけ、世に蔓延る悪の総量が増えてきたということでしょう」

 白井の口調には、突然、不思議に哀切な響きが籠った。

「人々が善心を持って暮しているのならば、悪魔の生れる余地はありません。悪魔が現れ出したということは、それだけ世の人の心が頽廃しているという証拠に他なりません。それに吸い寄せられ、悪魔はこの世ならざる闇の中から、人々が悪心を持てば持つだけ、現れてくるのです」

 しかしその答えもまた、桃香を満足させるものではなかった。彼女は不満を抑えて黙り込んだ。碧衣はこんな白井の言説に納得しているのだろうか、と疑問にも思った。僅かな沈黙が流れた。

「さて、お二人が揃ったことですし、祈禱室の方でもご案内させて頂きましょうか」

 会話が途切れたところで、白井は杖をついて立ち上った。

 太田に案内されて、桃香たちは別室へと向った。そして足を踏み入れたそこは、教会のように木製の長椅子が左右に並べられ、正面には巨大な祭壇が設えられた、天井の高い部屋だった。電燈は板張りの天井から下がった唐風の洋燈のみで、部屋は全体として薄暗い。その中に大きな仏壇のような黒い祭壇は、陰惨にも思える影をまとって鎮座していた。

「ここで私は神の声を聞くのです。この部屋でなければいけないということはないのですが、祭壇のあるここが、やはり最も適した場所ですね」

 寺院の本堂のようでもあり、教会のようでもありながらそのいずれでもないこの奇妙な部屋を見て、桃香は尚も深い猜疑を捨て切れなかったが、その説明に応じて、背後で碧衣の声がした。

「いつもながら、ここへ来ると落着きますね。私も神様のお声を聞きたいものです」

 桃香は驚いて振り向いたが、碧衣はふざけた様子もなく、平然として白井と言葉を交していた。狐につままれたような思いで、桃香は二人の話す姿を眺めていたが、先日化学室で碧衣からぶつけられたあの質問が、そのとき脳裡に蘇った。

 ――あなた、神というものを信じる?

「生徒会長、ここの信者だったんだ……」

 茫然として呟いた桃香の視線の端に、何か動くものの影が見えた。

 素早くそちらへと眼を向けた桃香は、それまで暗さでよく見えなかった前列の席に、一人の少女が着いていたのを認めた。彼女は白井や太田と同じ、あの袈裟のような衣裳を身にまとっていた。彼女は立ち上り、桃香のほうを振り向くことなしに祈禱室を出て行った。あれも信徒なのだろうか、あんな自分と同じぐらいの歳に見える少女も、と考え、桃香は何か恐ろしさを感じて身震いした。

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