第二十四話 崇天教中野支部

「ええ……」

 熱に浮かされたような心持で、いつしか桃香は答えていた。「あれが、天の声と呼ばれるものなら……。そして私が本当に、選ばれし者であるというのなら……」

 老人はその答えを待っていたかのように、重々しく頷いて言った。

「やはり、そうでございましたか。宜しければ、少し来て頂くことはできませんでしょうか。なに、崇天教への勧誘というわけではございません。ただ、その力のことを知ってしまった以上、どうしてもお嬢さんのことが気になりましてね」

「どこへですか? 何をするんですか?」と桃香は尋ね返した。

「こちらです、この支部の建物で少々お話を伺いたいと思いまして」老人は背後の建物を指差した。「ご安心下さい、何も怖いことはありませんから」

 コンクリート造りの、その二階建ての小さな建物を見上げて、僅かな逡巡ののちに桃香は頷いた。老人は笑みを浮べ、「どうぞどうぞ」と手で建物の方向を指して、先に中へと入っていった。桃香も気後れを感じながらその後に続いた。

 入った先に小さなロビーのような空間があり、向って左側が受付になっている。中は冷房が効いていて涼しかった。太った眼鏡の中年女が、前代と共に入ってきた桃香を睨むような眼でじろりと見た。

「ちょっとここでお待ちください、お話をしてきますので」

 老人は病院の待合室のようなそのロビーの長椅子の一つを指し示すと、受付の脇の戸を開けて、その奥にある、恐らく事務室と思われる部屋へと入っていった。

 取り残された桃香は落ち着かない心持で、緑色のビニールの張られたその長椅子に腰かけ、ロビーを見渡した。「第二十五回 白井純洞大講演会」「全国に広がる崇天教」などと大書されたポスターが何枚か貼られているのが目に入った。講演会のポスターには、僧侶の袈裟のようでありながら袈裟ではない、妙な服を身にまとった白髪の老人の写真が印刷されている。

 これが白井純洞という人か、と桃香は思った。毎日、建物の壁に張られたポスターを目にしてはいるが、こうしてまじまじと眺めるのは初めてのことである。崇天教などというものに、当然これまで桃香は何の接点も持ってはいなかった。しかし以前よりも、崇天教の名前を聞く機会は増えた。最近は殊に勢力を伸ばしているらしく、同学年にも、あの子って崇天教の信者なんだって、と噂されている生徒がいたりした。顔と名前を知っている程度の生徒であったので、そのときは全然気には留めなかったのだが。

「いやいや、お待たせしました」

 老人が再びやってきて、桃香を別室へと誘導した。そこは清潔な、白い応接室で、机を挾んで一対のソファが置かれている。ここへ来て桃香は、自分がとんでもないようなところへやって来てしまったような思いがして、俄かに不安と困惑を覚えた。

しかし目の前に腰掛けた老人はそんなことには頓着せず、思い出したように名刺を取り出して、鄭重な手付きで桃香に渡した。

「すっかり申し遅れておりましたが、私、こういう者でございまして」

 桃香は手渡された名刺を見た。「崇天教中野支部長 前代潔」と印刷されている。支部長ということは偉い人なのだろうか、と思いながら、彼女はひとまずそれを机の脇に置いた。

 前代は名刺入れを懐へ仕舞うと、微かに身を乗り出して尋ねた。

「お嬢さんのお名前を伺っても?」

「ええ、佐々井……佐々井桃香です」

「桃香さんですね、桃香さん」前代は頷いた。「実は先程……本部のほうに電話をしてみたのですよ。すると白井先生が……白井純洞先生が、是非あなたにお会いしたい、と仰られたとのことでした」

「私に……ですか? 何故……」

 桃香は余りに突然のことに、驚愕を隠せなかった。白井純洞、それはたった今部屋に張られていたポスターの写真で見たばかりの、恐らくこの教団の頂点に君臨するであろう人物だった。そんな人物が突然、自分に面会を申し込んでくるなどということが有り得るものだろうか。俄かには信じられなかった。

「それは勿論、あなたが選ばれたものの能力をお持ちだからです」

 前代は重々しくそう告げて、おわかりでしょう、といった目付きで桃香を見た。桃香は自分の、ユーストガールとしての能力について考えた。

「一つ聞かせて下さい」と桃香は口を開いた。「どうして、私の能力について……おわかりになったのですか?」

「私も入信してから長いものでしてな」と前代は微笑した。「神の加護を受けて、大抵のことは見通せるようになりました。全ては天日大神様の功徳のお蔭です」

 それは期待していた回答ではなかったので、桃香は黙り込んだ。しかし前代は尚も柔らかな口調で、彼女の意思を確かめようとした。

「どうでしょう、一度あなたの貴重なお話を、白井先生にお話して頂けませんでしょうか? もしご自身の能力についてわかっておられないことがあれば、それを解明するための一助になるかもしれません」

 桃香を動かしたのは二つ目の言葉だった。現状では何もわかっていないユーストガールについて、少しでも手掛かりになるものを手に入れられる可能性というのは、彼女にとって抗し難い魅力だった。もしかしたら何かの不思議な力で、全てが明らかになるのかもしれない、そんな思いがふと桃香の脳裡を掠めた。

桃香は顔を上げ、最早躊躇わずに、決然と答えた。

「わかりました。その方に一度、お会いしてみたいと思います」

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