第二十七話 教祖・白井純洞
老婆に別れを告げて、桃香は教えられたとおりの道を歩いて行った。林への入口は確かにあり、思っていたよりは広い舗装された道路が、ずっと奥まで続いていた。そしてその入口には、行燈を模したような大きな看板が立てられ、「崇天教 総本部」と大書されていた。
桃香は整然と植えられた杉林の間の道を歩いて行った。鳥の呼び交す鳴き声が時折するほかは、辺りは静まり返っていた。
しかし徐々に道の突き当りにあるものが見えてくるにつれ、桃香は驚きを禁じ得なくなった。そこに聳え立っていた建造物は、余りにも巨大だった。広い石畳とその奥の大階段の果てに、崇天教総本部なるその建物は、巨大なコンクリート製の柱を幾つも立て、巨大な破風を広げ、屋根には金色の装飾を付けて、荘厳に屹立していた。迫力に呑まれそうになりながら、桃香は寺院の伽藍を模したようなその建物を、ただ茫然と見上げていた。
やがて我に返った桃香は、取り敢えず石畳へと足を踏み出し、真直ぐに建物へと向った。石畳の左手に広い駐車場があり、そこから歩いてくる信徒らしき人々が、通り過ぎざまに、笑みを浮べて次々と桃香に会釈をした。桃香も慌てて、ぎこちなく会釈を繰り返した。
信徒たちは正面に設けられた大階段を上り、太い列柱の間にあるらしき正面玄関へと足を踏み入れていくようであった。桃香も強い緊張を感じながら、学校鞄の把手を握り締め、その後へと続いた。
「佐々井、桃香さんですね」
階段を上りきったところで、石柱の蔭から、一人の男が進み出た。桃香は驚いて立ち止った。四十代前半ぐらいと思われる、色の白い美形の男で、ポスターに載っていた白井の写真のような、袈裟のような衣裳を身にまとっている。自分が大階段を上ってくるところを、ずっと見ていたのだろうかと桃香は思った。
「わたくし、太田智征と申します。お待ちしておりました、どうぞ」
太田は頭を下げて、桃香を鄭重に奥へと案内した。桃香は言われるがまま彼に続いて、観音開きの大きな入口から中に入った。
入ってすぐの所は二階分の吹き抜けとなっている、大きなロビーになっていた。桃香は興味深く辺りを見回しながら歩いた。ここにも「第二十五回 白井純洞大講演会」を始めとするポスターが何枚も貼られていた。
太田は奥へと進んでいき、重厚な木の扉を開けて桃香を通した。そこは応接間らしい、洋風の薄暗い部屋だった。くすんだような光を放つ洋燈が天井から吊るされ、アンティーク調の一対の布張りの長椅子が、小さな卓子を挾んで向かい合っている。桃香は促されるままに、そのソファの一つに腰を掛けた。その深さはうっかりしていると、彼女の腰が埋まってしまいそうなほどだった。一人の若い女が入ってきて、紅茶の入ったカップを二つ並べていった。
「白井先生を呼んで参りますので、少々お待ち下さい」
そう言って太田は出て行き、桃香は一人取り残された。まるで用件もわからぬままに先生に用事があるからと呼ばれたときのような、苛立たしい緊張感に包まれて、桃香は身体を硬くした。気持をほぐそうと周囲を見渡すと、アンティーク調の洒落た小簞笥、壁に掛けられた絵画などが眼に入った。花瓶に活けられた紅い花を描いた、水彩画らしき絵である。他にも似たような絵が数点飾られており、桃香はその質素な絵に何故か心を惹かれて、長椅子に腰掛けたまま、ぼんやりとそれらに見入っていた。
そのとき部屋の扉が開かれ、彼女は慌てて姿勢を正した。
「こんにちは。初めまして、白井純洞です」
「こんにちは。……佐々井桃香です」
桃香は慌てて立ち上り、頭を下げた。
太田と共に現れたその老人は、ポスターの姿そのままだった。白髪に覆われた頭、仙人のような長い顎鬚、袈裟のような奇妙な服装。皺の刻まれた顔に笑みを浮べ、片手の杖で身体を支えたまま、彼は鄭重に一礼した。
「どうぞどうぞ、お坐り下さい」
老人は徐ろにソファへと腰を下し、桃香も再び腰掛けた。
