第十三話 魔法少女……なの?

 桃香は一人部屋に佇み、目の前に置かれたステッキを見つめていた。

 昨夜に自分が行ったことを、彼女はまだ信じられぬ思いでいた。ステッキで再び変身し、あのマンティスモンプエラという敵に立ち向った……そして剣でその身体を刺し貫き、相手は爆発を起して消え去った……つまり死んだのだ。

 あの後、桃香は変身が解けると同時に恐怖に駆られ、発見した死体のことも忘れて、一目散に自宅へと逃げ帰った。翌日になって公園で発見された死体のことがニュースで流れたが、勿論それ以上の情報はなかった。彼女の受けた衝撃は大きく、余程学校を休もうかと考えたが、絵里たちに学校へ行くと言ったばかりの手前、再び欠席することは心苦しかった。そこで普段と変らずに登校し、落着かぬ気持で一日を過ごして、下校後の今、ようやく一人きりになれたのである。

 あの不思議な声に導かれたとはいえ、現場に駆け付けたのも、変身して戦ったのも、確かに自分の意思だった。半ば熱に浮かされたように、夢中で剣を振るい、そして相手へと突き出した。その結果、あの少女の姿をした化物は死んだ。それは間違いなく事実であったが、桃香はこれを、どう自分の心に受け止めてよいものか迷った。

 あれは正しい選択だったのだろうか。それとも、取り返しのつかない重大な過ちであったのだろうか。後者だと考えることを桃香は恐れた。ベッドへと身を投げ出し、天井を見上げながら、でもあそこであのようにしなければ、殺されたのは自分のほうだったのだ、と彼女は考えた。

 相手は本気で自分に殺意を抱き、そして攻撃を仕掛けてきた。正当防衛は充分に成立する筈であるし、そもそも相手は人間ではないのだ。つまり桃香は殺人を犯してなどいないということになるし、相手を殺害したのも正当防衛であるならば、理屈の上では、何らの罪にも問われないことになる。そう桃香は考え、自身の行動を肯定しようとした。しかし確かに自分たちと同等の智能を持っている様子であった、少女の姿をした生き物を殺したのだと思うと、そう簡単には自分を免責することができないように思われてならなかった。

 桃香は蒲団の中で幾度か寝返りを打ちながら、次第に深く憂鬱の兆してくるのを感じた。生来それほど深く悩み続けることのない桃香ではあったが、流石にこれほどの経験をしたことはなかっただけに、不安は中々消え去らなかった。あの化物には仲間がいるのだろうか、いるとすれば自分のところへ、復讐にやってきたりするのだろうか、と考えると恐ろしさも再び蘇り、まるで何かの玩具のようなユーストステッキ一本だけが、唯一頼れるものであるかのようにも思われ出した。

「私は……どうすれば……」

 桃香がそう呟いたとき、戸が叩かれる音がした。桃香は寝返りを打ってそちらを見た。摺り硝子の向うに、兄の影が朧げに映っていた。

「桃香、いるか?」

「いるよ」と答えてから、桃香は自分の声に、僅かながら棘が籠もってしまったことに気が付いて苦い思いに駆られた。それを康輔が感じ取ったのかはわからなかったが、彼は続けて「入るよ」と声を掛け、戸を開いた。桃香はベッドに寝そべったまま、ちらと兄の姿を一瞥してから、再び天井へと目を向けた。

「……何か用?」

「いや、ちょっと、大丈夫かなと思ってさ」と傍の椅子に腰掛けながら康輔は答えた。「夕飯のときもずっと無口だったし、すぐに二階へ上っちゃったしさ」

「別にそんなの、普通じゃん」

 そう答えつつも、桃香は思わず笑ってしまった。こんな調子でいつも自分のことを心配してくれる兄は、対外的に見れば良い存在なのかもしれなかったが、やや節介が過ぎるのではないかという気にさせられることも屢々ある。時折友人などに話をすると、「桃香のお兄さんって、それ……シスコンなんじゃない?」と反対に心配されることもあるほどである。

 それは本当なのかもしれない、と桃香は思った。実際、うちの兄はこれで大丈夫なのだろうかと思うこともある。しかし深い気分の落ち込みに陥っているとき、康輔の優しさが身に沁みて感じられることもあった。……

桃香は身体を起し、息をついて康輔へと目を向けた。そして単刀直入に――とはいえ真意を隠しての質問ではあったのだが――彼へと問い掛けた。

「ねえ、魔法少女って……、何のために戦うの?」

「え? 魔法少女?」

 康輔は虚を衝かれた表情で、眼を瞬いた。

「そう、マジカル・プリンセスとか。どうして普通の中高生の女子が、変身して戦わないといけないのかな?……詳しいでしょ、そういうの」

「勿論、勿論!」自信と不信感が入り混じった表情で、康輔は叫んだ。「でも急にどうしたんだ桃香、そんなことを聞いてくるなんて珍しい……。マジカル・プリンセスになんて全然興味ないと思ってたけど」

「まあね」と答えて、桃香はベッドの端に腰掛けた。「ちょっと知りたくなったってだけだよ。で、どうしてなの?」

「魔法少女は、な……」康輔は腕を組んで天井を睨んだ。「みんなの幸せのため、平和のために戦うんだよ。最初はわけもわからないままに事件に巻き込まれるけど、そのうちに自らの使命を悟り、自分たちの手で世界を救おうという決意のもとで戦うようになるんだ」

「幸せ……平和……」

 桃香はその言葉を口の中で繰り返してみたが、実感として湧き上ってくるものは中々感じられなかった。その代りに、剣を振るい、マンティスモンプエラの身体を刺し貫いたときの感覚が、ふと蘇った。あれは虫すらも殺すことは殆どなかった桃香にとっては、余りにおぞましい感触を以て感じられたことも思い出された。あの戦いは皆の幸せ、平和のためであったのだろうか。そのためにはあのようなことを、幾度も繰り返さなくてはならないのだろうか。桃香にはわからなかった。

「それでね、苺乃宮愛奈は、敵であるダークデビルとの戦いを通じて、徐々に仲間との絆との大切さにも目覚めていくんだよな。ここが本当に見どころで……桃香、大丈夫か?」

 夢中になって話し続けていた康輔は、再びベッドの上に倒れ込んだ桃香を見て、驚いた表情を見せた。「何でもない」と桃香は答えて、眩しい天井の螢光燈から目を背けた。

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