「どうも御足労をお掛けしました……。わざわざお呼びして誠に申し訳ない。わざわざお越し下さり、本当にありがとうございます」
「いえ……」
それ以上、桃香には言うべき言葉がなかった。白井は続けた。
「しかし、私はどうしてもあなたにお会いしたかったのです。それが何故か、もう大体の理由はご存じでしょうが……。
あなたは素晴らしい力を持っておられる。普通の人間には到底手に入れることのできない力を。それはつまり、あなたが選ばれた者であるということを示しているのです」
「お尋ねしたいことがあります」と桃香は尋ねた。「どうして私の、この力のことを知っておられるのですか? 中野本部の前代さんという方は、長くここの神様を信仰していると、自然とわかるようになるものだというようなことを仰っていましたが……」
その言葉を聞くと、白井は深く頷いて答えた。
「それを疑問に思われるのは尤もです。確かにその説明だけでは要領を得ないでしょうから、私が代わってご説明しましょう。
実はですね、お告げ、と言えばご理解頂けるでしょうか、そういうものがあったのです」
「お告げ……ですか」
桃香は、また胡散臭くなってきたな、と思いながら白井の顔を見据えた。その心の内を読み取ったかのように、老人は微笑して答えた。
「ええ。やはり、部外者の方には信じてもらいにくいかもしれません。しかしですね、実は私には、神の声を聞くという能力が備わっているのです。後でご案内しますが、この建物には祭壇を備えた祈禱室というところがございまして、そこで私は日に一度、天上の神の声を聞くしきたりとなっております」
「神の声……?」桃香は眉を寄せた。
「ええ、あの言葉を聞いたのは数ヶ月前のことでした。そして、神は私に仰ったのです……」
白井は顔を上げ、どこか遠くを見るようにした。
「『地に悪魔生れ来り。されど悪魔を滅ぼし得る、神の子なりし天使、亦地に生れ来り。此れ数名の少女にして、剣を振ひ弓を射て、悪魔を征伐すべき唯一の存在なり。汝起ちて、我の教へを以て、須く彼女等を扶けよ』と」
桃香は猜疑を押し隠しながら話を聞いていたが、その言葉を聞いて、大きく眼を見開いた。
「悪魔を滅ぼし得る……天使? それが私達だというわけですか?」
「信じ難いことかもしれませんが」白井は重々しく頷いた。
「そんな、信じられません」桃香は大きくかぶりを振った。「私はただの人間です。私の父と母も普通の人間です。いきなり神の子だとか、天使だとか言われても、信じられるわけがありません。余りにそんなこと、馬鹿げています」
「馬鹿げている?」
顔を上げて桃香を見据えた白井の目つきの鋭さに、桃香は射すくめられたように固まった。しかしその表情も忽ち消えて、元の柔和な微笑に返ると、老人は彼女に尋ねた。
「教えて下さいませんか、あなたがいつから、どのようにして驚異的能力を発揮できるようになったのか。勿論、わかっていないことも数多あるとは思いますから、わかっている範囲だけで構いません、どうか私共にも、お教え頂きたく思います」
桃香はやや躊躇したが、当初からそのつもりで来たのだからと、やがて語り始めた。マンティスモンプエラと名乗る化け物に襲われたこと、その時にどこからか声が聞え、ユーストステッキという道具が現れたこと、不思議な姿に変身し化け物を撃退したこと。二度目の交戦ではユーストソードという武器が出てきたこと、それでマンティスは倒したものの、二人目の化け物は取り逃がしてしまったこと……。
それらの話を聞いている間、白井は相槌を打ちながら、言葉を挾まずに聞いていた。少し離れたところでは太田が執事のように、直立して話を聞いていた。その様子にやや落着かぬものを感じながらも、桃香は話し続けた。
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